旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく「国鉄形」 別れ別れになった兄弟たち【1】

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 数ある鉄道車両の中には公式・非公式ともに、愛称をつけられるものも少なくありません。その由来は車両の性能からつけられたものや、特徴的な形状からつけられるもの、あるいは看板列車として走ることを運命づけられてつけられるものなどなどたくさんあります。
 いくつか例を挙げるとしましょう。
 旧国鉄の特急用電車のボンネット車は、「こだま形」と呼ばれていました。東海道新幹線がまだ開通する前の時代、長距離特急列車は機関車牽引の客車列車が当たり前で、電車はごく僅かに大都市近郊で走っていた程度。そこへ、東京-大阪間を6時間程度で結ぶという、夢の特急列車として開発されたのが151系電車でした。

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 151系電車は特急「こだま」としてデビューし、計画通りに東京-大阪間を6時間50分で結びます。従来の機関車牽引の列車が7時間30分だったので、40分の短縮は当時としては大きな変化でした。
 それに加えて、この151系電車の性能もそうですが、デザインもまた当時としては大きな変化でした。当時の国鉄車両といえば、長距離列車の多くがぶどう色2号と呼ばれる茶色か、青15号と呼ばれる濃い青色。ところが151系電車はクリーム地色に窓周りに赤い帯を配した明るいカラーリングと、先頭車はボンネットを設け、高い位置に配した運転台というデザインもまた、多くの人にインパクトを与えたようで、それ以来「こだま形」と呼ばれるようになったそうです。
 さて、国鉄の車両に愛称をつけられた例はあまり多くありませんが、私鉄の車両はというと、これが実に多く文字通り「挙げればキリがなくなる」ほどで驚きました。
 まあ、考えてみれば各社とも商品である車両の認知度を上げることは、自社線への利用を誘導することに繋がります。自社線を利用する人が増えれば、当然ですが運賃収入も増えるわけです。
 さらに、対抗する国鉄は特急列車や急行列車などには、行き先などに応じて愛称がつけられていました。先ほどあげた「こだま」も特急列車の愛称で、世間への認知度は高かったといえます。ところが都市近郊を走る私鉄はというと、国鉄のように多種多様の特急や急行を走らせているわけではありません。愛称つきの特急列車などを走らせていたとしても、国鉄の長い歴史からすれば後発だったので、やはり認知度という点では今ひとつだったのかも知れません。
 それ故に、私鉄は自社の商品たる車両にいろいろな愛称をつけていきます。
 例えば先日所用で関西を訪れた時に乗った、阪神電鉄普通列車。見るからにごくふつうの電車ですが、この電車には「ジェットカー」という愛称がつけられています。

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 その愛称を初めて聞いた時には、ジェットエンジンで走る鉄道車両か?などと、少々馬鹿げたことも考えもしました。なんでも、従来の電車を飛行機のプロペラ機に例えるなら、阪神の電車はジェット機に匹敵するくらいの加減速性能をもつということらしいです。
 ジェット機はちょっと大げさかも知れませんが、実際に乗ってみると他の鉄道では味わうことのできない加速力で、座席に座っていると加速時に体を少し後ろに持って行かれそうな加速Gを感じました。
 この加速性能と普通列車にまで愛称をつけるという施策は、古くから国鉄と私鉄、私鉄同士が熾烈な乗客の獲得競争を繰り広げてきた歴史のある関西ならではことなのかも知れません。

 さて、ずいぶんと前置きが長くなってしまいましたが、その性能からつけられる愛称は何もお客さんを乗せて走る電車や客車だけではありませんでした。
 国鉄が開発した電気機関車の中には「マンモス機」と呼ばれたものがあります。古くはEH10形と呼ばれる電気機関車で、2車体連結した構造と動輪を8軸も備えるという構造は、当時の国鉄電気機関車としては全長22.5mという大型でしかも奇抜な構造でした。
 もちろん車両の構造だけではなく、定格出力2,350kWという大出力は、当時の貨物用標準機関車だったEF15形の1,900kWをはるかに超え、EH10形1両で1,200トンの重量列車を10‰の勾配が連続する関ヶ原を単機で牽引できる性能をもったことから「マンモス機」とも呼ばれたようです。
 その「マンモス機」EH10形の登場から14年後の1968年に、国鉄は新たな「マンモス機」を開発します。それがEF66形です。

《次号へ続く》