旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

もう一つの鉄道員 ~影で「安全輸送」を支えた地上勤務の鉄道員~ 第二章 電気区・保全区での仕事・その1「電気区に着任」【後編】

◆横浜羽沢電気区に着任【後編】 当時の横浜羽沢電気区は、関東支社にある技術系職場の中でも比較的広範囲を管轄していた。本区は横浜羽沢駅にあり、東海道貨物線は新鶴見機関区と新興駅、東高島駅、それに横浜羽沢駅。根岸線の根岸駅と横須賀線の逗子駅と田…

今週のお題「修学旅行の思い出」 移動の列車にできた「謎の行列」の理由 ~脅威の「わんこそば」~

今週のお題「修学旅行の思い出」 久しぶりに「今週のお題」に挑戦します(^0^;) 今週のお題は「修学旅行」ですか。いいですね~。 みなさんも修学旅行といえば、思い出されることがたくさんあると思います。もちろん、私もいい思い出から苦い(?)思い出まで…

いろいろな「物」を運ぶ貨物列車 走る「便器」

タイトルを見て、あのトイレにある便器が走るのか?と思われた方も多いでしょう。 いえ、便器自体が走るのではありません(;´д`) そんな便器があったら是非とも見てみたいですが、落ち着いて用は足せないでしょう 便器はコンテナに乗って走っているのです(笑…

消えゆく「国鉄形」 数奇な運命を辿った急行形【6】

こんな華やかな時代を謳歌した急行列車も、1985年までに廃止が相次いだために、451・471系電車をはじめとする交直流両用の急行形電車も本来の仕事を失いました。仕事は失ったといっても、製造から古くても24年しか経っていないので、そのままお払い箱になっ…

もう一つの鉄道員 ~影で「安全輸送」を支えた地上勤務の鉄道員~ 第二章 電気区・保全区での仕事・その1「電気区に着任」【前編】

◆横浜羽沢電気区に着任【前編】 九州支社での研修勤務を終えた私は、関東支社に戻ると横浜羽沢電気区に電気係として配属された。 「鉄分」の濃い方でも、あまり耳にしない名称の職場だと思う。私も、電気区とはいったいどんな仕事をするところなのか、一応は…

「のぞみ34号」重大インシデントについて元鉄道マンの考察と提言(17)最終章

終わりに…「安全神話」などは存在しない ここまで長々と「のぞみ34号」台車折損事故について、筆者の経験などをもとに考察し、提言を書いてきました。 最後に新幹線の安全輸送を語る上で述べておきたいことは、「安全神話」などは存在しないということです。…

消えゆく「国鉄形」 数奇な運命を辿った急行形【5】

451・471系電車を始祖とする交直流両用の急行形電車は、1961年に登場以来、24年でその役目を失ったことになります。他方、特急用として登場した481系電車を始祖とする交直流両用の特急形電車は、時代が変わっても特急列車として走り続けるその役割は変わらず…

いろいろな「物」を運ぶ貨物列車③ あの「うまい!」を届けるコンテナ

暑い夏が近づいてきました。最近の夏の暑さは一昔、いえ二昔前にとは比べものにならないくらいの暑さで、日中の最高気温が30℃を超えるなんて日は当たり前、ともすると35℃を超えるなんてことも珍しくなくなりました。いったい、どこまで暑くなるんでしょうか…

「のぞみ34号」重大インシデントについて元鉄道マンの考察と提言(16)

(4)事故調査結果を将来の安全につなげる【後編】 しかしながら日本では、JTSBの調査資料を刑事訴追の証拠としたり、時には調査官を承認として法廷に呼び出した事例があります。 1997年に起きた日本航空MD-11型機駿河湾上空乱高下事故では、機長の過失責任…

消えゆく「国鉄形」 数奇な運命を辿った急行形【4】

1980年代に入ると東北の急行列車は次々に特急への格上げとともに廃止や削減が続いていきました。そして1982年に東北新幹線が大宮-盛岡間で開業をすると、特急列車のみならず急行列車を含めた長距離列車は大幅に減らされていきました。 前回までは blog.rail…