旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

鉄道

西武鉄道「サステナブル」車両の導入候補決まる 歴史を乗り越えた【7】

《前回のつづきから》 20m級大型車を運用する大手私鉄は、関東では東武鉄道と小田急電鉄、東急電鉄、そして相模鉄道があります。この中で、東武鉄道は8000系という抵抗制御車を運用していることから、車両譲渡を希望しても応えてもらえる可能性は皆無といっ…

西武鉄道「サステナブル」車両の導入候補決まる 歴史を乗り越えた【6】

《前回のつづきから》 ■ 2015年に国連総会で採択された「持続可能な開発目標」、いわゆるSDGsは国や個人、法人を問わず、その目標達成に向けてあらゆる努力をしていくことになります。日本の鉄道事業者も例外ではなく、企業イメージも相まって様々な施策を進…

西武鉄道「サステナブル」車両の導入候補決まる 歴史を乗り越えた【5】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1977年から製造された2000系は、西武初の界磁チョッパ制御車でした。しかし、この2000系をもって抵抗制御車を淘汰することには至らず、それどころか1993年から製造が始められた9000系は101系の廃車発生品…

西武鉄道「サステナブル」車両の導入候補決まる 歴史を乗り越えた【4】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ■西武が「サステナブル車両」という他社車両を譲受する背景 西武鉄道は、戦後間もない頃から国鉄の戦災国電や廃車発生品を大量に払い下げを受けて、車両の近代化と拡充を図ってきました。1946年に開設した…

西武鉄道「サステナブル」車両の導入候補決まる 歴史を乗り越えた【3】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ■争いの歴史を乗り越えて協力関係を築く 箱根山戦争や伊豆戦争と呼ばれた、関東大手私鉄同士の企業間競争は1960年代に入ると徐々に収束していきました。さすがに熾烈を極め、しかも法廷闘争の泥試合をよし…

西武鉄道「サステナブル」車両の導入候補決まる 歴史を乗り越えた【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 戦前から戦後間もない頃まで、芦ノ湖の遊覧船事業は西武グループの駿豆鉄道が一社で担っていましたが、1950年になると箱根方面への観光輸送に力を入れていた小田急電鉄と箱根登山鉄道は、芦ノ湖の湖上航路…

西武鉄道「サステナブル」車両の導入候補決まる 歴史を乗り越えた【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 世の中には、時として「度肝を抜かれる」ほど驚かされることがあります。「あり得ない」「本当か?」などと思わず口にしてしまう程のことで、何にせよ、それまでの常識を言葉通り打ち破るほどの…

なぜ超低床コンテナ車を追求し続けるのか【7】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ここからは筆者の私見になります。 筆者が鉄道職員時代に、コキ70やコキ71が製作された時に考えたのは、どうしてそこまで小さい車輪の台車を使った設計に拘ったのか、ということでした。確かにFT11系列の…

なぜ超低床コンテナ車を追求し続けるのか【6】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 超低床貨車の最大のメリットは、ISO規格の海上コンテナの中でも、ハイキューブコンテナと呼ばれる高さ6ft9in、2,896mmのコンテナを載せ、建築限界に支障することなく鉄道で輸送できることです。 その反面…

なぜ超低床コンテナ車を追求し続けるのか【5】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 本来ならこの特殊な超低床貨車を新たに開発・製作する前に運用を予定していた区間での建築限界を測定するのが先でした。しかし、現実には建築限界の測定は後回しにされ、試作車が登場したあとに測定結果が…

なぜ超低床コンテナ車を追求し続けるのか【4】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1994年に、JR貨物は新たな超低床貨車となるコキ71形を開発しました。「CAR RACK」と呼ばれる自動車積載用の特殊な構造をしたコンテナであるUM20A形30000番台を載せ、往路は自動車を、復路はJR規格の12ftコ…

なぜ超低床コンテナ車を追求し続けるのか【3】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info コキ100系は従来の国鉄形コンテナ車よりも、床面高さを100mm低くしました。この100mm=10cm低くしたことで、JR規格コンテナよりも95mm高いISO規格コンテナの積載を可能にし、海上コンテナの鉄道輸送を実現…

なぜ超低床コンテナ車を追求し続けるのか【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info JR貨物が主力と位置づけるコンテナ輸送では、利用客に提供するコンテナはすでにお話してきた通り、国鉄時代に制定された12ft5トンコンテナでした。対するISO規格コンテナは20ft10トンコンテナが主力だった…

なぜ超低床コンテナ車を追求し続けるのか【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 筆者が鉄道職員時代、「この問題を解決できれば、社長賞ものだ」と言われていたことがあります。本社技術部に集う優秀な技術者たちをもってしても、長年解決できない「難問」の一つとして、超低…

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜 【番外編】4年でお役御免になった悲劇の郵便車【6】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info そして、1986年3月1日、国鉄最後のダイヤ改正を控えて、郵政省は鉄道による郵便輸送を全廃し、すべてトラック便などへ移行させました。これによって、クモユ143もすべての運用から退き用途を失い、1982年9…

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜 【番外編】4年でお役御免になった悲劇の郵便車【5】

《前回からのつづき》 クモユ141の登場から15年がたった1982年、それまで長野地区では郵便車を併結した列車は客車によって運行していましたが、電車へ置き換えることが決まりました。そのため、クモユ141と同様に電車化に際して併結ができる車両が必要となり…

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜 【番外編】4年でお役御免になった悲劇の郵便車【4】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■たった4年で形式消滅した郵便電車 クモユ143 鉄道による郵便輸送は、その多くが客車列車(荷物列車)によって行なわれていましたが、一部は電車列車によるものもありました。 電車の場合、客車と異なり自…

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜 【番外編】4年でお役御免になった悲劇の郵便車【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■郵便客車の中でもっとも薄幸だったスユ15 郵便車と一言で言っても、その形態は輸送方法によって大きく2つに分けられていました。 鉄道郵便局に運び込まれた郵便物を、郵袋ごと郵便車に載せ、車内で鉄道郵…

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜 【番外編】4年でお役御免になった悲劇の郵便車【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 郵便車は大きく分けて、客車と電車、そして気動車がありました。 客車は国鉄のもっとも古くからある列車の運行形態で、その形式は数多くありました。戦前の20m級鋼製客車であるスハ32系では、区分室を備え…

悲運の貨車〜物流に挑んだ挑戦車たち〜 【番外編】4年でお役御免になった悲劇の郵便車【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 物流と一言でいうと、多くは貨物輸送を指すと思います。コロナ禍で急激に伸張したネットショッピングでは、宅配便を中心にした貨物輸送が旺盛になりました。また、それだけでなく、原材料や製品…

ヒューマンエラーを防ぐために【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info コンピュータで作成した図面と積算見積は、すべて紙に印刷してから確認を受けました。主任や助役が印刷されたものを1つ1つ確かめ、特に積算見積は数値に誤りがないか、計算が正しくされているかを赤鉛筆と…

ヒューマンエラーを防ぐために【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 筆者は残念ながら、鉄道職員時代は運転系統ではなく、技術系統に配属されていました。あまり目立たず、そして知る人も少ない職種ですが、安全輸送を支えるという点においては、運転や車両と並んで重要な仕…

ヒューマンエラーを防ぐために【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 最近、ほんの些細なヒューマンエラーから起こる事故が多いような気がします。ちょっとした確認をすれば、そのような事故は防ぐことができたにも関わらず、確認を怠ったがゆえに大騒ぎになったり…

気動車の新時代到来を告げたキハ85系【8】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■特急「南紀」への運用拡大とその終焉 同じJR東海が運行する名古屋発着の南紀方面の優等列車である特急「南紀」もまた、国鉄から継承したキハ80系によって運行されていました。 特急「南紀」の歴史は意外…

気動車の新時代到来を告げたキハ85系【7】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■特急「ひだ」への投入 1989年に登場したキハ85系は、名古屋−富山間を高山本線経由で結ぶ「ひだ」3・6号の運用に充てられました。最初は1往復のみの運用でしたが、すぐに増備車も登場して、翌1990年にはす…

気動車の新時代到来を告げたキハ85系【6】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info ■接客設備も大きく変わったキハ85系 キハ85系は客室の設備も大幅に変わりました。 特急列車は多くの人が長距離・長時間の乗車をする傾向があります。座席の座り心地が悪くては、せっかくの新型車両も評価…

気動車の新時代到来を告げたキハ85系【5】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■高効率エンジンDMF14と新型特急用気動車の登場 1989年に登場したキハ85系は、JR東海の経営方針や運用する線区の実態に最適化され、国鉄時代とはまったく異なる設計思想で開発された特急用気動車でした。 …

気動車の新時代到来を告げたキハ85系【4】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■国鉄分割民営化による鉄道用ディーゼルエンジンの転機 1987年の国鉄分割民営化は、国鉄が脈々と受け継いできたあらゆることに大きな転機をもたらしました。列車の運行形態やサービス面で、利用者の目にわ…

気動車の新時代到来を告げたキハ85系【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■新たな高出力エンジンへの再挑戦 キハ60とDMF31HSAの失敗によって、いましばらくはDMH17系を使い続けることを余儀なくされたかに見えましたが、国鉄は気動車用の強力エンジンを諦めることはなく、さらな…

気動車の新時代到来を告げたキハ85系【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info ■高出力エンジン開発への挑戦と失敗 国鉄は1960年にキハ60系と呼ばれる準急用気動車を試作しました。 このキハ60系は、国鉄が悲願としていた大出力エンジンの試作車で、車体外観は既に量産されていたキハ5…