5.なぜ、山手線で自動運転を進めようとしているのか
いよいよ本題に入ってきました。
前にもお話ししたように、自動運転を導入することで、運転士を乗務させる必要がなくなってきます。よしんば乗務させたとしても、彼らに車掌業務を担わせることで、車掌の乗務を省略できます。
いわゆるワンマン運転をさらに推進できるので、人件費の節減にもつながります。鉄道事業者としては、できるだけこうした経費を切り詰めたいのが本音なので、ぜひとも自動運転を実現させたいところでしょう。
JR東日本が山手線という、首都圏でも、いえ日本でも屈指の混雑と高頻度運転を誇る路線で、こうした自動運転を目指した試験を行ったのはなぜでしょうか。
やはりそこには人件費の削減ということが目標の一つとして考えられます。
山手線には通常、運転士と車掌とい2人の乗務員が乗っています。そのどちらかを省略できれば、1つの列車を運行するのにかかる費用は、人件費の部分だけでも約半分に抑えることが可能です。
JR東日本としても、やはり人件費の軽減は魅力的です。
列車の運転を機械に肩代わりさせるにしても、山手線というのは安全性でも疑問を持たれるのは当然かもしれません。日中でも3~4分ごとに列車は運転されていますし、なにより11両編成という、通勤路線でも長い編成両数を組んでいます。駅に停車する度に、大勢のお客さんが降りていき、代わりに大勢のお客さんが乗り込んできます。
ラッシュの時間帯になれば運転間隔はさらに詰まり、単純計算で1編成あたり1700人以上のお客さんの乗降を捌かなければなりません。そうなると、運転士か車掌のどちらかを省略してワンマン運転をするというのは、安全性の観点からも現実的ではないでしょう。
ところが、JR東日本にはそんな高頻度運転で混雑が激しい路線でも、自動運転を実用化させたい事情がありました。
それは、近い将来に訪れるであろうと言われている「運転士不足」なのです。
鉄道の運転士(機関車の場合は機関士)になるためには、国土交通省が交付する「動力車操縦免許」を取得しなければなりません。
この免許は、鉄道の本線を走行する車両を操縦=運転するための免許です。これがなければ、鉄道車両の運転をすることはできません。
ところがこの免許、誰でも簡単に取れるというものではないのです。
鉄道の運転士になろうとする人は、当然のことですが鉄道会社へ入社します。入社して駅や車両基地などに配属され、地上でのお仕事を経験していきます。
そして、鉄道事業者によっては、駅での運転業務(信号扱や操車、ホームでの監視など)を経験した後、車掌登用試験をパスして所定の教育訓練を受け車掌として乗務します。
数年ほど(早ければ1年程度)車掌として乗務を経験した後、運転士登用試験を受けます。
この運転士登用試験はそれまでの車掌とは異なり、非常に狭き門であるといえるでしょう。
運転士を希望する人は、まず最初に運転適性検査を受けることになります(もちろん、運転士だけでなく、鉄道の現場で働く鉄道マンは全員この適性検査を受けてパスしなければ、現場での業務に就くことも許されません)。鉄道事業者にもよりますが、1種~4種まで分けられていて、運転士は1種の適性検査をパスする必要があります。
検査の内容はクレペリン検査と反応速度検査、注意配分検査の3つからなりますが、担当する業務によって検査の内容や合格基準も異なります。そして、運転士の検査合格基準は非常に高く、誰でも合格できるというものではありません。(余談ですが、筆者も鉄道マンになって機関士を目指しましたが、この適性検査のふるいで落とされてしまい、機関士への道を諦めざるを得ませんでした。今となっては、それで良かったのですが)
見事適性検査を合格すると、次に医学適性検査を受けます。
身体的な病気や障害はもちろんですが、精神的な疾患や何らかの問題を抱えていることがないかを徹底的に調べられます。脳波検査もあるようで、ここでもふるいにかけられるのです。
考えてみれば、一度に1000人からの人の命を預かる仕事なので、病気などを抱えた人に運転士を任せることはできません。ですから、医学適性検査の基準も非常に厳しいものなのです。
医学適性検査も合格すると、晴れて鉄道事業者が設置している動力車操縦者養成の教習所へ入所します。この教習所は筆者が勤めていた会社では全寮制で、半年間缶詰になって運転士の学科と実技を学びます。
教習所でのカリキュラムをこなすと、テストを受けて合格点に達していることが求められます。万一、合格点に達することができていないときは、再テストもありますが最終的には不適正とみなされ、教習所から退所しなければなりません。
すべてのテストも合格すると、免許を取得するための試験となります。
この試験は国土交通省の実施する試験で、これに合格しないと免許が取れません。
無事に合格をすると、晴れて免許を手にしますが、その後は見習として実際の営業列車で訓練を受けていきます。
このように、運転士として乗務する鉄道マンは誰でもいいというのではなく、適性のある人が訓練を受けてなるものです。しかも、この訓練の費用は1人あたり約700万円以上もかかり、さらに訓練期間中も給与が支給されますから、その費用は莫大なものになります。
お気付きの方もいらっしゃると思いますが、鉄道もまた、航空機の操縦免許と同じくらい厳しい基準が設けられているためにハードルが高く、そして莫大な費用と、時間をかけて養成される職業なのです。
ところが、時代の流れは少子高齢化が進んでいます。最近では、生産年齢人口も減少していくことがいわれ、鉄道で働くひとも減っていくことが予想されます。
加えて、これから生産人口が減少していく中にあって、誰でもできる仕事ではない運転士は、このさきなり手が減っていくことは容易に想像できます。しかしながら、列車の運転本数は減るかというとそうではありません。恐らくは、横ばい状態が続くと思われます。
新人運転士のなり手が減っていく中で、これまで輸送を支え続けてきたベテラン運転士が、大量退職の時代に差し掛かってきました。国鉄時代から運転を続けてきた大勢の運転士が定年を迎えて現場から去っていった後、その穴を埋める若手が少ないという事態に直面しつつあるのです。
ベテランがいなくなり、後を埋める若手がすくないという自体が現実化してくれば、当然いままでのような多くの列車を運行することが難しくなるでしょう。多くの列車を維持したまま、少数の乗務員だけで回そうものなら、乗務員の休日や休憩休息を切り詰めなければなりません。
しかし、そうなれば安全運行を確保できなくなり、法令を遵守するどころかそれもできなくなってしまうといえます。ともすれば、あまりに過酷な勤務実態になり「ブラック企業化」に陥る危険もあるといえます。
言い換えれば、乗務員、とくに運転士の不足は会社にとって致命的なダメージを与えるといえるでしょう。