◆点呼と整時・・・鉄道マンならではの朝の習慣【後編】
点呼では主任が職員の出勤状況を報告するために、所属する職員の職氏名を読み上げる手続きだ。学校で言うところの出欠確認だ。学校で散々やって来たことを、就職してまで同じことをするのには少し驚いたものだ。
主任が「渡邊電気係!」と呼ぶと、「はいっ!」と答える。こんな具合だ。
この職氏名を呼ぶのも順番があった。主任から指導職、そして最後は係職の順番で、同じ職階にある人が複数いる時には職員番号順に呼ぶことがルールだった。私が勤めた電気区には主任が3名、指導職が3名、そして係職が4名だから、それぞれの職階順、そして職員番号順に呼ばれていく。私は係職で3番目に呼ばれていた。
全員が(年休を取って休暇になっている人を除いて)出勤していることを確認すると、主任が「本日10名出勤です」と区長に報告すると、次は区長から通達や訓示がされる。そして、今度は主任からその日にどこでどういう作業をするのかを指定される「担務指定」が読み上げられ、そこではじめてその日の仕事を知ることになる。
この日の担務指定は所内で事務作業だ。それはそうだろう。着任したばかりで何も分かっていない、まして線路に出て施設・電気の仕事に携わるための訓練を受けていない若い衆をいきなり現場なんかに連れて行けるわけがない。だから、所内でじっとしている事務作業なのだ。
まあ、それはそれで仕方がないと諦めていると、点呼の最後になって「整時」ということをする。整時とは、読んで字の如く時計の調整のことだ。
あまり知られてないことだが、鉄道は分単位ではなく、実は秒単位でダイヤが組まれている。一般に売られていたり、駅に掲げられたりしている時刻表には「10時15分発」とかいうように分単位で表示されているが、実際の鉄道の現場では10秒ないし15秒単位で設定されている。だから、お客さん向けに10時15分と時刻表で表示されていても、乗務員や駅員などがもつダイヤには10時15分30というように書き込まれていることがある。
30秒の違いはとても大きく、直接運転業務にかかわることがない施設・電気の職員は線路上に出て作業をするのが基本。駅のように時計がないところで作業をするので、次の列車は何時何分何秒に通過するのかを把握してないと、それこそとんでもない事故に遭ってしまう。だから、毎朝の時計の調整は欠かすことができなかった。
主任があらかじめ調整しておいた自分の時計を見て、時刻を読み上げると各々持っている時計を調整して合わせる。これが毎朝の点呼でするものだから、持っている時計はいつも正確だ。
ところで、この頃私が持っていた時計は二つあった。一つは腕時計で、これは高校時代から使っていたデジタル式のもの。防水にもなっていて、使い勝手がよくて気に入っていた。
そしてもう一つは、懐中時計だった。よく、運転士が使っているあの大きな文字盤のアレだった。鉄道が好きな人にとっては、ある意味憧れの時計だと思う。
私が使った懐中時計、実は私物だった。国鉄時代は懐中時計(車掌は腕時計)は基本的に貸与品で私物使用は少なかったと聞く。ところが、民営化になってすべての職員に時計を貸与していたら、それこそ経費が莫大になってしまうので、必要とされる乗務員や駅の輸送係の職員だけになってしまったという。でも、鉄道マンになったからにはあの懐中時計を手にしたいなんて、今考えると恥ずかしいまでの安易な発想だったと思う。
そんな思いを九州時代に実現できたのは、門司機関区にいる時、先輩から「鉄道マンになったんだから、一つ持ってみたらどうだ?」と、懐中時計がきれいに入った箱を見せられた時のこと。既に御役御免になって払い下げられた古い懐中時計だったが、それを分けて貰ったのだ。だから、懐中時計の裏面には「門鉄 昭49」と刻印が入っている。もちろん、乗務員や駅の信号扱所が使っている新しい懐中時計には「貨関東 平3」といった具合に刻印が入れられていると思うし、同期のR君の懐中時計には「東南鉄」と刻印が入っていたから、恐らくは東京近辺で売られていた払い下げ品を使っていたのだろう。「門鉄」の刻印は、私にとって仕事を始めた「振り出しの地」の意味もあったから、大いに満足していた。
その整時を終えると、朝の準備運動。ラジオ体操みたいなもので、国鉄体操とかいった名前の体操だった。国鉄は何から何まで時前でつくっていたのだから、本当に驚かされたものだ。
点呼が無事に終わると先輩方は作業の準備をして現場へと出て行く。私たちのような新人は何をするわけでもなく、自分のデスクでボーッと過ごすほかなかった。もちろん、ただボーッとしているわけにもいかないから、運転取扱規程や資料集を見て自習はしていた。
そんなわけで、とにかく時間が経つのが遅く感じて仕方がなかった。おかげでコーヒーばかり飲んでしまったので、昼近くになるとトイレばかり行く羽目にもなった。暇というのは、ある意味困ったものだ。