旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく「国鉄形」 目立つことなく縁の下を支えた「山男」たち【後編】

 分割民営化で79両中68両が貨物会社へ、残りは旅客会社へ引き継がれました。
 やはり、貨物列車がその仕事の中心で、国鉄時代と変わらずコンテナ貨物列車や、首都圏から信州への石油輸送列車を牽き続けます。こうした仕事は、後継のEH200形電機機関車が登場するまで続き、私が鉄道マンだった頃も重連で活躍する姿が見られました。 

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 このEF64形の特徴はなんといってもその音でした。
 先ほどもお話ししましたが、発電ブレーキでつくられた電気を熱に変換して捨てるための大容量の抵抗器を冷やすための冷却扇はこれまた大きく、それはそれはもの凄い騒音…いえ、ファンが風を送り込む音を響かせます。100m以上離れたところにいても、このEF64形が出すおとははっきりと聞こえるほどで、線路際で作業をしていてもこの音でどの機関車が来たのか判断できました。

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 もう一つは、貨物列車を牽く時には常に重連…2両の機関車で運転されていることでした。旅客列車と違って貨物列車は重量があるので、坂道で止まってそこから発車する時に、重い貨物列車を引き出すために必要とのことでした。それは、かつては寝台特急を牽く「花形」の運用にも就いていた平坦線用のEF65形にはない、なんとも言い難い「頼もしさ」と「重量感」がありました。
 そんな「山男」の印象があるEF64形を間近に見ることができたのが八王子機関区でした。仕事で八王子に行くと、必ず八王子機関区へ立ち寄ったのですが、そこの留置線や検修庫で脚を休めるEF64形は、「山男」が旅を終えて一休みか、あるいはこれから山道へ挑むために支度をしているようにも思えました。

 首都圏で精製されるガソリンや灯油などを山道を走って信州へと運び続け、人々の生活を支えるという目立たないけど必要不可欠な仕事は、当時活躍していた他の機関車には代わることができない、「山男」EF64に与えられた重要なミッションでした。
 その目立たない仕事を黙々とこなし続けたEF64形が最も輝いた仕事は、やはり天皇陛下がご乗車されるお召し列車の先頭に立った時でしょう。58号機と77号機がその栄光の任務に就きましたが、特に77号機は車体側面に白線が追加され、手すりや連結器は銀色に塗装され艶やかな姿になりました。その77号機も貨物会社に継承され、私も実際に八王子機関区で間近に見たことがありましたが、過去の栄誉をそのままにして貨物列車を牽き続けていました。

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 しかし、山道を重い貨物列車を牽いてひたすら山道を上り下りする仕事は想像以上に過酷だったようで、電気機器を更新したにもかかわらず老朽化が目立つようになり、残念ながら後継が増備されるにつれ廃車されていきます。
 そして、検査期限に余裕のあるものは長年の住処だった篠ノ井機関区(後に組織変更で塩尻機関区篠ノ井派出)を離れ、愛知県の稲沢駅に隣接する愛知機関区へと移っていき、東海道~武蔵野~中央線を走り運び続けた石油類輸送の任から離れていきました。

 愛知機関区では中央西線で同じく石油輸送列車を牽く任に就きましたが、こちらはそれほど長くなく2011年には岡山の伯備線だけが仕事場になります。そして、2013年にはすべての運用から離れて愛知機関区で休車、留置されたまま毎日を過ごしていました。私も一度訪れたことがありましたが、今にも廃車されるのを待っているかのようで、かつての「山男」の終の棲家としてはなんとも言えぬものがありました。
 そして、「山男」EF64形は2015年に残った全車が廃車となって、終の棲家になった愛知機関区の構内で解体されていきます。

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 多くが解体されていく中で、運良くそれを免れた幸運な車両もいました。
 一つは18号機で、中央本線勝沼ぶどう郷駅前に保存されています。廃車後に塩尻機関区篠ノ井派出で留置されていたのを甲州市が譲り受けて、駅のホームの下に展示されています。かつて何度も行き来した中央線が見えるところで、後輩のEH200形の仕事ぶりを見守るかのように静かな時を過ごしています。
 そして、もう1両はかつてお召し列車牽引という栄誉の任を与えられた77号機です。愛知機関区に異動し、最後の力を振り絞って山道に挑み続けましたが、他の僚機とともに運用を失って留置され、そして仲間たちが次々に解体されていく中、77号機は貨物会社が保有する機関車の中で数少ないお召し列車牽引機という経緯から、解体されることなく保存にとなったようです。そして、国鉄時代に身に纏ったお召し装備を復元し、かつての栄光を今に伝え続けています。

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 ところで、貨物会社のEF64形はすべて廃車になりましたが、旅客会社に引き継がれたEF64形はというと、JR東海に3両、JR西日本に2両、そしてJR東日本に6両が引き継がれました。いずれも団体臨時列車や工事臨時列車を牽く仕事にあたりましたが、時代の流れとともに団体臨時列車の需要が減少し、さらに老朽化も進行していたことから徐々に数を減らしていき、前二社は2009年までに廃車となってしまいました。

 JR東日本に継承された6両はある意味運が開けたとでもいいましょうか、ついに「花形」である寝台特急の先頭に立つ仕事を手に入れます。2009年に上野-青森間を結ぶ「あけぼの」に、そして2010年には上野から北陸方面を結ぶ「北陸」を牽引するというミッションで、1964年以来実に45年目にしての檜舞台でした。
 しかし「あけぼの」での運用は1年間で終わり、「北陸」は翌年の2011年には廃止が決まっており、その檜舞台での活躍は2年で終わってしまいます。僚機が次々に廃車・解体されていく中で、ついに手に入れた花形の仕事もごく短いものでした。

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 そして、2018年現在、この「山男」EF64形0番台で残ったのはたった1両だけになりました。それが37号機です。
 先日、所用で甲府に行った時に、甲府駅構内で留置されている37号機に偶然出会いました。ぶどう色二号と呼ばれる茶色塗装ですが、かつて八王子で見た「山男」たちのと同じ勇姿はとても懐かしく、そしてその勇壮さは代わりませんでした。甲府を住処にして工事臨時列車を中心とした運用に就いて、かつて貨物会社に行った僚機たちの仕事姿を今に伝えるように、地味ですが重要な任をこなしています。