旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく「国鉄形」 数奇な運命を辿った急行形【6】

 こんな華やかな時代を謳歌した急行列車も、1985年までに廃止が相次いだために、451・471系電車をはじめとする交直流両用の急行形電車も本来の仕事を失いました。仕事は失ったといっても、製造から古くても24年しか経っていないので、そのままお払い箱になって廃車というわけにはいきませんでした。何しろ当時はまだ国鉄、いくら電車の減価償却期間は過ぎたとはいっても、そのくらいで廃車にしてしまっては会計検査院も黙ってはいません。


前回までは 

blog.railroad-traveler.info 


 この頃、国鉄は全国の在来線、特に都市間を走る路線のダイヤをそれまでの列車ダイヤから国電ダイヤへと転換していました。普通列車は長編成を組んだ列車で長距離を走るのが基本で、1時間に2本も走っていれば「多い」方だったという、今日では考えられないようなダイヤでした。でも、それでは乗客にとって利用しにくく、ただでさえ「国鉄離れ」が激しく利用率が低下する一方だったのでなんとかしなければなりません。そこで、首都圏や関西圏の国電のように、「待たずに乗れる普通列車」ということで、近距離都市間輸送を重点に置き、1時間に4本以上は普通列車が走っているダイヤへと変わったのです。
 そうなると、今度は普通列車の本数が劇的に増える代わりに、これに宛てる車両が不足しました。直流区間を走る電車も数が揃えられず改造して賄って凌いだのですが、高価な交直流両用の電車はさらに数が足りませんでした。とはいえ、多くのお客さんに使ってもらうためには、普通列車の増発は必須です。

f:id:norichika583:20180517105624j:plain普通列車として運用するために、車内を近郊形対応に改造された。ドア付近のデッキは一部で撤去され、出入口付近は横向きのロングシートを設置、立席客のために釣り革も取り付けられて、かつて長距離急行列車として走っていた車両の車内とは思えないほど変わってしまった。(©Toshinori baba Wikimediaより)

 そこで白羽の矢が立てられたのが、本来の仕事を失ってしまった急行形電車でした。首都圏や関西圏ほどの極端な混雑はしないので最低限の改造を施して普通列車に宛てれば、しかも高価な電車を製造するよりも安価に列車の増発ができると、財政事情は破綻しかかっていた国鉄にとっては願ったり叶ったりでした。
 こうして、451・471系電車をはじめとした急行形電車は、第二の人生を歩み始めます。
 華々しい特急列車の影に隠れながらも、かつては最大で12両という長い編成を組み、グリーン車やビュッフェ車を連結して長距離列車としての威容を誇ったかつての栄華もどこへやら、最低限の3両編成という短さで、短い距離を行ったり来たりするというのは、栄光の過去を持つ身としては如何ともし難かったでしょう。
 さらに普通列車に対応するため、急行形電車としての体裁だったデッキ部の仕切は撤去され、ドア付近の座席はボックスシートから窓に背を向けたロングシートへと交換、立席客にも対応するために釣り革も設置されました。もはや、外観こそ車端部に幅1000mmの片開き扉を備えた急行形でも、車内は近郊形のそれにされてしまいました。
 それに加えて、短い3両編成を基本としたため、先頭車の数が足らなくなってしまいました。足らないからといって新たに造ることもできません。そこで、余剰になった中間車に、運転台のついた先頭部をくっつけて先頭車を増やすという改造車を登場させて不足を賄いました。

f:id:norichika583:20180517111041j:plain普通列車転用では短編成化することで、需給のバランスを取ることになった。そのため、先頭車が不足する事態になり、余剰となったグリーン車も運転台のついた先頭部を取付、普通車に格下げされた。一枚下降窓と2位側の細い側扉がグリーン車だったことを物語っている。(© DAJF Wikimediaより)

 この改造車、もともとはグリーン車として普通車よりも高価な料金を払った乗客を乗せていた車両でしたが、急行列車としての仕事を失い、他の車両よりもさらに仕事がなくなった車両でした。このグリーン車を普通車に変えて、さらに先頭部をくっつけて先頭車化改造を受けるという、グリーン車としてのプライドもズタズタにされる転用だったでしょう。
 それでも先頭車は圧倒的に足りませんでした。そこで、同じく急行形で仕事を失ってしまった、従兄弟にもあたる直流用の165系電車をも改造して仲間に加えます。
 先頭車だったクハ165形は、先頭部をくっつけるというような大改造は施す必要はなかったのですが、側扉下部にステップの追加と交直両用への対応といった最低限の改造で済まされました。しかし、中間車であるサハ165形はそのままというわけにはいかず、先頭部をくっつける大改造を施して仲間に加え、不足する先頭車として宛がわれました。
 こうして普通列車としての体裁を整えた交直流両用の急行形電車は、東北や北陸、九州と走り慣れた土地で走り続けます。
 しかしこれだけの改造を施しても、需要が増えてラッシュ時には混雑を捌ききれない事態が度々発生してしまいました。車両の両端に乗降用の側扉があるという構造が災いし、スムーズな乗降ができなくなってしまったためです。
 こうなると、本格的な近郊形電車を望むところですが、国鉄にそんな体力はありませんでした。
 そこで、交直流両用の急行形電車の車体を載せ替え、近郊形電車として生まれ変わらせることになります。新製するよりも費用は安く済み、それでいて悩みの種となっていたラッシュ時の対応も解決できるという、国鉄にとっても一石二鳥の方法でした。
 こうして、電気機器や台車をはじめ、座席などといった再利用できるものはできるだけ流用して、新しく造った車体に載せ替えて、近郊形電車として登場したのが413・717系電車でした。先頭部の形状は同じでも、デッキを省略し、中央部へ寄せた幅1300mmの両開きの側扉という車体は、完全に急行形電車としての体裁を失ってしまいました。もはやここまで改造を施されてしまうと、その車両がかつて急行列車として走っていたなどということは誰にも想像できないもになっていたといえるでしょう。

f:id:norichika583:20180517110300j:plain▲最初期に製造された北陸地区の471系電車は車齢も高く、車体も痛んで更新時期を迎えていたこと、さらにラッシュ時の混雑を捌くには急行形の車体では対応しきれなかったことから、2扉近郊形の車体を新製して載せ換えることで対応した。もはやかつて急行列車として活躍した面影は微塵もなくなってしまっているが、分散式のAU13形冷房装置や空気バネ台車が僅かにその出自を伝えている。(筆者撮影)

 ファミリーの一部を車体載せ替えという手荒い改造まで受けさせられたものの、これらの車両は民営化以後も地域の貴重な脚として走り続けました。
 従兄弟である直流用の165系電車や167系電車が2003年までに運用を退いて廃車となっていったのに対して、交直流両用の455系ファミリーは後継車の登場が遅くなったこともあって、東北地区では2008年まで活躍しました。九州地区でも南部のローカル輸送用として走り続け、2007年には運用から退いていき、2010年に廃車となっていきました。
 そして北陸地区は、後継となる521系電車が登場しますが、その増備が比較的ゆっくりしていたことや、製造当初は補助金の関係から運用区間が限定されていたこともあって、改造車である413系電車共々、北陸線の金沢以北を中心に2010年代に入っても健在でした。