旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

もう一つの鉄道員 ~影で「安全輸送」を支えた地上勤務の鉄道員~ 第一章・その1「少年と鉄道の数奇な出会い」

◆少年と鉄道の数奇な出会い

 私は1972年に川崎市で生まれた。
 父は設備関連の職人で、母は専業主婦。家は小さな風呂なしのアパート暮らしと、当時でもあまり裕福な家ではなかった。父は私が産まれたのを機に、それまで勤めていた会社を辞めて職人の世界へと入ったようだが、経済面では何かと苦労があったようだ。
 今ではあまり聞かない話(というより、下手をすると「児童虐待」などと騒がれてしまいかねないが)だが、肉のないカレーライスを食べたとか、とにかく食べていくのがやっとという状態だった。それでも、愛情だけはたくさん注いでもらった。
 そんな家の長男として生まれた私は、時折電車に乗って親戚の家へ行ったり、ちょっと遠出をしたりしたようだ。特に、親戚の家は東京の羽田にあり、東急東横線目蒲線を乗り継いでのお出かけは、とても楽しそうにしていたらしい。

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 幼い男の子は、まず飛行機や自動車、そして電車に興味をもつと思う。誰しもが通る道ではないだろうか。
 かくいう私も幼稚園に入る頃には動くものには興味をもっていたが、それが何であるのかをよくわかっていなかったと思う。思うというのは、記憶がないのだ。当たり前だろう、5歳児になる前の記憶なんて、よほど大きなできごとではない限り憶えていないものだ。
 そんな私が鉄道に興味をもったのは、幼稚園の年長組の頃だった。
 母に買い物を頼まれて、幼稚園の近くにある生協に行ったときのことだった。お店の雑貨売り場のところ通ると、B5判ぐらいの大きさのパズルがあり、それが私の目を惹いたのだ。
 そのパズル、実はブルートレインの写真だった。
 濃い紺色の車体に、朝日を浴びて燦然と輝く長いスマートな列車は、私の心を強く魅了した。そして何を考えたか、手持ちの釣り銭の小銭とパズルの値段を睨めっこし、散々悩んだ挙げ句誘惑に負けてしまいそれを持ってレジへ。
 お店を出た頃には、パズルを手にして意気揚々だった。
 自分の興味をもったものを、自分で考えて買った!
 だが、歩いて行くうちに、釣り銭で買ってしまったことを酷く後悔した。
 さて、どうやって母に言い訳をしようか。6歳児の頭の中は、そのことを考えるのに必死だった。
 当時私の住まいは山の上の団地。幼稚園と生協は山の下にあり、幼い子どもが歩くと30分近くの道程だった。しかも、人通りの少ないところは通り、車の通りが激しいところを抜けなければならない。
 今だったら、6歳の子にそんなお遣いをさせようものなら大騒ぎになり、下手すれば通報されて警察やら児童相談所が出てきかねない。そればかりか、事故や犯罪に巻き込まれる危険もあるが、当時はそんなこと誰も考えず許されたし、時代背景もあるだろうがこの頃の親は肝が据わっていた。いまの時代の過保護な親に見習ってほしいものだ。とはいえ、ある意味のんびりとしたいい時代だったのかも知れない。
 とにかく私は、わざわざ遠回りをして時間を稼ぎながら、言い訳を考えているうちに家に着いてしまった。
 そして、買ってきたものを母に見せると、当然の如くお叱りを頂戴する羽目に。それでも私はそのブルートレインに魅了されてしまい、叱られたことなど何のその。まじまじと見ると、これはいったいどういう列車なのだろうと興味をもった。
 その写真を簡単に紹介すると、恐らくは東海道本線根府川橋梁を渡る特急「富士」号で、先頭に立つのはEF65P形。それに連なっているのは、あまりはっきりと憶えてはいないが、鮮やかというよりは深い青だったので20系客車だっただろう。とにかく、それまで見たこともない列車だった。
 そこから私の鉄道熱が目覚めてしまった。
 いったいこの青い列車はなんというものなのか?そして、どこへ行けば見られるのか?とにかく疑問はいっぱい、知りたいこといっぱいで、知りたくて仕方がなかった。
 母に聞いても知らない、父は興味がないので知らない。あ~誰か教えてよ!
 すると、パズルの裏に子ども向けの簡単な解説文が書いてあったので、6歳だった私はとにかくそれを読んだ。そして、それこそが国鉄が誇る寝台特急「富士」号で、東京から西鹿児島(当時)までをほぼ1日かけて走る列車だとわかった。
 子どもというのは興味が湧くと、いろいろと知りたがるもの。
 一つ知ると、さらにその次へと興味をもち、次の学習へつながる。
 かくいう私もそうだった。他にどんな寝台特急があるのだろうか?そういえば、他にも違う図柄のパズルがあったな。