旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

貨車の色にも意味があった:追補【2】

毒性の高い液化塩素を運ぶタキ5450形は、黄色に塗られた異色の貨車でした。黒が支配する国鉄貨物の中で、その鮮烈な塗色は危険物輸送の緊張感を象徴していました。中和装置を備え、理科の知識が命を守る装備も搭載。696両もの車両が日本の工業を支え、やがて…

貨車の色にも意味があった・追補【1】

国鉄貨車の黒は、汚れを隠し、補修を簡略化するための“沈黙の合理性”でした。だが、時代が動き、輸送の形が変わると、青15号や淡緑3号といった“異色”が現れます。それは単なる塗装ではなく、物資別適合輸送という新たな思想の象徴。黒に埋もれた貨車たちの中…

赤い尾灯を灯して貨物列車の殿を受け持った車掌車たち【16】

1994年、小倉車両所で改造されたヨ8000形は、苅田港線の推進運転用先頭車として誕生しました。朱とトリコロールの塗装は、日産自動車への配慮を込めたものでした。10年以上にわたり機回し不要の運用を支えましたが、苅田港線の廃止によりその役割を終えまし…

赤い尾灯を灯して貨物列車の殿を受け持った車掌車たち【15】

民営化後、ヨ8000形はJR九州によって電源車に改造され、非電化区間への特急「有明」乗り入れを支えました。白塗装の28000番台として活躍した後、運用終了まで7年間務めました。また、JR貨物九州支社では苅田港線の機回し問題を解決するため、ヨ8000形を先頭…

赤い尾灯を灯して貨物列車の殿を受け持った車掌車たち【14】

1985年の制度改正で緩急車の連結義務が撤廃され、ヨ8000形は制度的な役割を失いました。民営化後も一部がJR貨物などに継承されましたが、用途の縮小と老朽化により徐々に姿を消していきました。そんな中、東武鉄道に譲渡された2両は、ATS搭載車として蒸気機…

コラム:コンテナに刻まれた記憶:JR貨物とJRFマークの30年【後編】

国鉄末期の貨物輸送は使い勝手が悪く、ストライキも多発して顧客離れが進みました。JR貨物は民営化後、コンテナ輸送を主力に再構築し、JRFマークによるブランディングを展開しましたが、最終的にはJRロゴに回帰し、マークは過去のものとなりました。

赤い尾灯を灯して貨物列車の殿を受け持った車掌車たち【13】

ヨ8000形は、老朽化した車掌車の置き換えと乗務環境の改善を目的に1974年から登場した国鉄最後の量産型車掌車です。ユニット式構造により製造効率を高め、トイレやロッカーなど客車並みの設備を備えていました。全国で活躍しましたが、貨物輸送の合理化と国…

赤い尾灯を灯して貨物列車の殿を受け持った車掌車たち【12】

ヨ8000形は、老朽化した車掌車の置き換えと補充を目的に1974年から登場した国鉄最後の量産型車掌車です。特急貨物用のコキフ10000形などの設計を継承し、トイレやロッカー、手洗い器など客車並みの設備を備えました。車掌室はユニット化され、台枠にボルトで…

赤い尾灯を灯して貨物列車の殿を受け持った車掌車たち【11】

ヨ6000形はヨ5000形を基に小型化された車掌車で、ローカル線向けに設計されました。溶接構造や鋼板屋根で製造効率を高めつつ、酷寒地仕様も登場しましたが、乗務環境には課題も残りました。全国で活躍したものの、貨物輸送の縮小により1987年までに全車が廃…

コラム:コンテナに刻まれた記憶:JR貨物とJRFマークの30年【前編】

国鉄末期の貨物輸送は使い勝手が悪く、ストライキも多発して顧客離れが進みました。JR貨物は民営化後、コンテナ輸送を主力に再構築し、JRFマークによるブランディングを展開しましたが、最終的にはJRロゴに回帰し、マークは過去のものとなりました。