第二章 見えざる「安全輸送を支える」仕事・派出勤務と一本立ち【3】
派出勤務になってしばらくの間は、詰所での事務作業などをして過ごすことが多かったが、日が経つにつれて現場での仕事を割り当てられることも多くなった。もちろん、事務係ではないので、ずっと事務仕事ばかりというわけにいかない。電気係という職名である以上、現場に出てなんぼの仕事だ。ある程度職場に慣れ、先輩方が渡邊という新人が「使い物になるのか、それともならないのか」を見極めがついて、ようやく現場へ再デビューということになったようだった。
ところが、本区で一通りの仕事は覚えて、自分ではいっぱしになったつもりで異動してきたのだが、実際に現場に出てみると惨めなくらいに自分自身が使い物にならないことを思い知らされた。
というのも、例えば同じ転轍機の定期検査という作業でも、本区で教わってきた作業の手順と、派出でやっている手順ではまるで違うのだ。なまじ腕に覚えがあるからと、先輩よりも真っ先に転轍機に取りつき、蓋を開けて作業を始めると、「おい、何やってんだ?そんなんじゃないぞ」と、苛立たしさを露わにして言われる始末だった。
いや、本区ではこの手順でやっていたんです!
なんて言えたら言っていたかもしれないが、ヘタに口答えしようものなら、先輩からお小言を頂戴する羽目になってしまう。いや、お小言だけならまだマシな方で、ヘタをすれば怒鳴り飛ばされ機嫌を損ねてしまいかねない。そんなことになったら、それこそ面倒でしかない。
だから、私は「この手順が正しい」ということは言わず、先輩がどのようにして作業をするのかを知ることにした。作業をしているのを見ていると、結局、辿り着くところは同じなのだ。転轍機の検査なら、トングレールの横圧の具合を調べ、可動部の狂いを規定値以内に収まるようにボルトを調整し、摺動部分には油を差す。そして、作動状態を目視で点検して、異常がないかを確かめるというもの。
これだけの作業なのだが、なぜだか本区と派出では手順も、やり方も異なっていたのだ。
そして入社して1年が経った程度の経験値しか持ち合わせのない私には、こうしたやり方の違いに戸惑い、そして「同じ会社なのに」どうしても違うことに違和感すら感じていた。
この「違い」の答えこそが、本区から派出への異動が、前にも書いたように国鉄時代で言うところの「局間異動」ということだった。同じ貨物会社で、しかも支社も同じ管轄にありながらも、横浜羽沢電気区の本区は元をただせば東京南局の管内だ。ところが、私が赴任した梶ヶ谷派出は、国鉄時代は東京西局の管内。いまは同じようなところを流れてはいても、その源流は両者ともに異なるのだ。
そして、隣り合った鉄道管理局であっても、互いに決して交わることなく、独自に発展してきた経緯もあってなのか、同じ施設を検査するにしても、細かいところで異なる方法であったり、考え方であったりするのだ。
この「異文化」に慣れるまでには、とにかく時間と労力が必要だった。
私が派出の・・・いや、西局の流儀に慣れたのは、異動から半年近くが必要だった。だから、毎日が新鮮でありながら、自分が学んできたことが役に立たないという、苛立ちに似たようなものを抱えて、仕事をするという毎日だった。
「異文化」といえば、何も仕事だけではなかった。
鉄道マンの仕事は、朝も昼も夜も、そして平日だろうが休日だろうが、そんなこと関係ない。皆さんが利用する列車の多くは、早朝から深夜まで走っている旅客列車だ。1時間ないし2時間に1本の列車が走るローカル線であれば、列車の来ない時間帯を狙って昼間にも線路内に入って作業ができる。ところが、大都市圏、それも東京近郊のように数分に1本の列車が走っていては、線路内に入るわけにはいかない。
世間が動いている時間帯に大規模な工事はできないので、夜間にも作業をすることがある。そんなときは、夕食を自分たちでなんとかしなければならない。加えて、梶ヶ谷派出での現場作業のほとんどが八王子駅などに出向いていたので、昼食も弁当ではなく現地の飲食店を利用することが多かった。だから、一日詰所での仕事になると、昼食もなんとかしなければならない。悪いことに、駅の周辺は住宅地で、食事ができる適当な店はなかった。私が鉄道マンだった1990年代の初めごろは、コンビニエンスストアがたくさんあったという時代ではなかった(むしろ、今のように数100メートルおきに、同じチェーン店が店を出しているのも異常だが)。だから、平成初めの頃の鉄道マンは、昼食や夕食を自炊をするほかなかった。
ところが、この自炊でも困ったことが起きてしまった。
例えば今日の夜は夜勤で、夕食にカレーライスを作るとしよう。基本的には野菜と肉を鍋で炒め、ある程度火が通ったところで水を注ぎ、煮立ったらカレーのルーを入れてよく煮込む。作り方はただそれだけの、比較的簡単な料理だ。
私が本区で教わったのは、最初に肉を鍋に入れて炒め、赤ワインを少し入れるというもの。そして、カレーのルーは、1つの銘柄ではなく、必ず2つ以上をブレンドし、最後に隠し味にインスタントコーヒーを入れて、味を引き締めるという作り方だった。
ところが、派出ではまったく違った。先輩から、カレーぐらいは作れるだろうと調理を任されたまではよかった。ところが、私の傍に立って見ていた先輩は、「おいおい、そんなんじゃない」と、少し声を荒げながら言ったのだ。
20歳になったばかりの若い職員である私は、40歳も半ば、まるで父親と同じような歳の先輩にそういわれれば、いったい何が悪かったのかと考えるしかなかった。先ほどもお話ししたように、本区で教わった手順からは外れていないのだ。
はてさて、何がどうしたのかと戸惑っていると、鍋に具を入れる順番が違うというのだ。
そう、派出では、野菜を先に入れて炒め、肉はあとから入れるというのだ。先輩曰く、肉はあとから入れて、表面だけを炒めて、あとは煮込む方が肉の味が出るというのだ。
私にしてみれば、カレーのルーを入れて煮込んでしまえば、肉の味などあまり分からないから、肉を先に入れようが後から入れようが、そんなに変わるものではなかった。が、先輩たちはと言えば、それがとても重要だったのだ。
カレーのルーの入れ方も、本区と派出では違った。派出では、ルーの銘柄は1つだけ。それも、銘柄は、先輩が指定したものでなければダメ。隠し味はソースとトマトケチャップを使うというから、できあがったカレーの味は、当然、本区のものとはまったく違うものだった。
恐らく、これをお読みの方は「なんだ、ただ単に、ついた先輩の好みに振り回されているんじゃないか?」と思われるかも知れない。ところが、派出の他の先輩(電力区の出身)に聞いてみると、「なんだ、ナベ。そんなの、当たり前だよ」と言われる始末。どうやら、東京南局と東京西局では、料理をつくる文化に違いがあったようだった。
同じ仕事、同じ料理。でも、それは似て非なるもので、こと国鉄のような大所帯で、見えない大きな垣根に隔てられた鉄道管理局は、それぞれに独自の文化をつくりあげたということだ。もっとも、民営化後に入社した私には、そのようなことを知るはずもなく、同じ部署なのに、これだけ違って振り回されると、もう笑うしかなかった。いや、それどころか、短い間に、多くを学ぶ絶好の機会に恵まれたのかも知れない。