旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

もう一つの鉄道員 ~影で「安全輸送」を支えた地上勤務の鉄道員~ 第二章 見えざる「安全輸送を支える」仕事・命を預かる役目・列車見張【4】

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 配属されて現場に出るようになって場数を踏むようになってくると、暑かろうが寒かろうが線路に出て作業をするのが当たり前のようになっていた。もちろん、線路内での作業は体力が必要だったし、ミスも許されないので気も張りつめて疲れはする。だが、毎回同じではないので学ぶことも多かったし、何より仕事を終えたときの達成感が心地よく、楽しくて仕方がなかった。


前回までは

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 ところが、ある程度仕事を覚えてできるようになってくると、現場に出る度に主任や先輩から、いつものトランシーバーを渡されて、

「ナベちゃん、扱い所お願い」

 と見張業務に就くことが多くなっていった。

 もちろん、見張りは大事な仕事の一つだ。そのことは頭では分かっていた。

 しかし、私としてはもっと現場での作業をこなし、たくさん学びたかったのだ。列車見張で信号扱所に上がってしまっては、こうした作業を通して学ぶこともできなくなってしまう。

 だから、列車見張よりも現場の作業をしたかったのだ。

 とはいえ、いくら自分でそうしたいと思っていても、主任や先輩の指示は絶対だ。電気区で一番下の私のような若い職員が、その指示に逆らうなどとんでもない話。だから、現場に着くとその指示に従うほかはなかった。

 そのうち列車見張の数の方が、現場での作業の数よりも多くなって来る頃、私自身にある種の焦りが出てきた。それは、同期がどんどん現場での作業を担当して成長していくのに、私はと言えば信号扱所でそれを見ているだけ。自分を成長させたいと思っていても、それができないでいたからだ。

 そのうち、同期の方が仕事ができるようになり、私はと言えば現場で列車見張しかできない、いわゆる「使えない職員」になってしまうのではないかと本気で考えたからだった。

 

 ところがある日、なぜ私が列車見張がほかの同期に比べて多いのか、主任に聞くことができた。まあ、こうしたことを主任に聞くこと自体、まだまだ若いというか、怖いもの知らずだったのだろう。今となっては苦笑いしかでてこないのだが、主任は快くというか、いつもと変わらず答えてくださった。

 その答えは私が想像するのとは違うもので、ちょっと驚いた。

 それは、私が電気の基礎を知っているからだというのだ。

 私は採用される前まで工業高校の電子科で学んでいた。お世辞にも成績はいいとはいえず、どちらかといえば赤点寸前の・・・いや、一部は文字通り赤点もあった・・・目も覆いたくなるほど低いものだった。だが、好きな電気に関連する専門科目は一生懸命に勉強したので、それなりの知識と技能は身につけていた。

 その点で、主任曰く現場に出てまで手取り足取り教える必要がなかった、ということだった。だから、同じ採用同期の職員と比べれば、早いうちに次の段階を学ばせてもいいだろう、というのだった。

 もう一つは列車見張を任せることで、学ぶこともあるだろうというのだった。もちろん、それには主任や先輩方にしてみれば、相応のリスクもあったのだ。だが、自分たちの命を預けるに足りるし、その分成長もさせられると踏んだというのだった。

 確かに同期に比べて担当を任されるのも早かった気がする。

 在日アメリカ軍専用線の保守工事設計や施工管理も任せてもらったし、区で扱うすべての資材管理も担当させてもらった。事務仕事ばかり回されるなあと、現場に出ることで充実感というか、仕事をやったという感動を味わっていたので、資材倉庫で現品票と在庫をチェックする地味な仕事にウンザリしたこともあった。

 しかし、そのポジションにその人を宛てるには、それなりの理由があったということを初めて思い知らされた。仕事ぶりやもっている力を見て、どの仕事に宛てて成長を促すかというのは、上に立つ人の仕事だ。

 主任や先輩が、そのように私を見ていたことに驚かされるとともに、ようやく自分の仕事場での立ち位置というのが分かったような気がした。だから、それ以来は「なぜ、そうなのか?」という疑問を抱くよりも、それは必要なことであり意味があることなのだから、「どうすればよりよくできるようになるのか?」という疑問を抱くようにした。

 そのことは今も続いている。

 仕事のそのものは変わっても、結局は同じだった。

 唯一つの決定的な違いは、かつては私が教わり育てられる立場だったのが、今は私が若い人を教え育てる立場になったということ。つまり、かつての主任や先輩方と同じ年になり、その苦労を味わうようになったということだ。

 そして若い人が、「なぜこれをするのですか?」という質問をぶつけてくれば、私はこう答える。

「なぜ、どうして?それは必要だからするんだよ。できるようになれば、その理由はわかってくるさ。それより、どうすればできるようになるのか、を考える方が成長するよ」