旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

もう一つの鉄道員 ~影で「安全輸送」を支えた地上勤務の鉄道員~ 第一章・その17「門司機関区での添乗実習・・・日田彦山線のDD51」【後編】

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◆門司機関区での添乗実習・・・日田彦山線のDD51【後編】

 東小倉駅を通過し、列車は小倉駅へと入っていった。小倉駅では鹿児島本線日豊本線が分かれていく。列車はたくさんの線路と分岐器がある構内を、相変わらずのんびりとした速さで通過していく。
 もちろん、ホームには列車を待っているお客さんたちがいたが、乗りたい列車を待っているお客さんからすれば、乗ることもできない貨物列車が通過するだけでも「おいおい」なんて思うのに、これがのんびりと走っていては余計に嫌な気分になるかも知れないな。

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北九州を走るDD51形。©DD51612(Wikimediaより)

 そんなことをぼんやりと考えつつ、前方の出発信号機が日豊本線への進路が開通していることを示す青色の現示を確認すると、分岐器を連続して渡り始めた。と、運転台もガクガクと揺れたときは、立ったままでいた私は体を大きく揺さぶられて倒れそうになってしまった。
「しっかり捕まっときな!」
 機関士が言ってくれたが、とにかく揺れから体制を戻すのに必死だった。
 捕まれったって、そんなものはなかったのだ。目の前にある助士席のコンソールらしきものには掴まる手すりのようなものはないし、背後にはだだっ広い空間が広がるだけ。もちろん、旅客列車の車内のように釣り革なんぞあるはずもない。
 そう、この「相撲も取ることができるほどの広さ」が、こうした時には仇になったのだ。広々としていて開放感があるからさぞ乗務も快適だろうとおもいきや、まったくとんでもなく不便というか悩ましいものになったのだ。
 どこに掴まればいいんだ、誰か教えてくれーっ!なんて、内心思いながらも、分岐器を渡り終えると、機関車の動揺も収まってなんとか体勢を立て直すことができた。とりあえず、次の分岐器を通過する時にはしっかり踏ん張っていなければ、今度は転んでしまいかねない。

 ところでDD51形の運転台は、思ったよりもシンプルだ。
 電気機関車は左側に自弁と単弁と呼ばれるブレーキ弁が二つ、縦型に取り付けられていて、反対側には大きな主幹制御器(マスコン)が備え付けられている。正面には縦2段、横3列に電圧計や電流計、それにブレーキ管や元空気溜めの圧力計が取り付けられている。速度計はというと、このコンソールではなくブレーキ弁のさらに奥に一つだけ単独で備え付けられていた。
 DD51形はブレーキ弁電気機関車とほぼ同じだが、主幹制御器はコンソールに取り付けられた比較的細めのハンドルだった。電気機関車のようにゴツゴツしたものより、どちらかといえば電車のそれに近いのには驚いた。
 計器類もシンプルだ。圧力計が二つと速度計の合計三つ。なんと、エンジンの回転数を表すタコメーターは無かった。機関士は速度とエンジンの音を頼りにしながら、主幹制御器を操作していた。
 計器類が少ない代わりに、表示灯は電気機関車よりも多く、進行方向を示すものや変速機の段数を表示するもの、油温や水温、それに空転の警告灯もあった。

 日豊本線城野駅から別れて日田彦山線に入ると、筑豊地方ののんびりとした景色の中を走っていった。ここからは単線で、交換ができる駅では当然分岐器を通過しなければならないが、とにかく揺れには耐えようと必死に脚を踏ん張った。

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©sk01(Wikimediaより)

 それでも、ただでさえDD51形の台車は枕バネがないのでEF81形に比べて乗り心地が悪い上に、分岐器の揺れをモロに受けてしまうので、前方にそれが来ると知らず知らずのうちに身構えてた。
 おかげで汗ビッショリになり、ブルーのシャツの襟は濃い青色に変わってしまっていた。それが門司に戻る頃には乾いてしまったので、襟周りは白い粉が吹く始末。おいおい、このシャツ、たった2枚しか支給されてないんだから、帰ったら洗濯しないと使えないよ。
 石原町駅に着くと、三菱マテリアル専用線へ貨車を押し込んでいき、今度は石灰石を積んだ貨車を引っ張り出してくる。周りには木々が生い茂り、山奥の中に線路があるといった印象だった。それが北九州市という100万都市の中にあるというから、同じ政令指定都市にとはいえ大きな違いに驚きもした。
 そして、機関車を小倉方へとつけ替えて、元来た道を門司操に向けて走っていった。