旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

走り抜ける「昭和の鉄道」 京の都から浪速へ川沿いを走る老兵・京阪2200系電車

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 子ども頃、鉄道を題材にした絵本に描かれていた電車の中で、なぜか印象深く記憶に残っているのが近鉄特急と京阪電車。全車は特急用の車両で、しかも「ビスタカー」という愛称とともに、2階建車両を挟んだ独特の流線型をしていたので、幼い少年の記憶に焼き付けるのには十分なインパクトがありました。

 ところが、京阪電車は?というと、特急用の「テレビカー」という愛称は印象に残っていたのですが、車両となると赤とオレンジの「テレビカー」ではなく、グリーンの濃淡に塗られた一般用の車両でした。
 その印象に残った理由なのですが、正面のおでこの部分、左右に振り分けられた大きな目玉のような前灯と、どういう理由があるのか前面の窓は固定式ではなく車掌側は開閉ができるようになっているというのがかなり新鮮でした。
 およそ国鉄はもちろん、関東の私鉄で走る車両にもこのような構造をしたものは見あたりません。

 それだけ、特異な形だったということでしょうか。

 京阪電車の中で、平成もそろそろ終わろうとしている2019年に入っても、長く走り続ける老兵たちがいます。
 その中でも今回ご紹介する2200系電車は、京阪でもっとも古い電車です。

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中書島駅へ入る2200系電車。時代の流れとともに冷房化工事や改修工事を受け、さらに新塗装が施されるなど、登場当初とは印象も異なる。とはいえ、極端な改修ではなかったが故に、その当時の面影を残している。(2018年8月 中書島駅 筆者撮影)

 2200系電車は1964年に登場しました。この1964年は和暦では昭和39年です。この年は東海道新幹線が東京-新大阪間で開通したり、東京オリンピックが開催されたりした年でした。

 今日、現役で走る鉄道車両の中で、大手私鉄などから地方私鉄へ譲渡された例を除いて、登場当初と同じ会社で走り続けている車両は、ほかを探してもあまり例がありません。

 同じ私鉄でも、関東の大手私鉄はその多くが30年~40年ほどで現役を退いていき、後を後輩である新型車両に任せて去っていきます。例外といえば、1962年に製造が始められ、1988年からは電気機器を更新し、2018年まで走り続けた東急7000系→7700系が50年以上走り続けました。

 JRに至っては、財政事情で国鉄から引き継いだ古い車両を使い続けざるを得なかったJR西日本は別として、同じく首都圏の輸送を担うJR東日本に至っては、誕生から20年足らずでその役目を終えさせ、廃車となる例が相次いでいます。
 また、一度不幸にも事故を起こしてしまい編成中の一部の車両が破損して復旧が困難と判断されれば、無事であった同じ編成のほかの車両も道連れになり、例えそれが製造から数年も経っていない新車同然であったとしても、事故車として運命を共にする例も散見されます。

 そうした首都圏の事情とは裏腹に、JRを含む関西の鉄道では長寿となる車両たちが、平成も終わりを迎えようとしている2019年も、変わらず多くのお客さんたちを乗せて走り続けているのが見られます。
 このあたりは、首都圏とは事情が異なり、JRも私鉄も大阪(または梅田や難波)を中心に、東は京都、西は神戸、そして南は和歌山へと並行して走る路線が多く、日常的にお客さんの奪い合いを続けている実態があります。
 ただでさえ少子高齢化でお客さんが目減りしているのですから、少ないパイを奪い合う状況から、おいそれとすべて新車に入れ換えてしまうということが難しいようです。
 また、これは関西の鉄道事業者共通の体質なのかも知れませんが、例え古くなっても適切な整備をしていれば、車両というのは年数が経っても走り続けることができるので、いつも入念な整備をして大切に使い続けることを是としていると思われます。
 そうすることで、新車をつくるコストをできるだけ出さず、長い周期で車両の交換を進めていけば、それは全体として運用コストを減らすことにつながる、という考え方が根本にあるといえるでしょう。

 そうした中でも、京阪の2200系の齢55歳は鉄道車両としてはかなりの長寿です。

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 京阪も最近ではVVVFインバーター制御式となった新車を導入していますが、その新車が走る中でも昭和の、それも戦後20年も経っていない時代につくられた2200系はまだまだ健在です。
 新型車両が鉄道車両としてはごくごく標準的な車体断面をもっているのに対し、2200系は「卵型断面」と呼ばれる変わった形状をしています。これは先輩である2000系電車から引き継いだもので、モノコック構造という従来の台枠と骨組みではなく、外板に応力を受け持たせることで普通鋼でつくられても軽量化ができる構造でした。
 まだステンレスやアルミ合金を使うことが難しかったこの時代に、一部の鉄道車両に採用されました。もっとも有名なのは東急電鉄5000系電車で、あの独特の丸みを帯びた下ぶくれなデザインは、このモノコック構造由来のものでした。
 そして、京阪2200系モノコック構造ですが、車体の断面形状は卵形で垂直方向は独特の丸みを帯びています。

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 京阪の電車の特徴はいくつもありますが、こちらの前灯もほかの鉄道事業者ではあまり見られません。

 正面の上部、左右に振り分けられるように配置された前灯は、ともすると眉毛にも見えなくもありません。その前灯はとにかく大きなもので、一目見ただけでも印象に残るでしょう。
 この前灯、これだけ大きいのには理由があります。

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▲1980年代の京阪2200系電車京阪電車の一般塗装でもある濃淡グリーンのツートンカラーは、今となっては過去のものとなってしまった。また、京阪の電車に共通して、先頭車の車掌側は開閉可能な窓が設置されいたのも特徴の一つ。夏季などに冷房装置がなかった当時は、この窓を開けて風を取り入れていたのだろう。戦前製の電車には多く見られた装備も、戦後では珍しいものになった。(©TRJN [CC BY-SA 3.0], from Wikimedia Commons

 もともとこの前灯、登場時は白熱灯が使われていました。白熱灯は一般的な電球で、家庭にあるものと同じです。よく、トイレなどあまり電灯を点さないところに使う電球です。
 この電球をできるだけ明るくし、そして前灯として機能させるにはライトケース内に反射板を設けます。白熱灯を使って反射板を設けたのですから、ライトケースも自ずと大きくなるのです。

 後日の改修でシールドビーム灯に変更されましたが、ライトケースの大きさは変わりませんでした。時代が進むと、シールドビーム灯からさらに効率が良く明るい高輝度LED灯に変わり、今日に至ります。