旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

もう一つの鉄道員 ~影で「安全輸送」を支えた地上勤務の鉄道員~ 第二章 見えざる「安全輸送を支える」仕事・隅田川駅で見た「モノ」とは【後編】

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まさかまさかの「客車」

 驚いたといえば、もう一つ。
 やはり、駅構内を歩いていた時のこと。駅の一角がやたらと騒々しい。それもそうだろう、何しろ赤色灯を煌々とつけたパトカーや警備会社の車、それに頑丈そうなつくりの車がいる。
「おっ、今日は珍しいのが来ているから見ていこう」
 先生役の技術課の人は、それを見るとニヤッと笑って私たちをその場所へと連れて行ってくれた。


前回までは 

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  騒々しいところへ着くと、何ともいえぬ異様な雰囲気。事件か何かと思いながら見ると、上屋のある小さなプラットホームには青色に塗られた「客車」が停まっていた。
 その客車もちょっと異様だった。客車は基本的にお客さんが乗る車両なので、多かれ少なかれ窓がある。もちろん、かつては手荷物や小荷物を運ぶ「荷物車」というのもあったが、それでも窓はあった。窓が少ない客車といえば郵便車が思い出されたが、私が鉄道マンになるまでには郵便輸送はトラックかコンテナに切り替えられてしまい、すべての郵便車は廃車になってなかった。
「君たちは運がいいぞ。我が社のもう一つの顔を知ることができて」
 技術課の人は得意げな顔をしていった。
 いったい何のことやらと、私は客車の標記をよく見た。自慢にもならないが、私は小さい頃から視力がよく、裸眼でも2.0はあったのでちょっと目をこらせば遠くにある小さな文字も読むことができた。
 その客車には、

 マニ30

 とあった。
 やはり荷物車だった。それにしても、いったい何を運んでいるのだろうか。
 答えは「現金」だった。

f:id:norichika583:20180624210605j:plain日本銀行が所有し、国鉄JR貨物が運用した荷物車マニ30形客車。その積荷が「現金」という特殊なものであるために、通常の荷物車よりも外板は厚く、そして明かり取りとなる窓が一切ないという、鉄道車両の現金輸送車だった。現役であった頃はその存在は公式には認めないという、大袈裟に言えば軍事機密並に秘密のベールに包まれていた。現金の鉄道輸送が終了するとその存在が公にされて、現在ではマニ30 2008が北海道小樽市小樽市総合博物館に保存・展示されている。(2005年 筆者撮影)

 それを知らされた時、私たちは「え!」「マジかよ」「すげーッ!」と口々にいいながら、心底驚いた。まさか、鉄道で現金を運んでいるなど、誰も知る由もないこと。だが、鉄道の現金輸送は昨日今日に始まったことではなく、国鉄時代から続けられていたのを、民営化の時に貨物会社が引き継いだそうだ。いわば、貨物会社「唯一の客車」ということになる。
 この現金輸送車、印刷局で製造されたばかりの「まだ流通させていない紙幣」を、北海道や東北、九州などの遠方へ運んでいた。逆に、使い古された紙幣を回収するのにも使われ、高速貨物列車に連結されていたという。
 荷主はもちろん日本銀行で、客車の所有も日銀だった。
「これも我が社が運んでいる物の一つだ。だが、いま見た荷物車のことや聞いたことは絶対に他言してはならないぞ。漏れれば大変なことになるからな」
 それまでの柔らかい物腰とは打って変わって、技術課の人はちょっと厳しい顔になっていた。こりゃあ本気だ。もしも他で喋ろうモノなら、本当に「クビ」が飛んでしまうかも知れない。
 私はそう思うと、まるでスパイ映画か何かの登場人物よろしく、機密を知った奇妙な優越感と、決して他言はしないという緊張感の混ざった複雑な気持ちだった。
 もちろん、帰宅しても家族にそんな話は微塵も出さなかった。そして、退職した後も、この現金輸送車の存在は黙っていた。
 が、退職して何年かしてから日銀が現金の鉄道輸送を終了した途端、その存在を公開するどころか、この荷物車を北海道の小樽で一般公開までしてしまった。ああ、ずっと秘密を守り続けてきたんだけどなぁ。