国鉄
夢の超重量列車を目指したEF200形の挫折。その反省から生まれた実用電機・EF210形は、やがて補機の役割も担う300番台へと進化する。瀬野八の急勾配を越える“赤い補機”EF67形の後を継ぎ、補機専用機という国鉄以来のカテゴリーは静かに幕を下ろした。2025年、…
14系500・550番台の改造内容と急行「はまなす」初期運転を解説。5両編成、ED79形、DD51形、電源供給や併結対応を紹介します。
青函トンネル開通と津軽海峡線開業により、本州・北海道連絡輸送は船から鉄道へ転換。青函連絡船時代の課題と快速「海峡」を解説します。
一度書き始めると、どうしても「あれも書こう」「これも書こう」なんて欲張ってしまうので、ついつい話が長くなってしまいます。 今回の「かいもん」のお話も一回で終わらせるつもりが・・・気付いたら、2回跨がってしまいました。 いやはや、悪い癖なのかも知…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■183・189系無き後は国鉄形最後の特急形185系 167系の後継として集約臨輸送を担った183・189系も、時の流れとともに老朽化・陳腐化が著しくなっていきました。2003年から10年の間にわたって多くの小学生を…
キニ28形・キユニ28形は国鉄が最後に製作した郵便・荷物気動車で、新聞輸送などに活躍しました。急行「土佐」や「紀州」などに併結されましたが、宅配便の台頭や急行列車の削減により運用機会が減少し、短期間で役目を終えることになりました。
カートレイン九州の成功に沸いた国鉄は、1986年に「カートレイン名古屋」を投入。熱田駅から東小倉駅まで、自家用車とともに旅する新たな夜行列車だった。乗客車両にはユーロライナー、車載には改造されたマニ44形を使用。だが、車両制約や収益配分の不均衡…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 「魔法瓶」という言葉を知っている方は、恐らく筆者と同年代の方か、あるいは諸先輩方かと思います。子どもの頃、遠足などで水筒を持っていくと、よく母から「水筒を落とさないように気をつけな…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 筆者が鉄道職員として門司機関区で働いていた頃、DD51形の交番検査に携わったことがあります。交番検査とは、鉄道車両に義務付けられた検査の一種で、国鉄形の場合、全般検査から90日ごとまたは…
1970年代後半、老朽化と過酷な冬に苦しむキハ82系に代わり、北海道の鉄路を走るために誕生したのがキハ183系です。粉雪の着雪を防ぐスラントノーズ、4灯の標識灯、発電用エンジンの冷却機器配置など、すべてが“冬と長距離”を見据えた設計でした。先代の課題…
1986年に誕生したキハ183系は、北海道の都市間輸送を支える特急用気動車として活躍し続けました。厳しい気候と過酷な運用の中、N183系・NN183系と姿を変えながら走り続け、2023年にすべての定期運用を終了。翌年、全車が廃車となり、45年にわたる歴史に幕を…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■国鉄形淘汰のあとを継いだE257系 2020年をもって集約臨から185系が退くと、その後継として特急「踊り子」と同じく、E257系が就くことになりました。 E257系は2001年から中央東線の特急「あずさ」「かいじ…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■再び積載量を増したワフ29000 戦後になって製造されたワフ22000は、車掌室重視の設計だったため、積載荷重は2tに抑えられ、貨物の積載量は小さいものになりました。乗務する車掌にとって、ワフ22000はあ…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 日本車輌で製造されたタム9800形は、1973年11月に試作車となるタム9600が登場します。初めての「魔法瓶」タンク車でもあったので、基本的な試験や実際にLNGを積載して輸送する試験などがおこなわれ、問題…
ヨ8000形は、老朽化した車掌車の置き換えと乗務環境の改善を目的に1974年から登場した国鉄最後の量産型車掌車です。ユニット式構造により製造効率を高め、トイレやロッカーなど客車並みの設備を備えていました。全国で活躍しましたが、貨物輸送の合理化と国…
1994年、小倉車両所で改造されたヨ8000形は、苅田港線の推進運転用先頭車として誕生しました。朱とトリコロールの塗装は、日産自動車への配慮を込めたものでした。10年以上にわたり機回し不要の運用を支えましたが、苅田港線の廃止によりその役割を終えまし…
《前回からのつづき》 キハ82系の登場により、それまで特急列車が設定されてなかった地方亜幹線にも進出し、非電化区間のスタートもいえる存在になりました。しかし、キハ82系が搭載したDMH17系エンジンの非力さは当初から課題となっていたため、運用できる…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 筆者が幼い頃、貨物列車には多種多様な貨車が連結されていたことは、既に何度もお話させていただいています。その多様な貨車の中でも、車掌車や緩急車はどうしても惹かれる存在で、それに乗って…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 開発当初は電化区間のみで運用することを想定していたため、カバーを掛ける計画はなかったようです。これは、蒸気機関車が吐き出す煤煙が新車である積荷にかかる心配がなかったためですが、実際には電化区…
《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 国鉄初の制式ディーゼルエンジンであるDMH17は、出力180PSと非力ながらも、それなりに使うことができました。このDMH17を2基搭載して開発されたのがDD11でした。さらに戦後、進駐してきた米軍が持ち込んだ…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■○○駅常備 国鉄・JR貨物の貨車は、基本的には所属する区所というのはなく、全国各地で配車・運用されることが基本でした。これは、貨車1両単位で貨物輸送をしていた時代からの流れで、例えばA駅に貨物輸送…
《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1960年に国鉄が設計、製造したEF60形は、直流電機としては初めてのF級新性能電機でした。2軸ボギー台車を3台装着し、従来の電機にあった先輪をなくした構造は、ED60形などD級機から受け継いでいましたが、…
いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 鉄道貨物輸送が華やかし頃、実に様々な物を貨車に載せて運んでいました。今では到底考えられないような物まで、貨車に乗せて運ぼうとする試みは古くからあり、中には発想こそはよかったけれど、…
毒性の高い液化塩素を運ぶタキ5450形は、黄色に塗られた異色の貨車でした。黒が支配する国鉄貨物の中で、その鮮烈な塗色は危険物輸送の緊張感を象徴していました。中和装置を備え、理科の知識が命を守る装備も搭載。696両もの車両が日本の工業を支え、やがて…
瀬野八──25パーミル、10kmの急勾配。そこに挑んだのは、旧型電機から生まれ変わったEF59形。走行中に解放される補機という異例の運用に応えるため、空気管付き密着連結器、自動解錠装置、そして警戒色の塗装まで施された。視認性、保安性、すべては“安全に押…
《前回からのつづき》 もっとも、415系は主に関門トンネル区間を注したとした運用が多かったので、かつてのような中距離を走る列車に充てられることも少なくなっていました。そうした運用は転換クロスシートを備えた後継である811系や813系などが担っていた…
213系は国鉄が最後に設計した新系列で、財政破綻寸前の中でも新会社の負担軽減を目的に最新技術を導入して製造された“最後の国鉄形”だった。ステンレス車体やボルスタレス台車など私鉄並みの新技術を採用し、民営化後のJR各社の経営を支えた存在である。登場…
1949年に「銀河」として運転を開始した第15・16列車は、一等寝台と二等座席のみの編成で、急行としては異例の“上等車だけの夜行列車”だった。しかし庶民が利用できず批判が殺到し、わずか10日で三等座席車を含む13両編成へ変更。その後も寝台車の需要に応じ…
1954年の洞爺丸事故と青函トンネル構想の関係を解説。青函連絡船の悲劇が津軽海峡を鉄道で越える計画を動かした経緯を紹介します。
急行「はまなす」の誕生と14系500番台客車を解説。青函連絡船深夜便の代替、北斗星・はつかりとの違い、北海道仕様を紹介します。