旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

客車

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北へ向かった最後の夜行急行――急行「はまなす」の記憶【第6回】

14系500・550番台の改造内容と急行「はまなす」初期運転を解説。5両編成、ED79形、DD51形、電源供給や併結対応を紹介します。

北へ向かった最後の夜行急行――急行「はまなす」の記憶【第4回】

青函トンネル開通と津軽海峡線開業により、本州・北海道連絡輸送は船から鉄道へ転換。青函連絡船時代の課題と快速「海峡」を解説します。

寝台急行「銀河」の歴史|東海道を駆け抜けた名門列車の足跡と2008年の終焉【3】

1949年に「銀河」として運転を開始した第15・16列車は、一等寝台と二等座席のみの編成で、急行としては異例の“上等車だけの夜行列車”だった。しかし庶民が利用できず批判が殺到し、わずか10日で三等座席車を含む13両編成へ変更。その後も寝台車の需要に応じ…

北へ向かった最後の夜行急行――急行「はまなす」の記憶【第5回】

急行「はまなす」の誕生と14系500番台客車を解説。青函連絡船深夜便の代替、北斗星・はつかりとの違い、北海道仕様を紹介します。

役割は地味だけど「花形」の存在だった電源車たち【4】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■分割編成に使われた旧型客車改造の簡易電源車 マヤ20 登場当時は国鉄の「虎の子」ともいえた20系は、徐々にその数を増やしていき、東京−九州間の寝台特急をはじめ、関西−九州間の寝台特急などにも使われ…

役割は地味だけど「花形」の存在だった電源車たち【10】終章

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■首都圏対北海道の寝台特急に新たな風を吹き込んだE26系 カハフE26 国鉄時代から分割民営化後、長きに渡って青色の塗装を身にまとった客車が長距離夜行特急列車、いわゆる寝台特急として運用されてきまし…

北へ向かった最後の夜行急行――急行「はまなす」の記憶【第3回】

1954年の洞爺丸事故と青函トンネル構想の関係を解説。青函連絡船の悲劇が津軽海峡を鉄道で越える計画を動かした経緯を紹介します。

この1枚から 「はやぶさ」、それはかつて寝台特急だった【後編】

前回のつづきから blog.railroad-traveler.info blog.railroad-traveler.info 分割民営化後、「はやぶさ」にはさっそく利用者を増やすべく、改善策が施されました。それまでB寝台は開放式が当たり前でしたが、利用者の意識が変わってきたことで、個室の需要…

さらば「ムーンライトながら」 〜大垣夜行345Mの思い出〜【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 当時の列車番号は345M で、165系で組成された列車でした。 深夜の川崎駅に滑り込んできた165系の345Mには、すでに大勢の人が乗っていて、とてもではないが座席に座ってくつろいで乗るような列車ではなかっ…

期待された救世主のはずが 短命に終わった悲運の客車【1】

いつも拙筆のログをお読みいただき、ありがとうございます。 1987年の国鉄分割民営化はまさに、日本の鉄道にとって「天変地異」にも等しい大事件といえるものでした。1872年に当時の新橋駅−横浜駅(旧汐留駅−桜木町駅)間に日本で初めて鉄道が開業する前年に…

期待された救世主のはずが 短命に終わった悲運の客車【5】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1987年に国鉄が分割民営化され、旅客会社6社と貨物会社1社、さらに付帯する事業を営む2社と財団法人1法人に事業が継承されますが、50系は製造からの経年が浅すぎたため、そう簡単に余剰廃車とすることはで…

役割は地味だけど「花形」の存在だった電源車たち【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 「電源車」という車両をご存じの方は、おそらく筆者と同世代に近い方や諸先輩方、そして熱心に研究されておられる方かと思います。筆者がこの「電源車」という言葉を初めて耳にしたのでは、鉄道…

役割は地味だけど「花形」の存在だった電源車たち【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 1958年に登場した20系客車は、それまでの国鉄客車の常識を大きく覆すものでした。 もっとも大きな違いは、従来は客車1両単位で運用することを前提とした設計思想であったのに対し、20系は編成単位で運用す…

役割は地味だけど「花形」の存在だった電源車たち【7】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■増備車は荷物室をさらに拡大 カニ24 100番代 24系25形は二段式寝台を備えたことから、居住性が従来の寝台車と比べて格段に改善されたことが好評だったようで、分割併合を伴う多層建て列車を除いて、三段…

役割は地味だけど「花形」の存在だった電源車たち【9】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■電化区間でパンタグラフからの給電を再び スハ25 300番代 24系に限らず、客車の電源車は電化区間においては電化方式に、そして非電化区間に左右されることなく客車に電源を供給する役割を担っていました…

寝台急行「銀河」の歴史|東海道を駆け抜けた名門列車の足跡と2008年の終焉【5】

1953年の二等級制移行により、従来の一等・二等・三等は再編され、車両記号も「ロ」「ハ」へ統一された。1955年には軽量客車10系が「銀河」に投入され、翌1956年には旧三等に相当する二等寝台車ナハネ10形が登場し、庶民も利用できる夜行寝台が実現した。ナ…

寝台急行「銀河」の歴史|東海道を駆け抜けた名門列車の足跡と2008年の終焉【11】

1985年、「銀河」は老朽化した20系から14系へ置換えられ、寝台幅が広がり居住性が向上した。同年のつくば科学万博では大量輸送が必要となり、国鉄は全国から車両をかき集め、583系や気動車まで常磐線の臨時列車に投入した。背景には波動用車両の廃車進行や財…

北へ向かった最後の夜行急行――急行「はまなす」の記憶【第2回】

急行「はまなす」の前史として、青森と函館を結んだ青函連絡船の役割、車両渡船の仕組み、戦時中の被害と戦後復旧を解説します。

この1枚から 青色に白帯を巻いた客車

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 筆者がまだ小学校に入学した頃、たまに家族で川崎駅にある駅ビル(現在は「アトレ」になっています)の食堂で夕食を食べに行ったことがありました。あまり裕福ではなかったので、こうした外食は…

この1枚から 伝統の九特「富士」それは歴史の中に【1】

新年あけましておめでとうございます。 昨年は多くの方にご愛顧いただき、ありがとうございました。本年も、変わらぬご愛顧いただきますとともに、ご指導ご鞭撻のほどお願いいたします。 さて、新年といえば縁起物です。その中でもめでたいというか、日本を…

悲運の貨車〜経済を支える物流に挑んだ挑戦車たち〜 番外編・見た目は貨車でも分類は客車 期待に応えることなく数年で儚く散ったマニ44【2】

〈前回からの続き〉 blog.railroad-traveler.info マニ44は1978年から製造が始められました。 既にこの頃の国鉄は、財政事情は火の車の状態でしたが、老朽化が激しくなった旧型の荷物車をそのまま運用し続けることは、補修用部品の入手も困難になり、検修の…

この1枚から 国鉄車両の近代化の礎となった10系【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 鉄道車両というのはとかく重量が嵩んでしまうものです。それは、車体や台枠を構成する材料であったり、内装に使われる部材であったり、あるいは乗客が快適に旅行するための設備であったり、実に…

この1枚から 国鉄車両の近代化の礎となった10系【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 特筆されるのは、オユ10やオユ12といった郵便車にも、この構造が使われたことでしょう。これら郵便車は、国鉄に車籍を置く客車ですが、所有は郵政省のものです。製造のための予算も国鉄のものではなく、郵…

期待された救世主のはずが 短命に終わった悲運の客車【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 豪華な設備を誇る特急用客車として20系が増備され、夜行特急列車は順次これに置き換えられていく一方、急行列車や普通列車は相変わらずスハ43系を中心とした車両によって運転されていました。国鉄が開発し…

役割は地味だけど「花形」の存在だった電源車たち【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■パンタグラフを装備した電源車 カニ22 国鉄客車の電源車と言えば、ディーゼルエンジン+発電機を組み合わせた発電セットを搭載した車両というのが定番でした。しかし、ディーゼルエンジンを稼働させるた…

役割は地味だけど「花形」の存在だった電源車たち【8】

《前回からのつづき》 ■余剰車の荷物車から転身した異色の電源車 マニ24 500番代 1987年の国鉄分割民営化から魔もない翌年の1988年、四半世紀強の長い時間と難工事の末に青函トンネルが開通し、この年から開業した津軽海峡線によって本州と北海道は鉄道で結…

寝台急行「銀河」の歴史|東海道を駆け抜けた名門列車の足跡と2008年の終焉【1】

戦前の日本では鉄道が長距離移動の中心で、特急は一等・二等中心の特別な存在だった。一方、庶民が利用できたのは三等車を多く連結した急行列車で、夜行移動も座席が主流だった。等級制や特急文化は、のちに急行「銀河」へとつながる夜行列車の基盤を形づく…

寝台急行「銀河」の歴史|東海道を駆け抜けた名門列車の足跡と2008年の終焉【2】

戦前の東京―大阪間を走った急行17・18列車は、一等・二等のみで構成された“名士列車”だった。戦時中に運行は中止され、終戦後は車両の接収や混乱の中で旅客需要が急増。1947年に急行103・104列車として復活し、のちに列車番号変更を経て1949年に「銀河」と命…

寝台急行「銀河」の歴史|東海道を駆け抜けた名門列車の足跡と2008年の終焉【6】

1960年代に入り国民所得が向上すると、夜行列車では座席より寝台を求める利用者が急増し、1961年に「銀河」は座席車を廃止して全車寝台化された。一等寝台に加え、ナハネ10・11形など10系二等寝台車が主体となり、名実ともに寝台急行へ進化。1964年にはビュ…

寝台急行「銀河」の歴史|東海道を駆け抜けた名門列車の足跡と2008年の終焉【7】

1966年、急行「銀河」の二等寝台車は10系オハネ17形から、戦後改造のスハネ30形へ置き換えられた。10系の製造が追いつかず、旧型客車を改造して需要を補ったためである。三段式寝台は狭く居住性は低かったが、当時の体格や運賃事情から許容されていた。1968…