旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

2025-09-01から1ヶ月間の記事一覧

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜番外編 ローカル線荷物輸送近代化を担うも短命で終わった荷物気動車【7】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■車齢など関係ない 荷物輸送の廃止とともに運命を絶たれた気動車たち 1984年2月のダイヤ改正、いわゆる「ゴー・キュウ・ニ改正」は、日本の物流に大きな影響を与えたダイヤ改正だったといえるでしょう。こ…

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜番外編 ローカル線荷物輸送近代化を担うも短命で終わった荷物気動車【6】

キニ58形は常磐線で単独運用された荷物気動車で、新聞輸送などを担いましたが、1984年以降の郵便・荷物輸送縮小により役目を失いました。1986年のダイヤ改正で制度自体が廃止され、改造からわずか数年で廃車となる悲運の車両となりました。

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜番外編 ローカル線荷物輸送近代化を担うも短命で終わった荷物気動車【5】

キニ28形・キユニ28形は国鉄が最後に製作した郵便・荷物気動車で、新聞輸送などに活躍しました。急行「土佐」や「紀州」などに併結されましたが、宅配便の台頭や急行列車の削減により運用機会が減少し、短期間で役目を終えることになりました。

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜番外編 ローカル線荷物輸送近代化を担うも短命で終わった荷物気動車【3】

キニ28形・キユニ28形は、老朽化した荷物気動車の代替として1977年に登場しました。キロ28形を種車に新製車体を載せ、高運転台や広い乗務員室を採用するなど、安全性と作業効率を向上させました。郵便室や荷物室の構造にも工夫が施されました。

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜番外編 ローカル線荷物輸送近代化を担うも短命で終わった荷物気動車【4】

キニ58形は、老朽化したキニ55形の代替として1978年に登場した2エンジン搭載の荷物気動車です。キロ58形を種車に改造され、常磐線のような勾配や電化方式の異なる区間でも安定した運用が可能でした。構造はキニ28形と共通で、非冷房仕様でした。

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜番外編 ローカル線荷物輸送近代化を担うも短命で終わった荷物気動車【2】

1977年、老朽化した郵便・荷物気動車を置き換えるため、キニ28形・キユニ28形が登場しました。急行形グリーン車キロ28形を種車に改造し、新製車体を採用することで効率的な荷物積卸や乗務員環境の改善を図りました。構造や設備にも工夫が施されました。

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜番外編 ローカル線荷物輸送近代化を担うも短命で終わった荷物気動車【1】

宅配便が普及する以前は、郵便小包や鉄道小荷物が主な輸送手段でした。郵便は梱包が煩雑で重量制限があり、鉄道は駅への持ち込みと受け取りが必要でした。国鉄は郵便・荷物合造車や専用車両で全国輸送を担い、老朽化に伴いキニ28形などの改造車が登場しまし…

貨車の色にも意味があった:追補【3】

毒性の高い液化アンモニウムを運ぶタキ18600形は、白く塗られた大型タンク車でした。その色は、法令が定めた“警告”であり、鉄道が担った責任の象徴でもありました。国鉄からJR貨物に継承され、機関車の次位に連結されるなど安全に配慮された運用が続きました…

貨車の色にも意味があった:追補【2】

毒性の高い液化塩素を運ぶタキ5450形は、黄色に塗られた異色の貨車でした。黒が支配する国鉄貨物の中で、その鮮烈な塗色は危険物輸送の緊張感を象徴していました。中和装置を備え、理科の知識が命を守る装備も搭載。696両もの車両が日本の工業を支え、やがて…

貨車の色にも意味があった・追補【1】

国鉄貨車の黒は、汚れを隠し、補修を簡略化するための“沈黙の合理性”でした。だが、時代が動き、輸送の形が変わると、青15号や淡緑3号といった“異色”が現れます。それは単なる塗装ではなく、物資別適合輸送という新たな思想の象徴。黒に埋もれた貨車たちの中…

赤い尾灯を灯して貨物列車の殿を受け持った車掌車たち【16】

1994年、小倉車両所で改造されたヨ8000形は、苅田港線の推進運転用先頭車として誕生しました。朱とトリコロールの塗装は、日産自動車への配慮を込めたものでした。10年以上にわたり機回し不要の運用を支えましたが、苅田港線の廃止によりその役割を終えまし…

赤い尾灯を灯して貨物列車の殿を受け持った車掌車たち【15】

民営化後、ヨ8000形はJR九州によって電源車に改造され、非電化区間への特急「有明」乗り入れを支えました。白塗装の28000番台として活躍した後、運用終了まで7年間務めました。また、JR貨物九州支社では苅田港線の機回し問題を解決するため、ヨ8000形を先頭…

赤い尾灯を灯して貨物列車の殿を受け持った車掌車たち【14】

1985年の制度改正で緩急車の連結義務が撤廃され、ヨ8000形は制度的な役割を失いました。民営化後も一部がJR貨物などに継承されましたが、用途の縮小と老朽化により徐々に姿を消していきました。そんな中、東武鉄道に譲渡された2両は、ATS搭載車として蒸気機…

コラム:コンテナに刻まれた記憶:JR貨物とJRFマークの30年【後編】

国鉄末期の貨物輸送は使い勝手が悪く、ストライキも多発して顧客離れが進みました。JR貨物は民営化後、コンテナ輸送を主力に再構築し、JRFマークによるブランディングを展開しましたが、最終的にはJRロゴに回帰し、マークは過去のものとなりました。

赤い尾灯を灯して貨物列車の殿を受け持った車掌車たち【13】

ヨ8000形は、老朽化した車掌車の置き換えと乗務環境の改善を目的に1974年から登場した国鉄最後の量産型車掌車です。ユニット式構造により製造効率を高め、トイレやロッカーなど客車並みの設備を備えていました。全国で活躍しましたが、貨物輸送の合理化と国…

赤い尾灯を灯して貨物列車の殿を受け持った車掌車たち【12】

ヨ8000形は、老朽化した車掌車の置き換えと補充を目的に1974年から登場した国鉄最後の量産型車掌車です。特急貨物用のコキフ10000形などの設計を継承し、トイレやロッカー、手洗い器など客車並みの設備を備えました。車掌室はユニット化され、台枠にボルトで…

赤い尾灯を灯して貨物列車の殿を受け持った車掌車たち【11】

ヨ6000形はヨ5000形を基に小型化された車掌車で、ローカル線向けに設計されました。溶接構造や鋼板屋根で製造効率を高めつつ、酷寒地仕様も登場しましたが、乗務環境には課題も残りました。全国で活躍したものの、貨物輸送の縮小により1987年までに全車が廃…