第2章 東北最大の難所 33.0パーミルの板谷峠 板谷峠は福島県と山形県の県境に立ちはだかる奥羽山脈の峠で、江戸時代は米沢藩が参勤交代のために越えなければならかった隘路です。標高755mの峠はそれほど高いと感じることはないかもしれませんが、当時から、…
カートレイン釧路やカートレインさっぽろは、北海道内や青森―札幌間で運行されたが、利用者の多くがレンタカー利用者や近郊住民に限られ、利便性や積載制限の問題もあり短期間で運行終了。1985年に始まったカートレインは、鉄道と自家用車を組み合わせた新し…
カートレイン北海道は、青函トンネル開通を機に誕生したが、発車時刻の早さや長時間乗車、車両サイズの制約などが利用者の負担となり、1997年に運行終了。これにより本州発着のカートレインはすべて廃止された。しかし、広大な営業区域を持つJR北海道は、道…
1988年、青函トンネル開通を機に「カートレイン北海道」が運行開始。恵比寿駅から白石駅まで、自家用車と乗客を同時に運ぶ新しい旅のスタイルだった。24系寝台車とワキ10000形貨車を使用したが、18時間以上の長旅に食堂車や車内販売がなく、発車時刻も昼過ぎ…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 鉄道員の仕事というと、一言では説明できないほど数多くの役割があります。このブログでもお話してきたように、大きく分けて列車の運行に直接携わる運転系統や、乗客扱いを担当する営業系統、車…
カートレイン九州の成功に沸いた国鉄は、1986年に「カートレイン名古屋」を投入。熱田駅から東小倉駅まで、自家用車とともに旅する新たな夜行列車だった。乗客車両にはユーロライナー、車載には改造されたマニ44形を使用。だが、車両制約や収益配分の不均衡…
1990年代に入り自動車の大型化が進むと、カートレインに積載できる車種が限られ、利用者が減少。長時間乗車にもかかわらず車内販売がなく、乗客サービス面での課題も浮上した。さらに、運行に関わるJR各社間の収益配分の不均衡や、JR九州の負担増が問題とな…
カートレインの乗客車両にはA寝台のナロネ21形が使われ、快適性は高かったが料金も高額だったため、国鉄は急行列車として設定し、運賃を抑えた。人気は高く、指定券は徹夜で並ばないと入手困難だった。発着駅の変更や途中下車の導入、車両の14系化など改良が…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info カートレインは、汐留駅を発車すると、途中の停車駅は設定されず、終着の東小倉駅まで走り続けます。上り列車も同じ設定で、途中で停車するのは機関士が交代するための運転停車のみに限られました。また、…
1985年、国鉄は乗客の自家用車を鉄道で目的地まで運ぶ「カートレイン」を導入。欧米では既に実例があったが、日本では初の試みだった。汐留―東小倉間で運行され、貨物駅を活用することで新たな設備投資を抑えた。車両選定では鉄粉による自動車の汚損を避ける…