旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

もう一つの鉄道員 ~影で「安全輸送」を支えた地上勤務の鉄道員~ 第二章 見えざる「安全輸送を支える」仕事・地上だけでなく作業は高いところでも【5】

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地上だけでなく作業は高いところでも【5】

 本区(当時は横浜羽沢駅構内の本区のほかに、武蔵野線梶ヶ谷貨物ターミナル駅構内に梶ヶ谷派出、新座貨物ターミナル駅構内に新座派出があった)だけではなく、2年目の夏から梶ヶ谷派出に勤務するようになっても、高所での作業が割り当てられた。もしかすると、本区時代と比べて派出時代の方が高所作業が多かった気がする。


前回までは

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 派出勤務時代の冬、管轄の八王子駅構内の投光器が光らなくなったと連絡があった。
 八王子駅中央本線横浜線八高線の列車が発着するターミナル駅で、きっと利用された方もおられると思う。これだけ旅客列車の発着があるので、旅客会社の駅なのになぜ貨物会社の職員が?と思われるかもしれない。

 確かに八王子駅は旅客会社の駅であることは間違いない。
 実際にホームや駅本屋、信号扱所、そして多くの線路は旅客会社の管轄だった。だが、当時は貨物列車の発着も多く、構内でも貨車の入れ換え作業もあった。そのために、貨物列車しか使わない側線の線路や、機関車を留置する線路、それに所属する機関車こそなかったが八王子機関区の線路や施設もあったので、貨物会社が管轄する施設は、国鉄から引き継いだままの広い構内に広がっていた。
 だから、広い構内を照らす投光器も、貨物列車のために使う施設ということで、貨物会社の管轄になっていた。

 連絡を受けて必要な工具と交換用の電球、そして万一のために安定器と呼ばれる投光器用のトランスを車に積んで、梶ヶ谷から八王子まで1時間から1時間20分ほどかけて向かった。

 八王子駅に着くと、作業をする場所によっては公用車を駐める場所が違ってくる。多くは旅客ホームのある場所に近いところでの作業になるので、八王子機関区の検修建屋のそばに駐めていた。(ちなみに、この頃の八王子機関区では検修もなかったので、庫内で作業をすることはなかったが、運用の合間かなにかでEF64が留置されていることもあった。)
 八王子駅はとにかく広い。そして、ほかの貨物駅とは比べものにならないくらい、列車の発着も多い。そりゃあそうだ。八王子駅の主な列車は旅客列車だ。しかも首都圏でも有数の混雑率を誇る中央線快速が発着する。
 横浜線八高線はともかくとして、中央本線はオレンジ色の快速電車や、高尾から西の甲府方面へ向かう山電と呼ばれる中距離列車、オマケに特急「あずさ」や「かいじ」もやってくる。そのため、構内の線路の中を歩く時には、ことさら列車の往来には注意をしなければならなかった。

 ようやく作業をする鉄塔に着くと、それまで何度も繰り返してきたように作業の準備をする。派出勤務の頃にはこうした下準備も慣れてきていたから、先輩の手を煩わせることなくできたものだ。

 腰にはいくつもの工具を吊した安全帯を締め、高所作業なので命綱と胴綱をつける。これだけで、腰には軽く5kgから10kg弱の重さがずっしりとのしかかっていた。言い換えれば、2歳か3歳ぐらいの子どもを一人背負って、30mの鉄塔に昇るようなものだと思ってもらえればいいだろう。
 それに加えて、投光器に使う1000Wの高圧水銀灯の電球はとにかく大きい。ちょうどバスケットボールぐらいの大きさはあったと思うが、重くはないがガラスでできているから取扱いも慎重にしなければならない。ちょっとでもどこかにぶつければ電球のガラスが割れて、ただの廃棄物になってしまう。しかもその名の通り電球の中には水銀が入っているので、不用意に割ってしまうと水銀に曝露してしまうから大変だ。

 そんな扱いを慎重にしなければならないものを持って、梯子を昇るなんてことはできない。まさか片手に持ったまま、30mもの上に行くのはできないので、上から吊したカゴで運ぶことになる。

 このカゴを30mの高さまで吊り上げるために、最低でも40mはあるロープを持って昇らなければならなかった。もちろん、それだけの長さがあるロープとなると、重さもそれなりになってくる。
 そして、その重さのある長いロープを持って昇るのは、やっぱり体力のある若い職員の役目。つまり、派出で唯一の20代である私の役目だった。
 長いロープは環のように巻いて、それを体にたすきのように掛けて昇った。こうすることで、一応は体が不自由なく動かすことができる。とはいえ、重さだけはどうにもならず、工具を吊した安全帯と、胴綱と命綱の重さもあるので、軽く10kgから13kgはあったと思う。ここまでくると、幼稚園児一人分かも知れない。いま思えば、よくもこんな重さで30mも昇ったものだと感心させられてしまう。
 さて、ようやく準備も整い、いざ30mの高さの上へと昇っていった。