旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

もう一つの鉄道員 ~影で「安全輸送」を支えた地上勤務の鉄道員~ 第二章 見えざる「安全輸送を支える」仕事・研修が終わったからといっても【中編】

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◆研修が終わったからといっても【中編】

 掃除といえばもう一つ。
 鉄道の職場には必ずといっていいほど「風呂」がある。
 え?風呂があるの?と思われる方もいるかもしれない。あまり小規模な職場だと風呂はないかも知れないが、たいていの駅や機関区といった車両基地、車両の検査や修繕をする工場や車両所には、職員向けに大きな風呂が用意されている。
 これには私も驚いた。
 九州支社勤務時代、研修勤務をした小倉車両所にも、福岡貨物ターミナル駅にも、そして門司機関区にも風呂があった。仕事が終わると決まって先輩から、「どうだ、今日は一緒に風呂入っていかないか」なんて誘われもした。
 日勤勤務だったら一っ風呂浴びてサッパリしてから寮へ帰ることになるから、寮へ帰れば夕食を食べて寝るだけだ。風呂まで用意してあるなんて、なんて贅沢なだろうなんて思いもした。
 おまけに一緒に風呂に入ることで、仕事中には聞けない話もたくさん聞くことができたし、言葉どおり「男同士の裸の付き合い」になったから、仕事もいろいろと丁寧に教えてくださった。
 ところが、夜勤に就くようになって、なぜ風呂があるのかが分かった気がした。朝から勤務について、仕事の内容にもよるが汗やブレーキの制輪子の鉄粉などなどいろいろな物を浴びてしまう。そして、そのまま夜間の作業もするのだが、勤務ダイヤに従って交代で仮眠を取る。その仮眠を取るベッドはもちろん共用のもの。その職場に勤める職員が交代交代で使うから、まさか汗や油、鉄粉で汚れたままベッドに潜るわけにはいかない。ということで、汚れと疲れを取ってから仮眠をするためにも風呂が用意されているのだった。
 もちろん、私が配属された電気区・施設区にも風呂はあった。といっても、電気区と施設区で職員は合わせて20名程度。そんな小さな職場のためだけに風呂があるわけではなく、詰所が入っている駅の構内本部と「共用」になっていた。
 共用ということは、掃除も駅と電気区・施設区とで交代制になっていた。駅が掃除当番の曜日は、駅に配属された新人が掃除をし、電気区・施設区の当番の曜日は私たちが掃除をした。電気区・施設区は日勤Ⅱ種と呼ばれる勤務ダイヤになっていたので、原則として土曜日は隔週の勤務、日曜日は公休日になっていたから、月曜日から木曜日までが当番になっていた。
 この風呂掃除が電気区・施設区の当番になると、私たちの中で当番を決めて持ち回りにした。新人は私を含めて4人いたが、いくら大人数ではいることができる風呂といってもそれほど広くもないから、まさか全員で毎日のように風呂掃除をするわけにもいかない。そんなことをしてしまっては、肝心な現場に出ることができなくなってしまう。そんなわけで、持ち回りで風呂掃除をするから、掃除当番の日の午後は決まって「事務整理」が担務指定されていた。
 風呂掃除は風呂場用の洗剤を撒いて、デッキブラシとたわしで床や浴槽を洗った。もちろん、水を使う仕事なので制服のズボンは膝までめくり上げ、履いている軍足を脱いで裸足になっての作業だった。これが夏なら冷たい水を脚に浴びて気持ちがよかったが、冬は寒くて凍えてしまう。
 ある日、寒いのをこらえて掃除をしていると、同期が覗き込んできて「どう?」なんて暢気に聞いてきた。私は「寒くてかなわないよ」というと、同期は「裸足でやってんの?靴を履けばいいじゃん」という。おいおい、靴を履いて風呂掃除なんかしたら、せっかく洗ったのが汚れちゃうじゃないかと思っていると、同期は長いゴム靴を持ってきてくれた。
 焦げ茶色のゴム靴には赤く「工」のマークが入っている、まさに国鉄仕様のゴム靴だった。何から何まで「国鉄特注仕様」には驚かされた。そのゴム靴は、どうやら高圧電気作業用の絶縁ゴム靴だったものを、古くなって作業用には使えなくなったので風呂掃除用に転用したらしかった。それにしても、そんないい物があるなら早く言ってくれよ!と、内心叫んでしまった。それからは冬の風呂掃除もそれほど苦労はしなくなった。