旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

電気機関車

この1枚から 最後まで残った前期形のPF・EF65 1037【3】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 国鉄の分割民営化が具体的になった頃、1037号機に大きな転機が訪れます。1986年のダイヤ改正では、翌年に控えた新会社への移行を見据えた大規模な車両の配置転換が行われました。1037号機もその対象となり…

この1枚から 最後まで残った前期形のPF・EF65 1037【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 上越線での活躍は、1037号機にとってはうってつけの役目だったといえるでしょう。それまで上越線の貨物列車の先頭に立っていた500番代F形は、特急貨物列車を牽くための特殊装備はもっていたものの、基本的…

この1枚から 最後まで残った前期形のPF・EF65 1037【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 EF65 1000番代PF形は、今となっては貴重になりつつある国鉄形電機です。”国宝”とまでいわれるようになったEF66 27号機に比べれば、まだまだ現役で走り続けている車両も多いのでその域とはいきま…

この1枚から 1980年代の新鶴見機関区・操重車倉線で佇むEF65 1070【2】

《前回のつづきから》 blog.railroad-traveler.info 1070号機は1976年に落成すると、新鶴見機関区に新製配置されました。既にこの頃には新鶴見に旧型電機の配置はなかったと考えられるので、1070号機を含む第6次車を新製配置し、その押し出しでEF65の0番代な…

この1枚から 1980年代の新鶴見機関区・操重車倉線で佇むEF65 1070【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 小学校4年生の頃、家から歩いていくことができた新鶴見機関区に、カメラを片手に訪れたことがありました。このブログでもお話させていただいたことがありますが、今では小学生が一人でJRの運転…

「金太郎」一次形を捉える

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 その昔、東北本線から北海道へ渡る貨物列車は、最低でも3つの駅で機関車の付け替えをしていました。黒磯駅では直流機からED75へ、東青森ではED75から海峡線線用のED79へ、そして五稜郭ではED79…

東京タ-隅田川・シャトル便を捉える

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 本日は、土曜日にお仕事だったため振替休日です。コロナ禍前は運動会や秋の行事など、土曜日が課業日というのがそれなりにあったのですが、いまはそのどちらも中止のままなので、月曜日に休日と…

この1枚から 白プレのEF65 1094・移籍してきたカマ【3】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info 2000年3月、筆者が貨物会社を退職してから6年近くが経ち、世の中はミレニアムで湧いて、システムエンジニアとして西暦2000年問題も片付けホッとしていた頃、1094号機はJR西日本での廃車となり、JR貨物に売…

この1枚から 白プレのEF65 1094・移籍してきたカマ【2】

《前回からのつづき》 blog.railroad-traveler.info こうして、下関所に配置になった1094号機は、同時期に配置された第7次車の僚機とともに、東京ー九州間のブルトレ運用を500番代P形から置換えていきました。いわゆる、ブルトレ牽引機の交代劇が始まったの…

この1枚から 白プレのEF65 1094・移籍してきたカマ【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 数ある国鉄形電機の中で、どのカマが一番お好きでしょうか? こんな質問を投げかけられると、「国宝級」とまで言われているEF66 27号機を上げられる方がおおいかと思われます。確かに、国鉄直流…

この1枚から 車籍復活と特別塗装の2つの幸運を手にした初代「茶ガマ」【2】

〈前回からの続き〉 blog.railroad-traveler.info 16両の車籍復活組のEF65は、ほとんどが廃車前と変わらぬ姿で運用されたので、筆者も貨物会社に在籍した当時、あまり気にすることなく間近で目にしたものでした。鉄道を趣味にしていた同期から、「あれは車籍…

この1枚から 車籍復活と特別塗装の2つの幸運を手にした初代「茶ガマ」【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 これまで、何度となく「幸運」を手にした鉄道車両を紹介してまいりました。中でも、国鉄時代に製造されながら、分割民営化を目前にした1986年頃に「余剰車」という扱いを受けて廃車になり、新会…

この1枚から 壮観!民営化直前1986年の新鶴見機関区公開で並んだ国鉄電機たち【2】

〈前回からの続き〉 こうしたイベントに、筆者も含めて多くのファンや家族連れなどが訪れ、多くの人で賑わいますが、そのほとんどが鉄道会社や関連会社に勤める職員の方の「サービス」だということは忘れてはなりません。実際、貨物会社に入ってから新鶴見に…

この1枚から 壮観!民営化直前1986年の新鶴見機関区公開で並んだ国鉄電機たち【1】

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 新型コロナウイルスの感染拡大で、鉄道に関連した様々イベントが中止あるいはオンライン開催されるなど、実車を間近で見て触れる機会がなくなってしまいました。鉄道を趣味とする人としても残念…

この1枚から SM分離間もない1981年8月の新鶴見機関区

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 「SM分離」という言葉をご存じの方は、おそらく筆者と同じかそれ以上の年代の諸兄かと思われます。 その昔、横須賀線の列車は東海道本線と同じ線路を走っていたようですが、首都圏の人口が爆発…

海峡下の電機の系譜【Ⅷ】 新世代のマンモス機・EH500(6)

9.新世代のマンモス機 9-8 関門トンネルへの進出、万能機の証 首都圏ー北海道間の主力として年々増備が続けられたEH500は、ある程度の数が出揃ってきたことで初期のような酷使による故障も減り、運用も安定してくるようになりました。 一方で、同じ海底…

海峡下の電機の系譜【Ⅷ】 新世代のマンモス機・EH500(5)

9.新世代のマンモス機 9-5 青函直通運用に就いたEH500 本格的な量産に移行したEH500は、当初の計画通り仙台総合鉄道部に配置されて、さっそくED75重連とED79重連が担っていた貨物列車の仕業に就きました。ただし、当初は所要数が少ないこともあって、黒…

海峡下の電機の系譜【Ⅷ】 新世代のマンモス機・EH500(4)

9.新世代のマンモス機 9-4 EH500という機関車 既にお話ししたように、EH500は首都圏ー北海道間の貨物列車を、単機でしかも通しで運用できることを目標に開発されました。そのため、従来はED75やED79の重連で運転されていたのを置き換えるため、機関車の…

海峡下の電機の系譜【Ⅷ】 新世代のマンモス機・EH500(3)

9.新世代のマンモス機 9-3 「重連」ではない「2車体で1両」・EH500の登場 出力6000kWという空前のハイパワー機であるEF500の開発が事実上失敗したことで、単機で首都圏ー北海道と日本海縦貫線を往く貨物列車の牽引と、1列車あたりの連結両数を増やすと…

海峡下の電機の系譜【Ⅷ】 新世代のマンモス機・EH500(2)

9.新世代のマンモス機 9-2 重連が常態化していた東北本線の貨物列車 JR貨物は線路使用料を旅客会社に支払うことで、貨物列車を運転できるのですが、その中でも重量のある機関車の料金は高めに設定されていました。 そのため、同じ貨物列車を運転するのな…

海峡下の電機の系譜【Ⅷ】 新世代のマンモス機・EH500(1)

9.新世代のマンモス機 9-1 民営化後、第二種鉄道事業者としての課題 1987年の国鉄分割民営化で、多くの電気機関車はJR貨物に継承されました。貨物列車の運転はすべてJR貨物に引き継がれたためで、このことは今さら細かく書く必要はないと思います。 一方…

海峡下の電機の系譜【Ⅶ】 たった1両異端の改造機・ED76 550番代(2)

8.1両だけの改造に終わったED76 550番代 8-3 用途の減少と余剰機の活用で誕生した「異端機」550番代 1987年の国鉄分割民営化後、JR北海道には製造稜数の半数になったとはいえ、16両のED76 500番代が継承されました。国鉄時代に711系が開発・製造されて…

海峡下の電機の系譜【Ⅶ】 たった1両異端の改造機・ED76 550番代(1)

8.1両だけの改造に終わったED76 550番代 8-1 余剰車を活用するということは世の常 世の中には貧乏性であるが故に、ということが多々あると思います。かくいう筆者の場合、一つのものをやたらと長く使ったり、いまは不要でもいつかきっと役立つだろうと溜…

海峡下の電機の系譜【Ⅵ】 国鉄最後の交流電機・ED79(4)

7.国鉄最後の交流電機・青函トンネル専用のED79 7-4 JR貨物初の交流機 ED79 50番代の新製 1980年代の後半は、バブル経済による好景気に見舞われました。不動産売買が極端に盛んになり、地価は高騰を続けるという異常な中、国内の物流もまた好景気で異変…

海峡下の電機の系譜【Ⅵ】 国鉄最後の交流電機・ED79(3)

7.国鉄最後の交流電機・青函トンネル専用のED79 7-3 ED79の配置と運用 こうして、比較的車齢の浅い交流機・ED75 700番代を改造して登場した、海峡線専用機ともいえるED79は、本務機である0番代21両(後期形からの改造)と貨物列車牽引時に連結される補機…

海峡下の電機の系譜【Ⅵ】 国鉄最後の交流電機・ED79(2)

7.国鉄最後の交流電機・青函トンネル専用のED79 7-2 ED79という機関車 青函トンネル専用機として計画されたED79は、既に述べたように新型機として開発・新製するのではなく、既存の車両を改造することによって賄うことになりました。その種車として選ば…

この1枚から 数奇な履歴の持ち主・EF66 20の場合

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 先日投稿した記事では、異色の経歴の持ち主ともいえる、大井川鐵道のナロ80についてお話をさせていただきました。こうした履歴をもつ鉄道車両は他にも例がありますが、今回はこちらのEF66 20号…

海峡下の電機の系譜【Ⅵ】 国鉄最後の交流電機・ED79(1)

7.国鉄最後の交流電機・青函トンネル専用のED79 7-1 ED79登場の背景 1961年の着工以来、幾度の難工事を乗り越えながらも建設工事が進められ、1984年には青函トンネルの開業は1987年と発表されました。既にこの頃には国鉄が抱える膨大な債務が問題になっ…

海峡下の電機の系譜【Ⅴ】 北の要衝・津軽海峡を貫く青函トンネル(1)

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 5月から6月にかけて特集として掲載しました「海峡下の電機の系譜」では、関門トンネルとそこを走る電気機関車のお話をさせていただきました。 今回は日本列島を一つに繋ぐもう一つの海底トンネ…

この1枚から 1991年頃の新鶴見・原色赤プレートの65PF

いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。 仕事も再開し、徐々に基の日常に近い状態に戻ってきてはいます。とはいえ、完全にもとには戻らないことや、これまでとは違うことも多々あります。その一つに、放課後は必ず消毒をしなければなら…