◆最後の添乗実習、門司-福岡貨物ターミナルの高速貨物列車【中編】
列車は小倉駅を通過するとどんどん加速していくが、黒崎駅までは旅客列車の走る線路とは別の貨物線を走っていく。貨物駅の浜小倉駅も通過、気持ちがいいくらい駅という駅を通過していくから、もしかすると快速列車よりも速いかも知れない。
前回までは
右手に八幡製鉄所や若戸大橋を眺めながら海岸線沿いを走ると、それまで別々だった旅客線と合流する。そこで幾つかの分岐器を通過するので、快走していた列車が機関士のブレーキ操作で減速。この時、機関士の左手には二つのブレーキ弁があった。二つ?電車は一つなのに、機関車は二つもある。
機関車のブレーキは単弁と自弁というブレーキ弁があり、単弁は機関車のみにブレーキをかける時に操作し、自弁は列車全体にブレーキをかける時に使う。この二つのブレーキ弁を上手く使ってブレーキの強さを調整し、重量のある列車を減速させたり停止させたりするのだから、機関車の運転はなんとも複雑で高い技量が要求される難しいものだと改めて思い知らされる。
列車は途中の速度制限があるところ以外、かなりの速さで走っていた。速度計は機関士席の前にある計器盤にあったが、助士席側にいる私の位置からは見えなかった。それでも、最高速度が110km/hのコキ100系で組成された高速貨物列車だったから、95km/h以上は出ていただろう、とにかく気持ちがいいくらいに速く走っていた。
途中トンネルに入ると、それまでモワッとした暑い空気しか窓から入ってこなかったのが、ここだけはひんやりとした空気が入ってきたので涼しくて気持ちがよかった。と思ったところで、風圧で窓から強い風が入ってくると私の制帽が吹き飛ばされそうになった。すんでのところで抑えたからよかったものの、制帽をなくしたとなればそれこそ一大事。
それを横目で見ていたのか、機関士は苦笑いしながら、
「あご紐、しっかりかけよらんと」
と教えてくれた。
そういえば、添乗した列車のどの機関士も制帽からあご紐をかけていたし、高校時代に通学で乗っていた私鉄の運転士もあご紐をしていたっけ。どうやら運転台で乗務する時にはあご紐をすることがお約束だったようだ。
▲ED76形は1991年当時、九州島内の貨物列車の主力機で本州との玄関口である門司から鹿児島(現在は鹿児島貨物ターミナル)まで高速貨物列車を中心に活躍していた。
それにしても、帽子のどこにあご紐なんかあるのか?と、その時の私は制帽を見ていると、正面の徽章のしたに何やら革でできた紐のようなものがあったからそれを伸ばしてみると、なるほど!これが制帽のあご紐か!
列車は晴れた夏の日差しの中を走り、駅という駅をどんどん通過していく。
スピードも出ているから、とにかく気持ちがよかった。
そして、東郷駅だったか東福間駅だったか記憶が定かではないが、とにかく駅に差し掛かった時に、上りホームで列車を待っている人の姿が見えた。白いシャツに紺色のスカートという制服を着た女子高校生たちだ。どうやら下校の時間で家に帰るのだろう、高速で通過していく私が乗った貨物列車に気付いたらしくこちらを見ていることに気がついた。
よし、せっかくなら何かしてやろう!
なんて、ちょっと茶目っ気を出してしまった。運転台の窓が開いていたので、そこから手を出して女子高校生たちに手を振り、去り際にVサインをして見せた。すると、女子高校生たちも気付いてくれて、笑いながら手を振って応えてくれたので、私はますます上機嫌になった。
「なんやっちょるんよ」
横目で私がやっていることを見ていた機関士が、半分呆れた笑い顔で言ってきた。それもそうだ。添乗とはいっても、やはり機関車に乗っているのだから、端から見れば機関車の乗務員だ。手を振るのはいいとしても、Vサインはちょっと余計だったかも知れない。
とはいえ、つい4か月ほど前までは彼女たちと同じ、黒い制服を着た高校生だったから、女の子を見るとついつい目立ちたくなってしまう。まだまだ、少年だなあ。