旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく「国鉄形」 痛勤ラッシュを支え続けて【17】

激しさを増す混雑 103系電車史上最長の15両編成へ

 首都圏の混雑はとどまることを知らず、通勤ラッシュの混雑は年々激しさを増す一方でした。
 国鉄も「五方面作戦」を展開して、混雑の緩和を目指して輸送力の増強に取り組み、東海道線横須賀線の分離運転や、常磐線快速と各駅停車の分離運転など、複々線化を中心とした改善策を講じていました。

 その中でも、常磐線の混雑はかなり厳しいものでした。

 快速線緩行線(各駅停車)を分離したとはいえ、緩行線は地下鉄千代田線に乗り入れたことがかえって逆効果になってしまいました。

 なぜでしょう。

 これは、綾瀬-北千住間が営団地下鉄の路線となったことが原因でした。
 この区間はもともとは国鉄の路線でしたが、緩行線の分離と地下鉄乗り入れとともに、営団地下鉄の路線になってしまったのです。それまで国鉄線の定期券や乗車券だけでこの区間を乗ることができたのが、営団地下鉄の運賃も加わってしまったのです。


前回までは

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 こうなると、一番迷惑なのは利用するお客さんたちでした。
 都心へ一本の列車で迎える便利さよりも、運賃が跳ね上がったことで、お客さんたちは常磐線快速へと流れてしまうことになります。
 それだけではなく、中距離電車が通過する駅は快速線電車のみが停車することになり、しかも快速線松戸駅柏駅、そして我孫子駅だけに停車するので、日暮里駅や上野駅へ乗り換えをしないで行くために、否応なしに快速線にお客さんが流れてしまったのです。

 なぜ、こんなややこしく、そしてお客さんにとって不便なものになってしまったのでしょう。

 これは、当時の国鉄の財政事情と、営団地下鉄の思惑があったからでした。

 複々線化は喫緊の課題として、なんとしても実現させたい国鉄としては、できれば建設費を抑えたいのが本音でした。
 一方、営団地下鉄は千代田線の車両基地を都区内につくりたかったのです。しかし、広大な敷地を必要とする車両基地を都区内につくるのは容易ではありません。足立区に車両基地をつくるのに向いた土地があったことや、自社線内に車両基地をつくる必要性があったのです。
 その場所は、綾瀬-北千住間にあったことで、本来なら国鉄が建設する綾瀬-北千住間の線路を、営団地下鉄の線路として建設することにしたのです。

 まさに国鉄営団地下鉄という、二つの公営企業が自らの思惑を優先した結果でした。

 そんなわけで、常磐線快速の混雑は緩和するどころか、かえって悪化する一方でした。しかも、沿線の宅地や開発はどんどん進んで、人口も増える一方です。
 不便で運賃も高くなったとはいえ、緩行線もそれなりにお客さんが乗って混雑していきます。線路をさらに増やしていくことも策の一つですが、高額な建設費を投じて線路を増やすことは現実的ではありません。

 そこで民営化後の1987年に、とうとう常磐線快速の列車をそれまでの10両編成から一気に15両編成へと増やすことにしました。15両編成という長大な列車を運転しているのは、東海道線と横須賀・総武線快速、そして高崎線ぐらいしかなかったので、いかに混雑が激しかったかが窺われます。

 常磐線快速の15両編成は、それまでの10両編成に付属の5両編成を増結するという方法で行われました。
 こう書くと、簡単にできそうなお話ですが、実際にはそうはいきませんでした。

 基本の10両編成はそのままでもいいとして、問題は付属の5両編成でした。

 103系電車の電動車は2両1組で使うのが前提です。どちらか片方が欠けていては走ることができません。そのため、中間の電動車はいいとして、どちらかの先頭車も電動車である必要がありました。

 

f:id:norichika583:20180809225457p:plain常磐線快速の編成。上段は基本の10両編成、中段は電動車4両を組んだ付属5両編成、下段は電動車を2両だけ組んだ付属5両編成。

 

 そこでJR東日本は、自社に在籍している103系電車のなかで、電気機器や走行用のモーターを装備していて先頭に立つことができる「制御電動車」であるクモハ103形を、編成の組み替えなどを行って集めました。

 こうしてなんとか電動車4両と制御車1両からなる5両編成を組むことができました。

 しかし、それでも付属の5両編成は足らなかったのです。

 制御電動車のクモハ103形は、そもそもつくった数もそれほど多くなく、しかも多くは関西地方に配置されていたので、民営化で会社が分かれてしまったために、国鉄時代のように関西から持ってくることなどできませんでした。

 無い物ねだりをしても始まらないので、ついに制御車2両、電動車2両、付随車1両という5両編成を組んで付属編成としました。

 この電動車が2両しかないという組み方は、103系電車では無理があるものでした。というのも、そもそも103系電車は最低でも電動車と付随車の比率を1:1を組むことが前提で設計されていたのです。
 この5両編成ではその比率は1:1.5でモーターを持たない付随車の方が多く、電動車にはかなりの負担がかかってしまいます。
 もちろん走れないことはありませんでしたが、加速力も低く、連続した高速運転には不向きな組み方でした。加えて、製造からの年数が経つにつれて老朽化も進み、しかも無理を強いる組み方と、日常的な高速運転がたたって不具合も頻繁に出るようになってしまいました。

 2002年からようやく後を継ぐE231系電車が松戸へやって来ました。そして次々と新しくつくられてくるE231系電車にその仕事を譲り、エメラルドグリーンの103系電車は2006年に姿を消していきました。

 常磐製快速に103系電車がやってきた1967年から数えて、実に39年めのことでした。