2026-04-01から1ヶ月間の記事一覧
12.マルス導入と急行格上げが変えた伊豆優等列車:1965〜66年の愛称整理と実質値上げの実態 この記事をまとめると 1965年、マルス102の稼働と「みどりの窓口」開設に合わせ、伊豆方面の列車名は「あまぎ」へ統合され体系が整理された。翌1966年には残る準急…
東海道新幹線開業後も伊豆方面の直通需要は強く、国鉄は在来線優等列車を即時廃止せず存続させた。臨時特急「ひびき」廃止で余剰となった157系は準急「伊豆」に転用され、設備の豪華さから2往復が急行へ格上げされ料金も上昇。残りは「あまぎ」に組み込まれ…
東海道新幹線開業後も伊豆方面の直通需要は強く、国鉄は在来線優等列車を即時廃止せず存続させた。臨時特急「ひびき」廃止で余剰となった157系は準急「伊豆」に転用され、設備の豪華さから2往復が急行へ格上げされ料金も上昇。残りは「あまぎ」に組み込まれ…
1961年の伊豆急開業で東京〜下田直通体系が成立し、「伊豆」「おくいず」「あまぎ」が伊豆観光の主役となった。1964年の東海道新幹線開業で国鉄は乗り換え利用を促し準急削減を狙ったが、熱海・三島での乗り換え負担や料金面から直通列車の需要は依然強く、…
1961年、日光観光向けの豪華準急「日光」に使われていた157系が、東京を越えて伊東まで直通する「湘南日光」として運転を開始した。特急並みの設備を備えた異色の急行形電車が伊豆に乗り入れた背景には、日光と伊豆の観光需要を結びつける国鉄の戦略があった…
1959年、伊豆準急に80系の後継として新性能電車153系が投入された。カルダン駆動と空気ばね台車により高速性能と乗り心地が向上し、10両+5両の長大編成で伊東・修善寺へ直通した。二等車は「並ロ」を採用し、等級制の名残も見られた。同年、駿豆線が600Vか…
1953年に「あまぎ」は「伊豆」と改称され、翌年には「伊豆」と「いでゆ」が正式に定期列車となった。さらに新宿発着の新「あまぎ」も登場し、伊豆方面の準急は急増した。観光需要の高まりで利用者が殺到し、準急券の売れすぎによる混雑や座席確保の問題が深…
1950年、80系電車で運転された準急「あまぎ」は東京―熱海間を1時間29分で結び、客車列車より33分も速く“湘南特急”と呼ばれた。14両の長大編成で伊東・修善寺へ直通し、三島では1500Vと600Vを切り替える独特の転線作業も行われた。好評を受けて「いでゆ」「は…
80系電車は「湘南形」として知られ、戦後の輸送逼迫を背景に国鉄が開発した長距離用電車だった。従来の電車とは異なり全席クロスシート中心の設備と高い加速性能を備え、客車に匹敵する快適性を実現した。GHQの制約下で横須賀線用名目で製造されたが、湘南準…
戦後、旅客輸送は復員や買い出し客で逼迫したが、1949年に東京―伊東間で準急が復活し、観光輸送再開の象徴となった。準急料金が設定され、湘南準急「いでゆ」として愛称も付与されるなど国鉄の期待は大きかった。さらに修善寺直通も再開され、1950年には最新…
国鉄末期、一般公開で賑わう新鶴見機関区の片隅に、廃車前提で留置されたDD13 346号機が静かに佇んでいた。広島・内郷・水戸・新鶴見と各地で入換機として活躍しながら、合理化の波で淘汰対象に。しかし解体を免れ、京葉臨海鉄道KD55 103として再出発し、現…
西伊豆の玄関口である沼津には、三島から修善寺へ向かう駿豆鉄道が開通し、1933年には東京から修善寺直通の列車も運転された。1934年の丹那トンネル開通により東海道本線は海岸ルートへ移り、準急列車も沼津まで延長され伊豆観光はさらに発展した。しかし日…
伊豆半島は山が海岸近くまで迫る険しい地形のため、東西移動が難しく交通の便が悪かった。特に南伊豆では鉄道開通が長年の悲願だった。東海道本線は丹那山の難工事を避け御殿場経由で開業したが、1920年に国府津―熱海間が開通し、熱海が伊豆の玄関口に。1928…
年度末はどの仕事も忙しく、鉄道マン時代の筆者も年末の繁忙期やダイヤ改正準備で慌ただしい日々を過ごしてきた。疲れを癒やすには温泉が恋しくなるが、近年の箱根は外国人観光客で混雑と高騰が進むため、落ち着いて過ごせる伊豆の温泉地に惹かれるようにな…
国鉄分割民営化により、橋桁設置用の超重量級操重車ソ300形は扱いが課題となり、2両ともJR東日本に継承された。田町電車区に配置されつつ神奈川工事区が運用を担い、しばらくは活用されたが、運用の煩雑さと保線機械の進歩により次第に出番を失う。製造から4…