旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく「国鉄形」

消えゆく「国鉄形」 痛勤ラッシュを支え続けて【2】

「通勤形電車」とは ここで、少しだけ通勤形電車のルーツに触れておきましょう。 通勤形電車の元祖というと、戦時中に開発された63系電車に遡ることができます。戦前につくられた電車にも、同じような設備をもったものがありましたが、それらは通勤形という…

消えゆく「国鉄形」 痛勤ラッシュを支え続けて【1】

はじめに ついこの間まで「当たり前の景色」だったのが、気がついたらすっかり変わってしまっていた、なんてことは多いと思います。特に、日常生活に追われていると、周りのことなど気にする余裕もなくせばなおさらです。 私の身近にある電車もそうでした。 …

消えゆく「国鉄形」 数奇な運命を辿った急行形【7】最終章

しかし、さすがに若い頃は高速で長距離を走ってきた無理もたたり、後年は短距離が中心になったとはいっても老朽化が進行してきたことや、北陸新幹線の金沢開業によって金沢-直江津間が第三セクターへ移行したこともあり、ついに2015年に413系電車と組んでい…

消えゆく「国鉄形」 数奇な運命を辿った急行形【6】

こんな華やかな時代を謳歌した急行列車も、1985年までに廃止が相次いだために、451・471系電車をはじめとする交直流両用の急行形電車も本来の仕事を失いました。仕事は失ったといっても、製造から古くても24年しか経っていないので、そのままお払い箱になっ…

消えゆく「国鉄形」 数奇な運命を辿った急行形【5】

451・471系電車を始祖とする交直流両用の急行形電車は、1961年に登場以来、24年でその役目を失ったことになります。他方、特急用として登場した481系電車を始祖とする交直流両用の特急形電車は、時代が変わっても特急列車として走り続けるその役割は変わらず…

消えゆく「国鉄形」 数奇な運命を辿った急行形【4】

1980年代に入ると東北の急行列車は次々に特急への格上げとともに廃止や削減が続いていきました。そして1982年に東北新幹線が大宮-盛岡間で開業をすると、特急列車のみならず急行列車を含めた長距離列車は大幅に減らされていきました。 前回までは blog.rail…

消えゆく「国鉄形」 数奇な運命を辿った急行形【3】

1968年のダイヤ改正、いわゆる「ヨン・サン・トオ」と呼ばれる白紙ダイヤ改正では、数多くあった急行列車の愛称が整理されるとともに、それまで走っていた準急列車が急行列車へ統合されていきます。急行列車自体は増発にも見えますが、一方で一部の急行列車…

消えゆく「国鉄形」 数奇な運命を辿った急行形【2】

こうして、急行列車のサービス改善を果たした153系電車が活躍する一方、他の地方線区は旧来の客車列車のままでした。東京・名古屋・大阪といった大都市圏を結ぶ列車が最新鋭の車両で運転されているのを、地方が黙って見逃すわけがありません。当然、地方都市…

消えゆく「国鉄形」 数奇な運命を辿った急行形【1】

人は生まれながらにして背負った運命というものがあるのかと思うことがあります。とにかく苦労の連続を強いられる人もいれば、裕福な家に生まれて先代の後継者に、本人の意思も関係なく決められていて自由のない人などなど。 それは鉄道車両も同じことで、開…

消えゆく「国鉄形」 別れ別れになった兄弟たち【6】最終章

2009年のダイヤ改正で、ついに東京-九州間の寝台特急列車は長い歴史幕を閉じました。それと同時に、下関の車両たちは定期の運用を失います。仕事を失った車両たちは当然余剰として扱われ、10両のうち8両がその年に廃車となりました。1986年に花形の運用を手…

消えゆく「国鉄形」 別れ別れになった兄弟たち【5】

需要が増えればそれに応えて列車を増発しなければなりません。しかも、できれば高速で、1列車あたりの連結両数も多ければ多いことが望まれます。そうなると、手持ちのEF66形では足りず、かといってEF65形では力不足も予想されます。EF66形登場前夜の特急貨物…

消えゆく「国鉄形」 別れ別れになった兄弟たち【4】

そんな高速で重量のある貨物列車を牽くことを至上命題に誕生したEF66形に大きな転機が訪れます。 貨物列車としての花形の仕事が次々に失われていた1985年、あろうことか東京-九州間の寝台特急の先頭に立つという仕事が舞い込んできました。これには私も驚き…

消えゆく「国鉄形」 別れ別れになった兄弟たち【3】

こうして従来の機関車と一線を画する性能とデザインを与えられたEF66形は、1968年に量産機となる1号機~20号機が製造され、下関をねぐらに活動を開始します。 前回までは blog.railroad-traveler.info 最初の仕事はもちろん、特急貨物列車の牽引でした。EF66…

消えゆく「国鉄形」 別れ別れになった兄弟たち【2】

EF66形もまた貨物列車の課題解決のために開発されました。 当時の貨物列車は、特急貨物列車でも最高速度が85km/hが限度で、汐留(東京)-梅田(大阪)間を結ぶコンテナ貨物列車は10時間55分の所要時間がかかっていました。 これを、最高運転速度を一気に100…

消えゆく「国鉄形」 別れ別れになった兄弟たち【1】

数ある鉄道車両の中には公式・非公式ともに、愛称をつけられるものも少なくありません。その由来は車両の性能からつけられたものや、特徴的な形状からつけられるもの、あるいは看板列車として走ることを運命づけられてつけられるものなどなどたくさんありま…

消えゆく「国鉄形」 老いてもなお「冬の生活」を支え続ける【後編】

1987年の分割民営化で、全車がJR貨物に車籍が継承され、国鉄時代と変わらぬ石油製品を運び続けていきます。ところが、1989年から再び製造が再開されました。旧式化した在来のタンク車の置換用として製造されたグループは、さらに改良がおこなわれて積載荷…

消えゆく「国鉄形」 老いてもなお「冬の生活」を支え続ける【前編】

前回の「目立つことなく縁の下を支えた「山男」たち」で取り上げたEF64形電機機関車の話の中で、彼らが牽き続けた中央本線の石油輸送列車は、後継のEH200形電機機関車に代わっても変わることなく運転されています。 その石油輸送列車のもう一つの主役……いえ…

消えゆく「国鉄形」 目立つことなく縁の下を支えた「山男」たち【後編】

分割民営化で79両中68両が貨物会社へ、残りは旅客会社へ引き継がれました。 やはり、貨物列車がその仕事の中心で、国鉄時代と変わらずコンテナ貨物列車や、首都圏から信州への石油輸送列車を牽き続けます。こうした仕事は、後継のEH200形電機機関車が登場す…

消えゆく「国鉄形」 目立つことなく縁の下を支えた「山男」たち【前編】

仕事の中には人目に触れて目立つものと、目立たつことはないけどなくてはならない存在になるものとがあると思います。 例えば、運動会では徒競走(最近では全力走という言い方に変わってきていますが)でピストルを撃つ「出発係」というのは、子どもたちから…

消えゆく「国鉄形」 海底トンネルを走り続けた銀釜

ダイヤ改正が行われる度に、長年走り続けてきた「古き良き」車両たちが姿を消していきますが、やはり「時代の流れ」なのでそれはそれで如何とし難いものがあります。 まあ、古い車両ほど電気代はかかるし、交換用の部品も底をつき始めていますし、色々な意味…

消えゆく「国鉄形」 極寒・北の大地を駆け抜けたディーゼル特急

2018年のダイヤ改正まで残すところ2日になりました。 ダイヤ改正の度に、列車の増発や運転時間の見直しなど、利用者のニーズに合わせたダイヤになるようにするとともに、できるだけ効率のよい運用ができるように、各社のダイヤ担当者は苦心しているようです。…

消えゆく「国鉄形」 首都圏から去って行く湘南色

3月17日のダイヤ改正で去りゆく車両たちの中でも、この電車を知る人は多いのではないでしょうか。 ほんの少し前まで、東海道本線でも見かけた濃緑色と橙色のツートンカラーの電車。湘南色と呼ばれる塗装で、多くの人には「かぼちゃ電車」という名前で呼ばれ…

消えゆく「国鉄形」 さらば特急電車

旅行に行ったときの思い出はたくさんありますが、それが仕事となるとまた違ったタイプの思い出になります。まあ、良くも悪くも・・・なんですが(;´Д`) 列車で出かけると、新幹線よりも特急列車によく乗りました。まあ、それもそのはずで、今のように新幹線が…

消えゆく「国鉄形」 去りゆく“縁の下の力持ち”

「鉄分」の濃い方はご存知とは思いますが、2018年3月17日にJRはダイヤ改正を行います。通勤など日常生活の中で鉄道を利用されている方は、「毎日乗っていた列車が速くなった」とか「便利な時間の列車がなくなった」などなど、いろいろな影響を受けることもあ…