旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく「国鉄形」 痛勤ラッシュを支え続けて【21】

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首都圏の国鉄形の牙城・南武線鶴見線を走ったカナリアイエロー【後編】

 1987年に国鉄が民営化され、JR東日本に引き継がれた南武線鶴見線は、それまで冷遇されていたのが大きく改善に向かい始めます。
 いつまでも都心部で使い古された中古車で、それも冷房のない電車ばかり走らせ続けていては、サービス面でかなり見劣りしてしまいます。途中の駅で交差する私鉄は次々に冷房付きの新車に置き換えたり、新車とまではいかなくても冷房装置の取付を進めていましたから、看板が変わって民間企業になって、サービス面が劣ったままというわけにはいきませんでした。


前回までは

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 そこで、再び103系電車が中原に送り込まれました。もちろん、都心部で使われていた中古の車両でしたが、もちろん冷房装置がついた車両でした。冷房がついていない車両も、検査で工場へ入ったタイミングで冷房装置の取付工事を行いました。

 こうして、冷房のない101系電車を一掃しました。

 さらに1990年には、弁天橋にも同じく冷房を装備した103系電車がやってきて、南武線同様に冷房のない101系電車を淘汰します。鶴見線103系電車配置は、首都圏で最も遅い配置でした。

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 これらの車両は既にお話ししたように前例に漏れず、都心部で使われていた中古の車両たちでした。
 とはいえ、新車を都心部に配置して、押し出された車両でサービス面を改善していく方法は、当時のJR東日本としては最善の方法だといえます。何しろまだまだ国鉄の残渣がたくさんあったので、今日のように一気に新車を大量につくって置き換えるなど夢のまた夢、手持ちの車両をやりくりしてでした。

 国鉄からJRへと看板が変わって2年目の1989年、長らく中古車の受け入れ先かのような存在だった南武線の面目を一新するかのように、JR東日本205系電車の新車を中原へ配置しました。
 長い歴史の中で、新車がやって来たのは国有化前の南武鉄道時代以来のことでした。

 こうして、新車として中原にやって来た205系電車は、老骨に鞭を打って走り続けた101系電車や、103系電車のうち初期に製造されたグループがその役目を終えて去っていきます。

 そして、すべて205系電車に置き換えられて103系電車がいなくなると思いきや、半数が置き換えられたところで205系電車の配置は止まってしまいます。
 残った103系電車は京浜東北線や山手線のATC化で製造された最後期のグループでした。これらは南武線のカラーである黄色一色に塗られて、多摩川沿いを後輩である205系電車とともに走り続けました。

 そんな103系電車も、月日が経つにつれて老朽化が目立ち始めました。

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 なにより後輩の205系電車に比べて、103系電車は消費電力も高くランニングコストもかかってしまいました。できれば電気の消費量が少なく、ランニングコストを抑えることができる車両がJR東日本としては望ましいものだったでしょう。

 そこで、2004年に山手線から退いて余剰になった大量の205系電車を、首都圏に残存する103系電車の置換え用として活用することになりました。いわゆる大配転と呼ばれる配置転換で、それまで山手線を走っていた11両編成60本、合計660両が短期間で押し出されたものですから、中原にも次々と山手線から205系電車がやってきました。

 長年黄色一色に塗られていた馴染みの深い南武線103系電車は、ついにその歴史に幕を閉じ、2004年に走り慣れた多摩川に沿って走る線路から姿を消していきました。

 

 一方、鶴見線はというと、こちらも長らく101系電車が3両編成で走っていましたが、1990年になってようやく冷房装置を載せた103系電車が、鶴見線のねぐらである弁天橋にやってきました。

 首都圏に配置された103系電車の中で、最も遅い配置でした。

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 鶴見線は首都圏を走る通勤路線の中では少し変わった路線です。列車は最も短い3両編成という姿は、まさにローカル線色があふれるものでした。とはいえ、この鶴見線は京浜工業地帯のど真ん中を走るので、朝夕の通勤ラッシュの時間帯になると工場に通うビジネスパーソンでごった返すという「もう一つの顔」をもっていました。

 朝夕のラッシュの時間帯と、日中の時間帯の列車の運転本数が極端に異なります。朝夕は3分から10分間隔で運転されていて、都会にある他の路線に引けを取らない通期路線としての顔をもっています。ところが、日中になると20分~2時間間隔と大きく開くので、朝夕の様子とは一変してローカル線の顔をになるのです。

 そんな鶴見線を走る103系電車は3両編成10本、合計30両という小所帯でしたが、弁天橋を住処にして最も距離が長い区間となる鶴見―扇町間の7kmを、工場の合間を縫うようにして、工場へ通う人たちを乗せて走りました。

 そして、鶴見線103系電車がやって来てから16年目に、やはり山手線から出された205系電車の、それも中間に組み込まれていたのを先頭車に改造した車両が弁天橋に送られてきました。

 冷房がないのがあたりまえだった鶴見線を、すべての列車に冷房があるというサービスレベルの向上に貢献した103系電車は、工場地帯の短い路線を16年間走り続けてその役目を終えていきました。