旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

夜行列車の考察 ~夜行高速バスの旅を体験~

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百聞は一見にしかず、百見は一労作にしかず

 私が通っていた(正確には通信課程なので、受講していた)大学の正面入口に、こんんな言葉を掘った石碑がある。百聞するより一目見た方が分かる。百回見るよりも一度経験する方がもっと理解できる。
 そういうことで、2017年5月のある週末に横浜から倉敷まで、夜行高速バスに乗って旅行することにした。

 急に思い立ったこともあったので、横浜-倉敷間の運賃は9500円。早期購入だともっと安く購入できたかも知れないが、新幹線を利用するよりは遥かに安い。もちろん、飛行機という手段もあるが、至近の岡山空港は市街地よりかなり遠いところにある。加えて、運賃は普通運賃であれば33,990円、前日までに購入することができる割引運賃でも平均16,000円だから、その差額は最大で20,000円以上もするので、やはり夜行高速バスは最も安価な移動手段だといえる。
 では、新幹線だとどうだろうか。新幹線は早期割引はあるが、これはJR東海エクスプレス予約会員でなければ受けられないので、普通運賃で比較することになる。東京-岡山は片道17,340円なので、高速バスの倍近い値段だ。経済的には、やはり高速バスのが有利だ。

 さて、5月の終末。世間は「プレミアムフライデー」などと一部では騒いでいるが、私の仕事にそんなもの関係ない。現場の第一線で働く人間にとっては、毎日が「戦場」だから、「戦場」から遠く離れたところで働くごくごく一部の人間にしか、その恩恵に浴することはできない。まあ、それはそれで放っておいて、私も少しは日頃の疲れを癒やすべく、高速バスの旅を選んだ。

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 乗るのは「京浜吉備ドリーム号」と呼ばれる、中国ジェイアールバスの高速バスだ。東京ディズニーランドを起点に、新木場駅、東京駅、バスタ新宿横浜駅を経由して、岡山駅新倉敷駅を結ぶバスだ。
 中国ジェイアールバスは、広島市に本社を置くJR西日本の子会社だ。中国地方を中心にしたJRバスを運行している。同じJR西日本の子会社に西日本JRバスがあるが、こちらは近畿地方を中心にしている。
 私は横浜駅から乗ることにした。横浜駅を発着する高速バスは、東口にある横浜シティーエアターミナル、通称YCATに発着している。出発時刻は22時40分。私は少し早めの22時ちょうどにYCATに到着した。
 待合ロビーで時間を過ごしていると、次々と長距離夜行高速バスが発着していることに驚いた。もともと路線バスとして運航していたJRバスや鉄道会社系のバスが、国内各地の様々なところへと、夜の横浜を発車していく。
 その一方で、ちょっとした「違和感」のあるものを見た。
 バスの発着時刻に近づくと、長机をカウンター代わりにした簡易な案内所があった。
 私が乗るバスは、ネット予約した時にプリントアウトした「乗車券」があるから必要ないのだが、なぜだかそのカウンターでは、掲示したバスの発車時刻に近づくと、「乗車の受付」をしている。
 はて、いったいこのカウンターは?と、様子を窺っていると、係員が利用者の名前を呼び出し始めた。
 なるほど。乗車券が発券されない、ツアーバスのようだった。しかし、ツアーバス形態の高速バスは、制度改正で廃止されたはずだが、まだまだこのような形態で営業するバスもあるのかもしれない。
 そんなことを思いながら、時間が過ぎていくと、いよいよ目的のバスが到着した。

「京浜吉備ドリーム号」の実際

 バスが到着すると、その車体には、白に青のライン、そして国鉄バスから引き継がれた象徴でもある大きな「ツバメ」が描かれていた。
 乗務員の男性が二人降りてきて、一人は乗車券の確認、もう一人はトランクへの手荷物の積み込みと、運転以外にやることが多いようだ。公共交通機関に従事する人たちは、労働環境の厳しさの割には賃金は意外に低めだ。こうして、乗客サービスと安全運行を両立させるために、必死に頑張っている人たちを見ると、いつも敬意を払わないではいられない
 バスの出入口に経っている乗務員に、プリントアウトした乗車券を見せると、さっそく車内へ入った。
 そこには、これまでに経験したことのない車内空間があった。
 「3列独立シート」は、確かにすべての座席が独立していた。だが、通路は2本あるものの、運転席側の通路は広めで、その反対は少し狭い。荷物を抱えて車内を移動するのは少々苦労する。もっとも、深夜の高速道をひたすら走り続けるのだから、頻繁に車内を移動しないからこれでいいのかもしれない。
 指定された座席に座ると、独立シートだけあって隣を気にする必要はなかった。
 しかも、座席との間隔は路線バスとは異なり、広めにとってある。もちろんリクライニングもするし、長距離を乗り続けるのだからレッグレストやフットレストも標準装備だ。そして、肘掛けにはUSBポートも装備されている。いまや、長距離高速バスの設備は、新幹線や航空機にもひけをとらない。
 バスは定刻通りにYCATを発車すると、すぐに高速道路に乗った。首都高速から保土ヶ谷バイパスを経由し、横浜町田インターから東名高速へと進んでいく。私はあまり深くなりすぎないように背もたれを倒し、夜の闇が支配した流れゆく横浜の街をしばらく眺めていたが、東名高速道路に入ったあたりからウトウトとしてしまった。

 長距離を移動する夜行高速バスは、途中幾つかのサービスエリアで休憩がある。
 今回乗車した「京浜吉備ドリーム号」は、御殿場インタチェンジの東京寄りにある、足柄サービスエリアで休憩停車した。そして、乗務員から「10分間の休憩です。時間厳守でお願いします。なお、これ以後は途中での休憩はございません。お飲み物の購入はここでされますよう、お願いいたします」とアナウンスがあった。

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深夜の足柄サービスエリアに停車する中国ジェイアールバスの「京浜吉備ドリーム号」。この日はあいにくの雨であったが、最初で最後の降車ができる休憩所なので、ある程度の乗客が降りていった。その間、乗務員は各座席のカーテンを設置し、乗客が眠りやすいようにする。©Norichika Watanabe

 

 そう。乗客が降車できる休憩は、この足柄サービスエリアが唯一なのだ。
 深夜を移動するのだから、乗客はほとんど眠りにつくのが前提だから、降車が可能な休憩は一箇所でよい、という考えなのだろう。必要以上に休憩停車を設定すると、所要時間は伸びてしまう。
 せっかくだからと足柄サービスエリアで降りると、この日は雨だった。横浜では降っていなかったが、箱根と富士の麓では天候が違うのだろう。
 一服を終えてサービスエリアをバスに向かっていると、多くの夜行高速バスが休憩のための停車をしていた。行き先は様々で、やはりバスを利用した夜行で移動する需要はあることを窺わせる。
 再び車内に戻ると、車内の景色が一変していた。
 それは、窓側座席を1席ずつカーテンで仕切られていたのだ。
 乗合バスの宿命でもある、誰が座っているかわからないのは仕方がないが、それでも少しでもプライバシー空間をつくろうとしている工夫に、正直驚き、感心し、そして納得してしまった。
 カーテンという薄い布1枚とはいえ、誰からも見られない、他の誰を見ることもない空間は、現代のようにプライバシーが重視された社会では必要不可欠だ。そして、安心感もある。私も座ってみると、狭いながらもちょっとした安心感をもつことができた。
 乗務員が乗車人員を確認し、乗り残しがないことをわかると、すぐに足柄サービスエリアを発車した。御殿場インターチェンジ近くまでは路面の状態にもよるが、バスは揺れることが多かった。新東名高速道路に入ると、さすがに路面状態がよくなったので、揺れも気にならなくなり、いよいよ睡魔がやってきて、仕事の疲れもあってか眠りについた。

 ところで、乗務員はといえば、およそ12時間近くの行程を2人が交代で務める。
 一部始終を観察することはできなかったが、どうやら一定時間ごとに運転を交代しているようだった。今回乗車した「京浜吉備ドリーム号」には、バスの中央、運転席側に乗務員専用の休息席が用意されていた。1人がここで休息し、もう1人が運転。乗客の乗降をしない休憩停車で入れ替わり、目的地まで向かうという勤務形態だった。
 私も、一度だけ途中の停車で目が覚めたが、眠りについている乗客を起こさないようにと、停車時や発車時のショックはほとんど感じなかった。まさしく、プロの運転技術そのもので、それは私がかつて乗務したハイヤーと同様、磨かれた技術の為せる業だ。
 そうした高い運転技術をもつ乗務員の手によって、夜行高速バスは運行されている。

 次に私が目を覚ましたのは、最初の停留所である山陽インターだった。
 時刻は6時半過ぎ。乗務員のアナウンスで起こされたのだ。
 このあたりは、寝台特急などの夜行列車に似通うものを感じた。
 足柄サービスエリアでの雨が嘘だったように、岡山の空は晴れ渡っていた。少し暑くなりそうだなと思いながら、思い切り座席の中で体を伸ばして、目を覚まそうとした。ところが、腰が少し痛む。
 それもそうだろう。リクライニングはするとはいえ、最大で143度までしかしない。座席幅も4列席よりも広いとはいえ、46cmほどでは「広い」とは言い難い。いってみれば、旅客機の国際線エコノミークラスに似ているようなものだ。それでも40代半ばの肉体にこたえるものはあったものの、それなりに快適に過ごすことができた。
 体を横にできないという点では、寝台列車に比べて快適性は劣るだろう。
 また、高速移動という点では、新幹線とは比較にならない。また、航空機はといえば、空港の立地によって条件が変わってしまうが、この程度の距離であれば、バスの方が有利かもしれない。
 しかし、長距離夜行高速バスの最大の武器は、そのコストの安さだ。
 加えて、横浜を22時40分に発車し、終着の倉敷には8時10分頃の到着は、まさに夜行ならではの時間帯だといえる。快適性を抜きに考えれば、費用対効果の面でも有利かも知れない。そのことが、一定の需要があり、競合するかのように複数の会社によって運行されていることが、その証左といえるかも知れない。
 また、航空機が着陸する岡山空港は、岡山市倉敷市からは遠く、空港リムジンバスに乗り継ぐ必要性が出てくる。バスであれば、まさにドアツードアであるから、その利便性は高いといえる。
 乗客としての費用対効果以外に、バスを運行する事業者の側についても考察すると、大型バス3列シートという定員にこそ制限はあるものの、適正な運賃設定をすることで収入はある程度確保できる。乗務員も2名で済むことや、高速道路はバス事業者が保有するものではないことから、運用コストも鉄道に比べれば少なくて済む。
 また、営業面でも今回乗車したJRバスのように、他のJRバス会社と協同することで、広告宣伝費や乗車券の発券に関する費用などもある程度抑えられる。また、本拠地以外の場所でも支援を得ることができるなど、一社だけでは難しい大きなネットワークをつくることができる。
 そうした諸々を考慮すると、夜行高速バスは現代の長距離移動の手段として、欠かせない存在になっているといえる。