旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

赤い尾灯を灯して貨物列車の殿を受け持った車掌車たち【10】

国鉄の貨物輸送は都市からローカル線まで網の目のように広がり、解結貨物列車が全国を走っていました。老朽化した有蓋緩急車は居住性が低く、特に戦時設計車は冬季の乗務に過酷な環境を強いていました。こうした状況を打開するため、1962年からヨ6000形が登…

赤い尾灯を灯して貨物列車の殿を受け持った車掌車たち【9】

1968年、鉄道が速達化の時代へと踏み出す中、ヨ5000形は旧型車掌車から生まれ変わり、貨物列車の最後尾を支える存在となりました。乗務員に好まれる居住性を備え、石炭輸送用の5800番台も登場します。緩急車廃止後は役目を終えましたが、一部は駅舎や倉庫と…

赤い尾灯を灯して貨物列車の殿を受け持った車掌車たち【8】

1959年、国鉄は「戸口から戸口へ」を掲げたコンテナ特急「たから」の運行を開始しました。 最高速度85km/hに対応するため、既存のヨ3500形を改造し、高速対応の「ヨ5000形」が誕生したのです。 走行性能を高める二段リンク式の走り装置を採用し、車体は淡緑3…

赤い尾灯を灯して貨物列車の殿を受け持った車掌車たち【7】

鋼の誇り、そして静かな終焉「ヨ3500形」 1950年、戦後初の本格車掌車「ヨ3500形」が登場しました。柔らかい板ばねにより乗り心地が改善され、最高速度75km/hを誇る優秀な車両でした。 初期は新造車、後期はトキ900形の改造名義で大量に製造され、全国の貨物…

赤い尾灯を灯して貨物列車の殿を受け持った車掌車たち【6】

終戦直後、国鉄はGHQの命令により、すべての列車に緩急車の連結を義務づけられました。 貨物列車には老朽化した木造車「ヨ2500形」が使われ、冬の乗務は極寒で「寒泣車」と呼ばれるほど過酷でした。 1950年、朝鮮特需による好景気の中、国鉄は車掌の環境改善…

赤い尾灯を灯して貨物列車の殿を受け持った車掌車たち【5】

戦後の混乱期、GHQの命令で全列車に緩急車の連結が義務化されました。 資材不足の中、国鉄は明治期の木造貨車「ワ1形」を改造し、急造車掌車「ヨ2500形」を誕生させました。 窓も暖房も不十分で、乗り心地は最悪。冬には車掌が凍え、「寒泣車」と呼ばれまし…

赤い尾灯を灯して貨物列車の殿を受け持った車掌車たち【4】

1937年、日本初の鋼製車掌車「ヨ2000形」が誕生しました。 広い室内に執務机とロングシートを備え、乗務環境は大きく改善されたのです。 しかし、ストーブやトイレは省略され、冬季の乗務は過酷でした。 わずか100両で製造が打ち切られた理由は、日中戦争の…

赤い尾灯を灯して貨物列車の殿を受け持った車掌車たち【3】

1926年、ヨフ6000形の登場で貨物列車に専用の車掌車が導入されました。 それ以前は、木造の緩急車に車掌が乗り、寒さと隙間風に耐えながら手動でブレーキを操作していました。 貫通ブレーキの普及により、緩急車は1両で済むようになり、車掌が非常ブレーキを…

赤い尾灯を灯して貨物列車の殿を受け持った車掌車たち【2】

かつての貨物列車の最後尾には、赤い灯を灯した車掌車が連結されていました。車掌は後方監視や非常時の対応、貨車の検査などを担い、列車の安全を守っていたのです。 戦前の木造車両から始まり、戦後にはヨ2000形、ヨ3500形、ヨ5000形などが登場し、乗務環境…

赤い尾灯を灯して貨物列車の殿を受け持った車掌車たち【1】

かつての貨物列車の最後尾には、赤い灯を灯した車掌車が連結されていました。車掌は後方監視や非常時の対応、貨車の検査などを担い、列車の安全を守っていたのです。 戦前の木造車両から始まり、戦後にはヨ2000形、ヨ3500形、ヨ5000形などが登場し、乗務環境…