旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

鉄道

なぜ超低床コンテナ車を追求し続けるのか【3】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info コキ100系は従来の国鉄形コンテナ車よりも、床面高さを100mm低くしました。この100mm=10cm低くしたことで、JR規格コンテナよりも95mm高いISO規格コンテナの積載を可能にし、海上コンテナの鉄道輸送を実現…

なぜ超低床コンテナ車を追求し続けるのか【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info JR貨物が主力と位置づけるコンテナ輸送では、利用客に提供するコンテナはすでにお話してきた通り、国鉄時代に制定された12ft5トンコンテナでした。対するISO規格コンテナは20ft10トンコンテナが主力だった…

なぜ超低床コンテナ車を追求し続けるのか【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 筆者が鉄道職員時代、「この問題を解決できれば、社長賞ものだ」と言われていたことがあります。本社技術部に集う優秀な技術者たちをもってしても、長年解決できない「難問」の一つとして、超低…

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜 【番外編】4年でお役御免になった悲劇の郵便車【6】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info そして、1986年3月1日、国鉄最後のダイヤ改正を控えて、郵政省は鉄道による郵便輸送を全廃し、すべてトラック便などへ移行させました。これによって、クモユ143もすべての運用から退き用途を失い、1982年9…

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜 【番外編】4年でお役御免になった悲劇の郵便車【5】

《前回からのつづき》 クモユ141の登場から15年がたった1982年、それまで長野地区では郵便車を併結した列車は客車によって運行していましたが、電車へ置き換えることが決まりました。そのため、クモユ141と同様に電車化に際して併結ができる車両が必要となり…

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜 【番外編】4年でお役御免になった悲劇の郵便車【4】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■たった4年で形式消滅した郵便電車 クモユ143 鉄道による郵便輸送は、その多くが客車列車(荷物列車)によって行なわれていましたが、一部は電車列車によるものもありました。 電車の場合、客車と異なり自…

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜 【番外編】4年でお役御免になった悲劇の郵便車【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■郵便客車の中でもっとも薄幸だったスユ15 郵便車と一言で言っても、その形態は輸送方法によって大きく2つに分けられていました。 鉄道郵便局に運び込まれた郵便物を、郵袋ごと郵便車に載せ、車内で鉄道郵…

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜 【番外編】4年でお役御免になった悲劇の郵便車【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 郵便車は大きく分けて、客車と電車、そして気動車がありました。 客車は国鉄のもっとも古くからある列車の運行形態で、その形式は数多くありました。戦前の20m級鋼製客車であるスハ32系では、区分室を備え…

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜 【番外編】4年でお役御免になった悲劇の郵便車【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 物流と一言でいうと、多くは貨物輸送を指すと思います。コロナ禍で急激に伸張したネットショッピングでは、宅配便を中心にした貨物輸送が旺盛になりました。また、それだけでなく、原材料や製品…

ヒューマンエラーを防ぐために【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info コンピュータで作成した図面と積算見積は、すべて紙に印刷してから確認を受けました。主任や助役が印刷されたものを1つ1つ確かめ、特に積算見積は数値に誤りがないか、計算が正しくされているかを赤鉛筆と…

ヒューマンエラーを防ぐために【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 筆者は残念ながら、鉄道職員時代は運転系統ではなく、技術系統に配属されていました。あまり目立たず、そして知る人も少ない職種ですが、安全輸送を支えるという点においては、運転や車両と並んで重要な仕…

ヒューマンエラーを防ぐために【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 最近、ほんの些細なヒューマンエラーから起こる事故が多いような気がします。ちょっとした確認をすれば、そのような事故は防ぐことができたにも関わらず、確認を怠ったがゆえに大騒ぎになったり…

気動車の新時代到来を告げたキハ85系【8】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■特急「南紀」への運用拡大とその終焉 同じJR東海が運行する名古屋発着の南紀方面の優等列車である特急「南紀」もまた、国鉄から継承したキハ80系によって運行されていました。 特急「南紀」の歴史は意外…

気動車の新時代到来を告げたキハ85系【7】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■特急「ひだ」への投入 1989年に登場したキハ85系は、名古屋−富山間を高山本線経由で結ぶ「ひだ」3・6号の運用に充てられました。最初は1往復のみの運用でしたが、すぐに増備車も登場して、翌1990年にはす…

気動車の新時代到来を告げたキハ85系【6】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ■接客設備も大きく変わったキハ85系 キハ85系は客室の設備も大幅に変わりました。 特急列車は多くの人が長距離・長時間の乗車をする傾向があります。座席の座り心地が悪くては、せっかくの新型車両も評価…

気動車の新時代到来を告げたキハ85系【5】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■高効率エンジンDMF14と新型特急用気動車の登場 1989年に登場したキハ85系は、JR東海の経営方針や運用する線区の実態に最適化され、国鉄時代とはまったく異なる設計思想で開発された特急用気動車でした。 …

気動車の新時代到来を告げたキハ85系【4】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■国鉄分割民営化による鉄道用ディーゼルエンジンの転機 1987年の国鉄分割民営化は、国鉄が脈々と受け継いできたあらゆることに大きな転機をもたらしました。列車の運行形態やサービス面で、利用者の目にわ…

気動車の新時代到来を告げたキハ85系【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■新たな高出力エンジンへの再挑戦 キハ60とDMF31HSAの失敗によって、いましばらくはDMH17系を使い続けることを余儀なくされたかに見えましたが、国鉄は気動車用の強力エンジンを諦めることはなく、さらな…

気動車の新時代到来を告げたキハ85系【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■高出力エンジン開発への挑戦と失敗 国鉄は1960年にキハ60系と呼ばれる準急用気動車を試作しました。 このキハ60系は、国鉄が悲願としていた大出力エンジンの試作車で、車体外観は既に量産されていたキハ5…

気動車の新時代到来を告げたキハ85系【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 気動車というと、鈍重で加速力に乏しく、最高運転速度も電車より低いものだという印象をもっているのは、おそらく国鉄時代に造られた車両を知る筆者と同じ年代の方や、諸先輩方ではないでしょう…

「懐かしの東急8000系ツアー」を満喫 若かりし頃の思い出にも浸って【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 初期のオールステンレス車は、コルゲート板と呼ばれる波状の板を重ね付けすることで、強度を保つようになっていました。筆者の年代で、オールステンレス車といえばこのコルゲート版のある車体が当たり前で…

「懐かしの東急8000系ツアー」を満喫 若かりし頃の思い出にも浸って【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info いよいよ8000系の撮影会です。 まずは、伊豆高原駅から乗ってきて、留置線に滞泊するTB-2編成。行先幕は白地に黒文字の一般的な「団体」の表示です。 ツアーの添乗員役の伊豆急行の方から、「幕を変えます…

「懐かしの東急8000系ツアー」を満喫 若かりし頃の思い出にも浸って【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 コロナ禍の中で、鉄道事業者は軒並み輸送量が激減したため、営業収入もそれとともに大幅に減少しました。そのことは、大手私鉄やJR本州三社ですら大幅な赤字を計上するなど、鉄道という事業その…

赤帯からハワイアンブルーへ 伊豆へ渡ったオールステンレスカー8000系【6】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 伊豆急に移ってきた8000系は、その輸送量から適切な輸送力とするため、4両編成と2両編成に組成・改造がされていました。 実際にうに運用を始めると、4両編成は特に問題はありませんでしたが、2両編成は多…

赤帯からハワイアンブルーへ 伊豆へ渡ったオールステンレスカー8000系【5】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 開業当初に用意した100系には、サシ190という車両が存在しました。その形式名が示すように、「食堂車」として分類される車両です。伊豆急のような地方私鉄に、それも路線延長が100kmにも満たないところに…

「懐かしの8000系ツアー」で鉄分補給

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 今日は以前から申し込んでいて、10年に一度あるかないかの強運(?)を発揮した成果で、東伊豆まで家族で鉄活に行ってきました。 首都圏からも近いリゾート地でもある伊豆を走る鉄道といえば、…

赤帯からハワイアンブルーへ 伊豆へ渡ったオールステンレスカー8000系【4】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 2000年に導入された200系は、長年国鉄とJR東日本で運用され続けてきた「老兵」で、いずれ早い時期には代替が必要とされる車両でした。伊豆急としては、やはり塩害に強いステンレス車体をもった車両が本命…

赤帯からハワイアンブルーへ 伊豆へ渡ったオールステンレスカー8000系【3】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1993年当時、東急にとって8000系は主力となる車両でした。1989年にVVVFインバータ制御という新機軸を導入して新製がはじめられた9000系がありましたが、こちらはまだ増備の途中でした。加えて9000系をもっ…

赤帯からハワイアンブルーへ 伊豆へ渡ったオールステンレスカー8000系【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 東急(ここでは分社化前の「東急電鉄」ではなく、それ以前の「東京急行電鉄」、今日の「東急」を指します)はグループ企業の中に、鉄道事業を営む会社があります。 その一つに、静岡県の東伊豆沿岸を走る…

赤帯からハワイアンブルーへ 伊豆へ渡ったオールステンレスカー8000系【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 ここ最近では例にない寒さの冬が終わり、ようやく春めいてきました。いえ、春になったかと思えば、いきなり日中の最高気温が20度を超える日もあり、「ちょうどよい季節」というのが短くなったと…