地上だけでなく作業は高いところでも【3】
同じ高所での作業といえば、もう一つ忘れてはならないことがあった。
電車線の吊下線やビームが5mなら、広い貨物駅構内を照らす投光器が取り付けられた鉄塔はというとなんと30mもある。
え?そんな高いところに昇るのも鉄道マンの仕事なの!?と思われる方もきっといらっしゃるだろう。
かくいう私自身も、こんな高い鉄塔に昇ることを仕事にするなんて思いもしなかった。鉄道マンになって、車両の検修(整備)や駅での操車といったことを生業にすると思い描いていたのだから、それはそれで驚いたものだった。
しかし、この高いところに設置された投光器。広い構内をもつ貨物駅や、機関区などといった車両基地ではけして欠かすことのできない電気設備の一つだった。
前回までは
特に貨物は昼間よりも夜に動き出す。日中に工場で作られた製品が、コンテナに載せられて貨物駅にやってくるのは、その多くが夜だった。そして、貨物を積んだコンテナがトラックで駅へと運び込まれ、そのコンテナを大型フォークリフトが貨車へと積み込む。そんな作業も、多くは夜間に行われる。
コンテナを積んだ貨車を入換用のディーゼル機関車がホームから引っ張り出し、着発線に据え付けるとその貨車を本線で牽く電気機関車をつなぎ、深夜の貨物駅を出発していく。ちょうど本線上は旅客列車も少なくなり、深夜の線路を走り出していく。
そんなわけで、たくさんの投光器や照明で夜も明るく照さなければならないのだ。駅の構内には2箇所から3箇所の鉄塔が設けられ、鉄塔には1000Wの高圧水銀灯を使って照らす投光器がいくつも取り付けられていた。
この投光器が取り付けられている鉄塔は、地上から30mもの高さにあるから、その鉄塔を昇るにしても簡単ではなかった。電車線の時と同じように、時間を見つけては訓練をしなければならない。
鉄道の鉄塔は、真横から見るとちょうどT字形になっている。もっとも地上に近い部分から四角錐の形で櫓が組まれ、一番上には学校の教室にある教壇ほどの広さの作業台がある。この作業台の高さが地上から30mあり、そこからの眺めはある意味最高だった。
この作業台にはには転落防止のための手摺りが設けられていて、実際に作業をする時も無理な姿勢や不安定なところでの作業ではないので、架線を吊しているビームの上よりは作業も楽だった。
とはいえ、そこに昇るまでが一苦労だった。
何しろ地上0mのところから頂点である30mの高さまで、梯子を昇っていかなければならない。梯子は1本が10mの長さがあり、途中10mと20mのところに小さな踊り場のような台が設けられていて、そこでさらに上に昇るための梯子に乗り換える必要があったが、そこで少しの休憩もできた。とはいっても、やはり30mまで登り切るには体力も精神力も必要だった。
初めて30mの鉄塔昇りに挑戦したのは、横浜羽沢駅構内での作業が終わって
詰所に歩いて戻る途中だった。ちょうどコンテナホームが終わったあたりにある鉄塔まで来ると、主任が「ちょっと練習していこう」と言い出した。
もちろん、最初からそんなつもりはなかった。だから、主任がそういったときはいったいどうなるんだろうと、内心穏やかではいられなかった。しかし、この当時の鉄道の世界では、先輩や上役のいうことはある意味「絶対」だ。ついこの間入ったばかりの私のような若い衆に、「いえ、できません」などという拒否権はない。
こうして突然の練習が始まると、最初は誰が昇るのかというのが問題になった。
▲夜間も荷役作業が行われる貨物駅には、多くの照明設備がある。その中でも駅構内を広く照らす投光器は、地上から30mの高さがある鉄塔上に備えられ、その維持・管理も電気区の職員がおこなっていた。写真は筆者が勤務していた梶ヶ谷貨物タ駅構内で、右側に高い鉄塔があるが、この鉄塔が30mのものである。鉄塔の3文の1のところには大時計もある。(2012年8月 梶ヶ谷貨物ターミナル駅 筆者撮影)
一緒にいた同期はそれぞれに顔を見合わせ、次にキョロキョロとして言葉にはしないものの「オレは後でいいから、お前が行けよ」と言わんばかりの視線を送った。もちろん、私もそうしたが、誰かが最初に昇らなければ話は進まない。
そんな私たちを見ながら主任や先輩たちはニヤニヤと笑いながら待ってくれてはいるが、そういつまでも待たせておくというわけにはいかなかった。それに、嫌なことを人に押しつけ合うというのがあまり好きではない性分だったので(この性格が災いして、高校時代はとんでもない目に遭ってしまった)、よせばいいものを「ならオレが昇るわ」なんて言ってしまったからさあ大変。同期の中で一番最初に30mを昇る羽目になってしまった。
こうして、私は30mの鉄塔に昇るべく、梯子に取り付いた。
そして、一段一段をまるで踏みしめるかのように基本動作を守って昇っていき、直径1mはある大時計が取り付けられている10mまでは難なく昇ることができた。
ところが、その次の20mまで昇る梯子になると、どういうわけか体が硬くなってしまった。そこから先に昇ろうにも、どうしても昇ることができない。それどころか、体中から汗が噴き出してきてしまった。
さすがにその高さを実感して、恐怖に支配されてしまった。
そりゃぁそうだろう、だいたい何もない梯子だけのところを、いきなり10mも昇ったことだけでももの凄いことだ。それを昇るだけでも、どれだけの勇気が要ったことだったことか。初めてでそこまで昇ることができたのだから上出来というもの、それ以上は怖くなっても不思議ではなかった。
「おーい、無理するなよ~」
主任が下から見上げながら、ノンビリとした口調でいってきた。
もちろん、無理をするつもりなどさらさらなかった私は、「はい、今から降ります」と大声で返事をしてしまった。主任も初めて登らせたのだから無理をさせてはならないと思ったのだろう、是が非でも昇れとはいわなかったのは有り難かった。
こうして、初めて30m鉄塔に昇るという恐ろしい経験は、たった10m昇ったところで敢えなく断念したが、その後も何度か時間をつくってもらっては練習を重ねていった。