旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

消えゆく「国鉄形」 ~湘南・伊豆を走り続ける最後の国鉄特急形~ 185系電車【6】

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(5)上越新幹線開業と新特急・・・185系北へ

 1982年11月に上越新幹線が大宮起点で暫定開業をすると、上野発着の高崎線上越線優等列車の整理が行われた。特急「とき」をはじめとした首都圏-上越地方を結ぶ特急、急行列車はほとんどが新幹線へ整理統合されて廃止になった。このため、特急「とき」で活躍していた181系は運用を終了、183系は住処としていた新潟運転所から千葉の幕張電車区へと異動していった。

JNR 181 series Kuha 180 Toki at Ueno Station
▲1982年11月の上越新幹線大宮開業により、それまで上野-新潟間を結んでいた特急「とき」は新幹線へ格上げになり、在来線の列車としては廃止になった。同時に新潟運転所に所属していた181系は運用を終了し、前者が引退していった。(©日本語版ウィキペディアDD51612さん [CC BY 3.0], ウィキメディア・コモンズ経由で

 一方、新前橋の165系といえば既に185系200番代による置換えが始まっており、急行「あかぎ」などの仕事は既に後輩に譲っていた。上越国境を越える急行「佐渡」は185系登場後も165系の仕事ではあったが、やはり上越新幹線開業の影響を受けた。特急「とき」程ではないにせよ、夜行便を中心に大幅に減便されたがなんとか3往復は維持されたといった状況だった。

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 このように大きく変化したなかで、長距離を走る特急や急行は廃止または減便となったが、近距離を結ぶ特急が新設された。特急「谷川」「白根」「あかぎ」といった列車がそれである。

 いずれも上野発着の特急列車だが、「谷川」は上野-水上間を、「白根」は上野-万座・鹿沢口間を、「あかぎ」は上野-前橋間を(前橋-桐生・小山間は桐生線普通列車として運転)結ぶ営業距離が200kmにも満たない短距離列車だった。

 従来の国鉄の特急列車といえば、営業距離は200kmなど優に超えるのが常識で、中には500km以上の距離を半日どころか丸一日かけて走る列車も当たり前にあった。長大編成を組んだ列車による長距離輸送は得意だが、短い編成を組んだ列車による近距離輸送には不得手というのが、1970年代までの国鉄の実態であった。

 その中で、唯一の例外が首都圏と湘南・伊豆を結ぶ列車だったが、上越新幹線開業によって高崎線上越線も様相が一変し、新幹線を補完する在来線の近距離特急列車を新たに誕生させることになり、その新たな列車には新しい185系が宛てられた。
 これまでの特急とは異なる装いで、新しい特急列車の運転は硬直化していた国鉄の施策の中では比較的新鮮味があったと思われる。実際、これらの新設特急は名称を変えながらも民営化後も存続し続けている。(ただし、一部は定期列車ではなく臨時列車となったが)

 ところで、新たに設定された高崎線上越線の短距離特急列車は、1985年のダイヤ改正で「新特急」という新しい列車区分となった。厳密には新たな列車の種別ではなく特急列車の一つであり、愛称に含まれる形で、「新特急あかぎ」「新特急白根」「新特急谷川」となった。

JR East 185 shintokyu tanigawa akagi
上越新幹線が開業したあと、高崎線には短距離を走る特急列車が新たに設定された。これは、急行を格上げしたことによるもので、後に「新特急」となって自由席主体、定期券でも特急券を購入すれば乗ることができるなど、旧来からの特急とは異なり「利用しやすい」制度となった。こうした施策の背景には、185系が従来の特急形車輌と比べて接客設備の質が低く、さらに停車駅も急行並みに数多く設定されたため速達性も急行並みであったためと考えられる。(©spaceaero2 [CC BY 3.0], via Wikimedia Commons

 この新しい特急列車は、それまでの特急列車は指定席が主体であり、L特急が登場してから自由席も設定されたがそれでも指定席の方が多かった。
 そして何よりも従来の特急列車に乗るためには、特急券はもちろん普通乗車券を購入しなければならず、乗車する区間に通用する定期券や回数券をもっていても、特急列車に乗車するためにはこれらの乗車券は使えなかった。

 言い換えれば、通勤利用者にとって特急列車は利用しがたい存在だった。それ故に、いくら通勤通学の時間帯に特急列車が走っていても、定期券利用者は普通乗車券と特急券を購入しない限り乗ることができず、そうした潜在的な利用者を取り込むことができない制度でった。そのため、これらの列車は常に空席がある状態での運転を余儀なくされていた。

 そこで、新特急は自由席が主体の特急列車として設定された。従来の特急列車の制度とは異なり、定期券利用者も通用する区間の定期券をもっていれば、特急券を購入するだけで利用できるようにして、利用の促進と料金券による収入増加を目論んだといえる。

 そして新特急の設定でもう一つの理由は、やはり185系による運転だったことも一つの要因であったといえるだろう。従来の特急が普通車でも簡易リクライニングシートを備えた車両で運転されていたのに対し、185系の普通車は転換クロスシートと急行形に毛の生えた程度の設備だった。高額な特急券を徴収する割には低いサービス水準であったことは否めない。

 加えて上越新幹線開業により、急行を格上げした形で新設した特急列車だったため、停車駅の数も急行時代と変わらず多く設定されていた。そのために、車内のサービス水準だけでなく、速達性も急行列車並みとなってしまうこともあり、新特急という新たな列車をつくりだしたといえる。