旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく「国鉄形」 痛勤ラッシュを支え続けて【18】

後輩たちとともに走った中央・総武緩行線中央・総武線各駅停車)【前編】

 「まぁるい緑の山手線~真ん中とおるはは中央線~♪」という歌は、関東にお住まいの方なら一度は聞いたことがあると思います。家電量販店のヨドバシカメラのCMソングですが、この歌がテレビで流れはじめた頃、ヨドバシカメラのお店はその歌の通り、新宿駅の西口にだけありました。いまでは北は札幌、西は博多と、全国の主要駅の前にお店があります。

 さて、この歌とともにCMを観たとき、一つの疑問が起きました。
 アニメーションで映し出される山手線は黄緑色をしていましたが、中央線はオレンジ色の電車でした。ところが、中央線は黄色の電車だと思い込んでいたので、はたしてどっちが本物の中央線なのかと謎になっていたのです。

 まあ、その答えはすぐに知るところになって、オレンジ色の電車は快速電車、黄色の電車は各駅停車だったということなのですが、この黄色の電車の中央線は正式には「中央・総武緩行線」といい、一般のお客さんには「中央・総武線各駅停車」と案内されています。

 この中央・総武緩行線に黄色に塗られた新性能電車が登場したのは1963年と古く、ねぐらになる三鷹電車区に101系電車がやって来たのが始まりでした。101系電車は新しくつくられてやって来た車両と、山手線に103系電車が入ってきたことで押し出されてきた車両とがありましたが、1969年には旧性能電車を一掃してしまいました。

 101系電車で新性能化を実現させた黄色い電車の中央・総武緩行線103系電車がやってきたのは、1979年と比較的遅い時期でした。
 1979年といえば、黄色の電車の隣を走るオレンジ色のの中央線快速が201系電車に置き換えが始まった年でした。中央線快速の電車たちの住処である豊田電車区に真新しい省エネ電車の201系電車がやってくると、そこを追われた103系電車が隣を走る中央・総武緩行線へと移ってきたのでした。

 103系電車が移ってきた当初は塗り替えが間に合わなかったのか、オレンジ色を身に纏ったままで各駅停車として走り始めました。ところが、お茶の水駅-三鷹駅間は快速と各駅停車が並んで走るので、本来は黄色の電車がオレンジ色のままだったので、各駅停車を待っていたつもりが快速電車がやってきたとお客さんも間違えてしまうとマズいということで、ドアの上にステッカーを貼って対応しました。

 こうした電車の異動で、もともと走っていた路線の色を身に纏ったまま、新たな地でそのまま走るという例は国鉄時代多く見られ、中には黄色とスカイブルー、オレンジ色、うぐいす色、エメラルドグリーンのすべての色が、一つの編成で見られるなどというおかしな現象もあったほどです。

JNR 103 and 101 at Ochanomizu Station 19870211

中央・総武緩行線を走る黄色の103系電車。運転台窓の下に「JR」マークがないことから、国鉄時代の撮影とわかる。(©Suikotei)

 こうして中央・総武緩行線には、201系電車に追われた103系電車が次々に転入してきます。そして、103系電車の転入で住処を追われた101系電車たちは、遠く関西へと旅立っていった車両もあれば、首都圏の他の路線に新天地を見いいだして移っていった車両もあり、さらには老朽化で廃車になったものもありました。

 103系電車の登場で、すべての101系電車を置き換えるということはできませんでした。

 そもそも、中央・総武緩行線にやって来た103系電車は、中央線快速を仕事場にしていた中古の車両でした。豊田を住処にしていた103系電車をすべて、三鷹津田沼に移すことで103系電車で統一することも考えられますが、国鉄はそうはしませんでした。

 代わりに、なんと201系電車が送り込まれました。
 もちろん、この電車が送り込まれた1982年当時、201系電車は最新型の電車です。中央線快速はすべてこの201系電車に仕事を持って行かれましたが、黄色の中央・総武緩行線では同じようにはいきませんでした。
 何しろこの201系電車は製造コストがとにかく高く、103系電車のように大量に製造することが難しかったのです。
 さらに民営化後の1989年には、製造コストも抑えてランニングコストも安く済む205系電車がやってきました。この頃、国鉄から数々の車両を引き継いだJR東日本にとって、205系電車は使い勝手がよくランニングコスト103系電車と比べて抑えることができることから、いわば同社の標準通勤形電車として大量につくられていたのでした。その中の一部が、中央・総武緩行線にやって来たのでした。