旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく「国鉄形」 常に目立つことなく隠れた力持ち【7】

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 大規模操車場の重入換作業に特化した性能を与えられたDE11形は、その開発の目的通り全国各地の操車場に送られ、くる日もくる日も何十両も連なる重い貨車たちを押し上げたり、列車として組成できたものは仕訳線から引っ張り出す仕事をこなしていました。

 私がよく新鶴見操車場の仕訳線群に架かる跨線橋から見ていたDE11形のお仕事は、まさに仕分けが終わり列車としての体裁を整え、出発線へ引き出すためにエンジンが咆哮と排気煙を上げてゆっくりと走る姿でした。
 こうした人目に触れない地味な仕事は、晴れている日でも雨の日でも、時には冬の雪の日でも昼夜を問わず続けられていました。言い換えれば、鉄道というのは1年365日、1日24時間、休むことなく動き続けているものということでしょう。
 ですから、新鶴見のように昔からある操車場で、周りもどちらかといえば準工業地帯ならば、DE11形のエンジン音や汽笛の音、貨車がレールの上を走る音も、周辺に住む人たちにとっては日常生活に溶け込んだ音だったので、それほど気にはなりませんでした。
 むしろ、冬の夜中、しんと静まりかえった街に汽笛の音が響くと、鉄道の町なんだという実感すら湧いてきたものです。


前回までは

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 ところが、住宅地の中にいきなり貨物駅がつくられるとなると、話は別です。
 それまで列車が走る音はもちろん、貨車の入換で生じるディーゼル機関車のエンジン音や汽笛の音は、そこに住む人たちにとっては耐えがたい「騒音」でしかありません。

 1980年代に入り、国鉄は混雑の激しさが増し続ける東海道線横須賀線の列車の増発は急務でした。この当時は、東海道線横須賀線の列車と貨物列車が同じ線路の上を走るという、今日では考えられない状態で、列車の増発などほとんど不可能でした。
 そこで、東海道線横須賀線を別の線路を走らせるようにし、加えて貨物列車は別に建設した専用の線路を走ることで、列車の増発をして混雑を解消しようとしました。
 旅客列車はそれまで走っていたところにさらに線路を増やして複々線にしましたが、貨物線はそうもいきませんでした。線路を敷くにも土地が必要ですが、沿線の横浜市内は既にたくさんの住宅や工場などが建ち並んでいます。線路を敷くための土地を新たに購入するとなると、地権者と交渉し同意を得て、さらにそれに見合った金額を支払わなければなりませんし、道路などほかの交通機関にも影響を及ぼします。

 そのような方法では、いつまで経っても線路の分離ができません。

 国鉄は貨物線については旅客線と同じ場所を通さず、内陸部に新たに貨物専用の支線を建設することにしました。これが、鶴見駅から横浜羽沢駅を経由して東戸塚駅に至る貨物支線です。

 ところが、この貨物支線は内陸部を通すため、ある問題を抱えることになります。それは、その多くが既に住宅地として開発されている地域を走るということでした。
 単に線路が走るところは、多くが地下区間になるので問題にはなりませんでしたが、いくつか地上に出るとことでは列車が通過する時の騒音が問題になりました。国鉄は、この貨物支線の地上部には遮音のためのシェルターで線路を覆い、騒音問題に対処しました。
 しかし、途中に設けられることになっていた横浜羽沢駅は、シェルターで覆うというわけにはいきませんでした。横浜羽沢駅は、横浜の臨海部に点在していた貨物駅の機能を集約し、横浜市域の鉄道貨物の拠点としてつくられた貨物駅です。

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▲横浜羽沢駅構内を構内投光器鉄塔より望む。駅を囲むように両側には丘陵地があり、ここがもともとは丘陵地の中にある小高い丘だったことが窺える。駅の近傍には畑が残っているところもあるが、駅が開業した頃には住宅も数多く建っていた。写真の中央より少し上を横切るのは第三京浜道路、その奥左手には菅田団地が見えることから、横浜のベッドタウンの一部であり、貨車の入換で出されるディーゼル機関車のエンジン音は住民にとっては懸念材料でもあった。(1992年頃 筆者撮影)

 

 ところがその立地は、住宅街にほど近い丘陵部を切り拓いたところでした。駅の敷地近くまで住宅地が広がる場所で、駅建設の計画が国鉄から示されると、当然住民は反対運動を繰り広げました。
 とはいえ、住民から反対されたから建設を諦めます、というわけにいかないのが公共工事の慣習です。ですが、できれば住民が指摘する騒音は少しでも小さくして、全部とはいわないまでも少しでも駅の建設に理解してもらえる努力はしなければなりません。

 そこで、住宅地の中に設けられた貨物駅や操車場での入換作業で、ディーゼルエンジンから出される騒音を抑えるための装備を施した機関車を開発することになりました。