旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく「国鉄形」 別れ別れになった兄弟たち【3】

 こうして従来の機関車と一線を画する性能とデザインを与えられたEF66形は、1968年に量産機となる1号機~20号機が製造され、下関をねぐらに活動を開始します。


前回までは

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 最初の仕事はもちろん、特急貨物列車の牽引でした。EF66形の試作機となるEF90形(後のEF66形901号機)が完成した1966年に登場し、鮮魚特急貨物列車やコンテナ特急貨物列車として活動をしていたレサ10000形やコキ10000形といった貨車で組成されていた列車を、前任となる兄貴分、EF65形500番台(F形)から引き継ぎます。EF65形では重連で牽かなければならなかった特急貨物列車は、EF66形では単機で牽くことができます。まさに「真打ち」の登場でした。
 白い車体の冷蔵車・レサ10000形で組成された鮮魚特急貨物列車は、九州北部や下関などで水揚げされた鮮魚を、関西や首都圏といった大都市圏へと運んでいました。
 貨物列車であるにもかかわらず、列車には愛称がつけられていました。山口県幡生駅から東京の東京市場駅を結ぶ列車は「とびうお」、博多港駅から大阪市場駅を結ぶ列車は「ぎんりん」という名前でした。

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EF66形が牽く鮮魚特急貨物列車。すべて冷蔵車であるレサ10000形(最後尾は緩急車レムフ10000形)で組成され、最高速度100km/hという当時の国鉄貨物列車としては高速で魚介類の水揚げ地と大都市を結んだ。©spaceaero2 Wikimediaより

 寝台特急のように一般の利用客の目に触れるような華やかさはないものの、その先頭に立つというのは貨物列車としては花形の仕事で、漁業関係者や市場関係者の期待は大きかったといえます。
 一方、コンテナ車であるコキ10000形で組成された特急貨物列車も、その先頭に立ったのはEF66形でした。1000トンの重量列車にもなるコンテナ特急を100km/hという速さを単機で牽くことができるのはEF66形だけで、昼夜を問わず東海道山陽本線を最長で1000km近くの距離を走り続けます。
 1973年から翌74年にかけて、21号機から55号機までの35両が増備され、総勢で55両の所帯になりました。これらも同じく下関を住処にして、東海道山陽本線長距離走る仕事に就きました。
 このように期待通りに特急貨物列車の先頭に立つ仕事をこなすEF66形でしたが、この頃から国鉄の貨物輸送は衰退をはじめました。
 高速道路網の整備の進展による貨物輸送のトラックへの移行が進んだことに加え、この頃には国鉄の労使関係の悪化によるストや列車遅延の頻発、さらには時代の流れとともに一層のスピードも求められるようになり、発送した貨物がいつ送り先に着くか分からないという従来のヤード継走輸送方式はもはや時代遅れとなり、荷主の国鉄離れを招いていました。
 EF66形はスピードを売りにする拠点間輸送の列車を担当していたので、あまり関係がないようにも思われますが、実際には安泰というにはほど遠いものでした。
 貨物列車の花形ともいえる仕事の鮮魚特急貨物列車も、1975年以降になると鮮魚輸送もトラックへの移行が進んでいき、さらには連日の長距離・高速運転という過酷な仕事をこなし続けたことに加え、積荷の鮮魚から出る塩分を含んだ水分になどに晒された車内の傷みも激しくなるなど、レサ10000形の老朽化の進行もあって、国鉄の分割民営化を待たず1986年に幡生-東京市場1984年に東京市場駅が廃止となり、それ以降は汐留駅)間を結んだ「とびうお」はコンテナに移行して廃止となります。(ちなみに、東京市場駅とは築地市場国鉄駅名でした)
 一方のコンテナ特急貨物列車といえば、廃止とまではならなかったものの、横ばいないし微減といった状態が続いていたようです。鮮魚特急貨物列車の「とびうお」や「ぎんりん」というような愛称こそないものの、最大で1000トンの重量列車の先頭に立ち、長距離を走り続けるという過酷な仕事は、パワーのあるEF66形にとってはうってつけの仕事として続いていました。