鳥栖駅の改札を抜けると、ホームへは地下の連絡通路で行くことになります。
これがまた、非常に古い感じのもので、剥き出しの配管が時代を感じさせます。この配管、どうやら電気ケーブルを納めた物のようで、接続部のボックスがあることがそれを物語っています。
いまでこそ、ご覧のようにひっそりとして人の通りも少ないですが、昔はここを多くの人が行き交ったのでしょう。
改札と地下通路を結ぶ連絡通路です。
こちら上屋が木造で、壁も一部が木造でした。
古い建物に自動改札機はなんともアンバランスで似つかわしくなかったですが、やっぱり時代の流れなんでしょうね。
改札の先にも細く長い連絡通路が続いています。ここもやはり人通りはほとんどなく、ひっそりとしていました。
連絡通路からホームを眺めてみました。ちょうど、列車が到着したところですが、ホームはやはり古くからある構造物です。そこにステンレス車体の811系電車、そして民営化後に変わった駅名標が時代が変わったことを教えてくれているようです。
ホームの上にあるベンチやごみ箱は、かなり古くから使われているようで、昭和の物ではないでしょうか。これも年代を感じさせてくれます。
写真の真ん中に、屋根を貫くように建てられた柱は、架線を吊すビームを支えるための物。見るからに新しく、鳥栖駅の構内を整理する工事の時に追加されたようで、年代物の建物を貫いてしまったのは、必要だったとはいえ残念でなりません。 ホームに出て構内を眺めてみました。
ホーム3面と6線という構成は、ターミナル駅ならではの規模です。ホームの上屋を支える柱が木製なのは、この駅が古くからあることの証です。屋根もまたかなりの古さを感じさせてくれます。
この屋根やホームには、きっと多くの人が降り立ち、この日みたいに暑い日には空から照りつける太陽の日差しを遮り、雨の日には降り注ぐ雨水から旅人たちを守り続けていたのでしょう。
私がこのホームに降り立った日はとにかく暑くて日差しも強い猛暑日。この屋根のおかげで少しは暑さをしのげました。
ホームを歩いていると、人気はなくて寂しい感じもしましたが、時折到着しては発車していく列車の音が、僅かにかつての賑やかさを教えてくれるようでした。
ところで余談ですが、この鳥栖駅。
かつては貨物も取り扱う駅で、操車場としても機能していました。もちろん、国鉄時代のお話です。
その時代、多くの国鉄職員がここで働いていましたが、その中にチェッカーズの藤井フミヤさんがここに勤務していたことは、知る人ぞ知るお話です。大組織の国鉄には、芸能人などの有名人も何らかの形でかかわりがある人がいますが、ご本人が職員だった例はあまり聞きませんから、ある意味貴重なんでしょう。