かつての鉄道貨物輸送の主力であった、車扱貨物の中心的役割を担った貨車操車場。そこでの貨車入換作業にあてるために、車体重量70トン、軸重14トンという異例の重量級で誕生したDE11形は、形こそ兄貴分であるDE10形と同じでしたが、その性格は異なるものでした。
1967年に登場し、全国の貨車操車場を仕事場に、晴れていようが雪が降ろうが、暑かろうが寒かろうが、そんなことに構うことなく、くる日もくる日も操車場に到着した貨物列車を押し上げ、そして組成の終わった列車を引っ張り出すという重労働をこなし、日本の物流を支え続けました。
しかし、時代の流れにはあらがえず、急速に発達する高速道路網と鉄道よりも小回りが効くトラック輸送の普及の前に、鉄道貨物は衰退の一途を辿っていきました。そして、頻発する国鉄のストと、手間と時間、そしてコストのかかる既に時代遅れになった輸送システムによって、荷主離れは加速していきました。そして、赤字を生み続けてしまう貨物輸送は、国鉄にとって文字通りの「お荷物」と化していきました。
▲貨物列車の先頭に立つDE11 2001。操車場という主な仕事場を失うなど、時代の荒波に翻弄され多くの仲間が運命を絶たれてしまった後も、幸運を手にした車両たちは今日も活躍が続く。既に車齢も40年を超え、老朽化が進行し後継車両の登場が待たれているが、いましばらくは活躍が続くと思われる。(©田中裕翔 [CC BY-SA 3.0], ウィキメディア・コモンズ経由で)
1984年2月のダイヤ改正で、操車場はその役目を終えて姿を消していきました。
DE11形が誕生してから僅か17年目でのこと。20年も経たずに彼らはその役目を失い、多くは廃車という運命を辿っていったのは、少なくとも20年以上は走り続けることが多い鉄道車両としては、短命といっても過言ではないでしょう。
まさしく、時代の荒波に翻弄されてしまったのです。
しかしながら、その短い間とはいえ、DE11が果たした役割は大きかったといえます。
何十両も連ねた貨物列車の先頭に立って本線を走ることや、たくさんのお客さんたちの目に触れる華やかな仕事とは無縁でした。しかし、その花形となる仕事とは遠く、けして表舞台に出ることはなくても、黙々と自らに与えられたミッションをこなす姿が、言葉どおり「影で支える」という重要な役割は、誰あろう彼らにしかできなかったかも知れません。
分割民営化によって多くの仲間たちがその運命を絶たれていった中、残った僅か13両の機関車たちは、その後も長く生きながらえ、21世紀に入り平成という時代が終わろうとしている2019年現在でも健在で、変わらず黙々と目立つことのない仕事に向き合い続けています。
誕生から既に50年。
これほどまでに表舞台とは縁のない機関車たちもまた珍しいでしょう。
しかし、どんな華やかな舞台にも、裏方で支える存在があってのこと。貨物輸送において、貨車の入れ換え作業というのは非常に地味な仕事ですが、私たちの生活に欠かすことのできない物流の中にあって、重要な役割をこのDE11形は担ってきたことは特筆に値するものだといえるのではないでしょうか。
〈了〉