旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

もう一つの鉄道員 ~影で「安全輸送」を支えた地上勤務の鉄道員~ 第一章・その12「操車の実習は暑くて眠くなるディーゼル機関車」【2】

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◆操車の実習は暑くて眠くなるディーゼル機関車

 私がこの実習を受けたのはちょうど6月半ば。梅雨とは名ばかりに連日暑い日が続いていた。そして、この時初めて知ったのだが、入換用のディーゼル機関車の運転台は蒸し風呂のような暑さだということだった。
 それもそのはず。入換用に使われているDE10形ディーゼル機関車は、ボンネットの中に排気量61000リットルのV形12気筒という巨大なディーゼルエンジンを積んでいるのだ。そう、自動車のエンジンとは比べものにならないくらい大きなものだ。それが、走り出す度回転を上げていくのだから、そりゃあエンジンの熱ももの凄い量になる。そして、その熱は容赦なく狭い運転台へと入ってくるものだから、運転台はたちまち蒸し風呂の状態になってしまう。

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▲DE10形ディーゼル機関車をもとに重入換用として開発されたDE11形ディーゼル機関車のボンネット。このボンネットの中に、排気量61000リットル・V型12気筒という巨大なディーゼルエンジンが納められている。このエンジンから出される熱量も大きく、運転台はとても暑かった。

 エアコンがあるでしょう?という声も聞こえてこなくもないが、それはまずない。なにせ、その当時、エアコンがついた機関車なんか、JRになって新しく造った電気機関車ぐらいなもので、その数は私が知っている限り40両にも満たなかった。ディーゼル機関車といえばもっと酷く、たったの4両。そう、全国での話だ。ディーゼル機関車はつい最近までこの状態だったから、DL機関士の労働環境は過酷を極めていたのだ。
 ところが、そんな過酷な環境の中でもどうしても勝てないものがあった。
 それは「睡魔」だ。
 入社してようやく3か月目。それも、生まれてから19年間、昼間は起きて夜は寝るという生活を当たり前に続けてきた体に、朝から翌日の朝までの徹夜勤務に慣れていない。加えて、コンテナホームと引き上げ線を低速で行ったり来たりするという入機の添乗は、眠りを誘うのには絶好の環境だ。

 そんなわけで、瞼は重くなり途中何度か意識が飛んでしまった。
 睡魔と闘う私を見た機関士は、苦笑いをして見守ってくれていた。本当に申し訳ない。
 強烈な睡魔と闘っていると、ある一瞬だけでそれが吹き飛ぶ作業があった。
 それが「突放」と呼ばれるものだ。
 操車の誘導をする輸送係が、無線機で「コキ車4両を持って、コンテナ○番線。突放っ!」と機関士に指示をすると、機関士もそれを無線機で復唱をして汽笛を長声一発吹鳴させ、勢いよく加速させていく。もちろん、巨大なディーゼルエンジンも機関士の操作に応え勢いよく回転し、エンジン音を轟かせる。
 時速15キロから25キロになったあたりで、機関士はそれまでエンジンを吹かしていたマスコンハンドルを戻し、次いで単弁ブレーキを作動させる。すると、それまで貨車を押していたディーゼル機関車は急停止し、押されていた貨車だけが機関車から離れて、そのまま惰性でコンテナホームに向かってゆっくりと走っていく。
 機関車は急加速と急停止を短い時間の中でするので、睡魔に負けそうになっていた私も、さすがに目が覚めるというものだ。そして、輸送係と機関士の絶妙なコンビネーションは、まさに目を見張るものがあった。

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 この「突放」という貨車の入換作業は、この当時は原則として禁止されていた。というのも、機関車に「突き放された」貨車は惰性で走っていくが、そのブレーキは貨車に乗っている輸送係が留置ブレーキ(車でいうところのパーキングブレーキ)を人力で操作してかけていくため、非常に危険が伴っていた。
 貨車が機関車に繋がった状態であれば、機関車から送られてくる空気の圧力で確実にブレーキがかかる。ところが、留置ブレーキは人の力が頼りなので、そのブレーキ力はたかが知れている。万一、ブレーキをかける力が弱かったり、突放としたときの速度が速すぎたりすると、貨車を停めたい位置に停められず、最悪の場合は連結相手の貨車に激突させるか、車止めを乗り越えて脱線するかだ。そうなると、貨車に乗っている輸送係もただでは済まない。

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▲民営化後に製作されているコキ100系貨車。写真はコキ104形だが、青く塗られた台枠の中に黄色い円形のハンドルが留置ブレーキ。この位置に留置ブレーキのハンドルがあるために、コキ100系貨車やコキ107形を除いて入換時に突放が禁止された。黄色いハンドルの奥に「突放禁止」の標記がある。

 もちろん、現場もそのことは承知していた。国鉄時代、多くの操車場ではこの突放が日常茶飯事に行われていて、貨車に飛び乗ったり飛び下りたりしながら数多くの貨車の入換を捌いていた。その作業にミスが起きると、よくて重大な後遺障害が残る大けが、悪ければ命を落とす事故も多かったという。
 とはいえ、短い時間の中で効率的な入換作業をこなすために、現場判断で突放は日常的に行われていた。もちろん、かなりの職人技で機関士も輸送係も経験が豊富でないとできない作業だ。突放が始まると、機関車の運転台で睡魔に襲われていた私の目も覚める。それだけ、当時の私にとっては魅力的な作業の一つだった。