旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

昭和から平成へ 激動の時代を見続けてきたロマンスカー【後編】

 それから10年後の2007年になると、小田急電鉄80周年と初代ロマンスカーである3000形登場から50周年を記念して、再び登場時の塗装に塗り替えられました。

前回までは 

 ところがロマンスカーを取り巻く環境は2000年代に入って一変します。バブル経済崩壊と長引く景気の低迷で、箱根を訪れる観光客の利用は低迷し続けました。箱根を訪れる観光客自体が減少する中で、長年のライバルであるJRが2001年から湘南新宿ラインを開業させたことがさらに拍車をかけます。新宿と小田原を直接結んできたロマンスカーのセールスポイントでしたが、この湘南新宿ラインロマンスカーと大きく変わらない所要時間で同じ新宿と小田原を結んだことで、ロマンスカーの優位性が失われてしまったのです。
 このような状況の中で、新たな顔をして真っ白い車体の50000形や、初の地下鉄乗り入れ用の60000形といった新鋭車両が続々と登場し、新しいロマンスカーの顔として活躍を始めました。

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 新しい車両が現れると、古参の車両が去って行くというのは鉄道車両の常です。最古参である7000形も本来なら例外ではありませんでした。ところが、その入れ替わりに最古参の7000形が置換になると思いきや、なんと後輩の10000形が先に置換の対象になり2012年までに全車が廃車になってしまいました。
 後輩である10000形は、交通バリアフリー法の制定が、登場当時に流行した高床構造が災いしてしまい、更新工事を受けることなく登場から20年も経たない2005年から廃車が始まります。
 7000形は登場から既に30年以上が経っていましたが、バリアフリーに対応できる構造だったこともあって廃車されることなく、ロマンスカーの系譜を語る「生き証人」として走り続けます。
 しかし、さすがに毎日高速で走り続けるという特急運用は、一見すると花形にも見えますが、車両自体には過酷なもので老朽化も進んでいきました。
 2010年に4編成のうち2番目に製造された編成が廃車となります。さらに2012年には最初に製造された編成も廃車になり、7000形は残り2編成、22両で箱根特急として活躍を続けました。
 残りの2編成は保安装置の改造を受けて、その後も暫くは走り続けます。とはいえ、いつまでも安泰というわけにはいきません。いつかは、走り慣れた箱根路から去って行く時が来ます。

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 そして、ついにその日がやって来ました。登場から実に38年が経った2018年3月のダイヤ改正をもって、後継となる70000形が導入されるのと入れ替わりに営業運転を終了しました。
 新宿-小田原間82.5km、乗り入れ先の箱根湯本を含めると88.6kmという距離は、国鉄→JRの特急列車と比べるとけして長距離ではありません。しかし、20分おきの高頻度の高速運転は、利用者の利便性を高めるのに反比例するかのように車両そのものは酷使され老朽化が進行してしまいます。
 そんな中で、7000形は歴代ロマンスカーで最も長い年月を走り続けました。
 その38年間はバブル経済の崩壊、長引く景気低迷とレジャーの多様化による利用客の変化など社会そのものが大きく変わり、ロマンスカーの役割も変化しました。加えて沿線の人口増加によるラッシュ時の混雑緩和を目的とした都心部複々線化といった、仕事場である小田原線自体も大きく変わりました。
 そうした激しい変化その中にあって、7000形は他のどの車両よりも時代の変化というものを見続け、そして時代のニーズに合わせながらも、観光特急としての原点をも守り続けてきた存在といえるでしょう。
 特急列車であるが故に、リゾート地に向かうという期待に膨らませた人たちや、通勤利用で疲れた体をシートに収めてゆったりとしながら家路を急ぐ人たちなど、7000形は様々な人たちの楽しさや喜び、時には悲しみも一緒に背負いながら走り続けてきたと思います。
 時代の移り変わりとともに、主役の座を後輩たちへと譲って引退していきましたが、7000形が先輩より受け継いだ伝統は間違いなく後輩たちへと受け渡し、ロマンスカーというブランドは今後も生き続けていくことでしょう。

〈了〉