旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく「国鉄形」 痛勤ラッシュを支え続けて【29】

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「うぐいす色」は山手線だけではない 古都を結んだ103系電車【2】

 関西圏のうぐいす色の103系電車は、関西線のほかに奈良線でも走りました。いえ、過去形ではなくこの記事を書いている2018年11月現在も、残り僅かとはいえ後進の205系電車とともに古都を結ぶ仕事をしています。
 奈良線は京都駅と奈良駅という、日本の二大古都を結ぶ路線です。途中には平等院鳳凰堂がある宇治も通るなど、こんな観光地に恵まれた路線ならさぞ多くの観光客の利用が見込めると思いますが、実際にはそうでもありませんでした。


前回までは

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 国鉄奈良線を二線級のローカル線として扱っていたのが実態で、全線単線、そして非電化のままという実態が1980年代まで続きました。
 そのため、列車の運転本数も少なく、しかも気動車が中心だったために時間もかかっていました。
 こうした実態だったので、宇治までは奈良線とほぼ並走する京阪電車に、奈良までは近鉄奈良線に観光客は流れてしまっていたようです。気動車よりも高速で運転できる電車で、しかも多頻度運転をする私鉄には太刀打ちができませんでした。

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宇治駅で発車を待つ103系電車。戸袋窓の埋め込みによる閉鎖や、正面窓や方向幕、運行番号幕をすべて太めの金属支えに替え、オリジナルから少し印象を異にしている。(宇治駅 2012年8月 筆者撮影)

 さらに、天皇皇后両陛下が行幸に訪れた際にも、陛下は国鉄(→JR)奈良線ではなく新幹線から乗り換えがし易く、奈良までの所要時間が短い近鉄奈良線を利用されるほど、奈良線は多くの意味で冷遇されていました。
 その奈良線に転機が訪れたのは1984年のこと。
 それまでは非電化で、お世辞にも乗り心地がいいとはいえないキハ10系から、かつては準急という花形の仕事をこなした古豪のキハ55系、さらには急行としての仕事をなくしてローカル運用に甘んじたキハ58系という、種々の気動車をかき集めて走らせていたところに、ついに電化されたのでした。
 ところが、電化されたとはいえ、ほぼ全線に渡って単線のまま。列車の運転本数も少なく、利用者もさほど多くなるとは考えられません。国鉄奈良線の電化に合わせて、103系電車をローカル線向けにモーターをつけた電動車が1両でも走れるように改造した105系電車と、大都市周辺を走る列車の標準形ともいえる113系電車を住処となる奈良電車区へ送り込みました。

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▲猛暑とも酷暑ともいわれた2018年の盛夏、照りつける暑い日差しの中を走り去る103系電車。すでにこの時点で奈良支所所属の103系電車はこれを含めて2編成のみとなってしまった。(2018年8月 東福寺駅 筆者撮影)

 こうして80年代半ばになってようやく電化された奈良線も、単線であることには変わりなく、利用するお客さんもあまり多くないことから、列車の運転本数も多くありませんでした。
 ところが、そんなローカル線然としていた奈良線に、再び大きな転機が訪れました。
 国鉄の分割民営化によって奈良線を継承したJR西日本は、沿線の宅地化が進んで利用者の増加が見込めることと、京都と奈良という二つの古都という大きな観光資源があることで、奈良線を大きく変えようとしました。
 こうして、全線単線だったのを少しずつ複線に変えていき、輸送力を増強していきます。117系電車による快速列車の運転や、後に221系電車の「みやこ路快速」は観光客輸送を当てこんだ施策でした。
 もちろん、通勤ラッシュも沿線の開発が進むごとに激しさを増していきます。
 普通列車は主に105系電車が宛がわれていましたが、桜井線の列車を105系電車で統一するために奈良線から退いていき、その座を103系電車が受け継ぎました。
 こうして、うぐいす色に塗られた103系電車は、奈良線のローカル輸送の主役として、以来30年近くもの長い間走り続けることになりました。
 その間、103系電車は多くの改良工事を受けました。そのことは、JR西日本に引き継がれた多くの兄弟たちも同じで、中には外観や内装ともに新車と見間違うほど徹底的な改良がされたものもいました。

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JR西日本に継承された103系電車の多くは、製造から40年以上使用する方針であったため、多様な延命工事が施された。中でも正面の窓類の金属支えは太いので一種のアクセントになってしまっていた。(2018年8月 東福寺駅 筆者撮影)

 とはいえ、一度に多くの新車を作ることが許されない台所事情を抱えていたことや、これは推測に過ぎませんがJR、私鉄ともに全体として関東に比べて関西の方が、古い車両でも長く使い続ける傾向が強い地域性とでもいうのでしょうか、そうした背景が徹底的な改良工事を施して長く走り続けることができるようにしたといえるでしょう。
 それでも、製造から40年以上が経つ車両が出始め、いよいよもって老朽化も進んでいかんともし難くなり始めました。
 それに追い打ちをかけるようなことが起こりました。
 奈良線の複線化を含む大規模な改良工事を進める中で、近年の軽量車両と比べて103系電車が起こす沿線の騒音や振動の大きさを指摘し、環境省103系電車を名指しで早期に置き換えるように意見を出すという異例の事態になりました。

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▲暑く厳しい日差しの中を走り去る103系電車。奈良線103系電車にとって、最後の夏は非常に厳しかった。(2018年8月 東福寺駅 筆者撮影)


 こうしたこともあり、JR西日本103系電車をいつまでも奈良線で走らせることが難しくなってしまいました。いわば、その設計の古さや普通鋼製であるが故に車体重量の重さが、今日の環境には相応しくなくなってしまったといえるでしょう。
 長らく古都同士を結び、観光客輸送はもとより沿線の住民の足として走り続けてきた103系電車は、国から引退の印籠を渡された形で引退をし始めました。もともとは国鉄という国の公共企業体によって造られたのにもかかわらず、その国によって引退を勧告されるという、何とも皮肉な話でした。
 30年以上の長きにわたって走り続けてきたうぐいす色の103系電車は、2018年3月から急速にその姿を消し始めていきました。後継には、同じ国鉄形の205系電車が阪和線からやってきて、奈良線のローカル輸送を引き継ぎ始めています。
 関西圏でもっとも最後までまとまった数が活躍した103系電車も、ついにその歴史に幕を下ろそうとしています。そして、大都市圏において通勤ラッシュにおける大量のお客さんを乗せるという本来の使命も、奈良線から姿を消すことで幕となります。

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▲木津駅をあとにして奈良を目指す103系電車。こうした光景も、もう間もなく終わりを迎える。(2012年8月 木津駅 筆者撮影)