旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 急行「かいもん」の思い出話 ~つづき~

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 一度書き始めると、どうしても「あれも書こう」「これも書こう」なんて欲張ってしまうので、ついつい話が長くなってしまいます。

 今回の「かいもん」のお話も一回で終わらせるつもりが・・・気付いたら、2回跨がってしまいました。

 いやはや、悪い癖なのかも知れませんが、今回も最後までお付き合いいただけると嬉しい限りです。

 

 小学生の頃、祖父に連れられた九州旅行で「かいもん」に乗ってから、十年弱後。

 高校を卒業し、貨物会社に入社した筆者は、いきなり九州・門司に赴任することになりました。もちろん、高校を出てすぐに実家を離れ、遠く1000km西の地で生活しようなど思いもしませんでした。

 同じ高校を卒業した友人は、さらに南の島に赴任していったので、鉄道でつながっている分だけまだマシだったのかも知れません。

 

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 その友人と、鹿児島で会おうということになり、公休日に会社から支給された社割購入券を使って、西鹿児島へと行きました。

 行きは小倉から、当時最新鋭だった783系「ハイパーサルーン」で運転されている「ハイパー有明」に乗ります。

 社割は乗車券だけでなく、すべての料金券が半額になります。ですから、特急券はもちろん、寝台券やグリーン券も半額なのです。そもそもの給料が低かったので、そうそう遠くに出かけるなんて難しかったので、ここぞとばかりにグリーン車に乗って出かけました。

 さて、友だちと鹿児島で遊び、夜は天文館通で飲みました。

 鹿児島の酒といえば、やはり芋焼酎です。芋焼酎は独特の香りと、僅かな甘みがあります。その飲み方といえば、一般的にはお湯割りでした。
 ただし、お湯割りといっても関東の割り方とは異なり、焼酎とお湯は7:3で割合で割るので、飲めば飲むほどお酒の量が多くなります。

 話も弾み、食も進んで飲んでいれば、時間なんかあっという間に過ぎ去っていきます。もちろん、飲み終わったのは深夜。すでに多くの列車は発車した後で、普通列車の終発は過ぎていました。

 ところが、西鹿児島から門司までは、特急列車で6時間以上はかかる距離。翌日は当然勤務が入っていましたし、いまでは考えられませんが、研修中の職員は年休を取ることが許されていなかったので、「飲んでいて帰れないので休みます」なんてことは絶対に不可能です。

 そこで、筆者がチョイスした列車が、あの急行「かいもん」でした。

 西鹿児島駅を深夜に発車する「かいもん」に乗れば、友人とぎりぎりまで飲んだり食べたりすることができ、しかも、門司駅に到着するのは翌日の7時前。これなら、8時30分の課業開始までには、門司機関区に出勤することができます。

 やはり、夜行列車はこうした使い方が一番便利です。

 友人と酔っ払いながら西鹿児島駅のホームに着くと、青いボディーの列車が発車を待っていました。

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 この当時の「かいもん」は、座席車は国鉄時代から変わらず12系でしたが、寝台車は20系から24系25形に代わっていました。それもそうでしょう。20系は寝台幅50cm(この幅は、103系などの通勤形電車に備わっているロングシートの座席幅とほぼ同じ)の3段寝台。これでは平成の時代にお客さんは使ってレ内でしょう。加えて、20系は製造初年が1958年。さすがに最古参の車両は現役を退いていたでしょうが、どれだけ新しくても1970年の製造で、車齢も20年以上が経っていたので老朽化も進んでいたと思われます。

 一方、24系25形は製造初年こそ1973年ですが、もっとも新しい車両は1980年に製造なので、車齢も若かったのです。寝台幅は70cmに広がり、2段寝台になって居住性は大幅に向上しています。ただし、基本形式となるオハネ25の定員は34名と、ナハネ20と比べると大幅に少なくなってしまいました。
 それでも、ただでさえ寝台車は利用が低迷しているので、利用者をつなぎ止めるためには、居住性の大幅な向上は最優先課題だったのかも知れません。

 また、この頃から寝台特急列車の運転本数が徐々に減り始め、当時最新だった24系25形も余剰が出始め、これらの車両の処遇も問題になっていたと推測できます。当時、車両を保有していたJR九州は、民営化されたとはいえ法律によって設立され、株式もすべて国が保有する特殊法人で、会計検査院の監査を受ける立場でした。保有する車両に余剰があるとなると、会計検査院から指摘されかねません。
 これらの車両を有効活用するために、老朽化と車内設備の陳腐化が著しくなった20系を置き換えるのに、ちょうどよい「再就職先」だったといえるでしょう。

 こうした様々な事情があって、「かいもん」の寝台車は24系25形に代わっていったのです。

 ここまで書くと、2度目の「かいもん」の乗車は、寝台車を選んだのかとお思われるでしょう。

 ところが、購入したのは寝台券ではなく、指定席券と急行券でした。
 理由は簡単で、急行券はとても安いことと、指定席券を合わせても大した値段になりません。しかし、寝台券はそうはいかず、いくら半額になるとはいえそれなりの出費になります。

 筆者が入社した当時、貨物会社の高卒職員の初任給は、手取りで12万円に届くか届かないか。勤務体系は夜勤のない日勤を指定されていたので、当然ですが夜勤手当などもらえません。ですから、基本給と都市手当だけが支給されていたので、最低限の給料しかもらえていませんでした。

 しかも、入社してすぐに九州支社勤務を命じられ、否応もなく寮暮らしになったので、生活費などなどすべて自分で賄わなければなりません。そんなに無駄遣いができるわけでもなく、結局、寝台は諦めて座席車を選んだのでした。

 さて、話を戻しましょう。

 友人と大いに飲んで食べて気分もよくなった筆者は、西鹿児島駅のホームへと辿り着きました。そこには、門司港駅行きの「かいもん」が、ブルーの車体を横たえて発車の時刻を待っていました。

 指定席券を見ながら、目的の車両に乗り込むと、座席に座る間もなく窓を開けて、わざわざホームまで見送りに来てくれた友人との別れを惜しみました。

 そう、窓は開いたのです。

 1991年7月の時点でも、座席車は12系のままでした。

 懐かしい急行形客車の座席に体を預け、しばし友人と親交を深めた余韻に浸っていると、何か違うことに気付きました。

 なんと、座席はリクライニングできたのです。

 かつて、国鉄時代に筆者が乗ったときには、座席はすべてボックスシートでした。向かい合わせになった2人用の座席は、背もたれがほぼ直角になった硬いもので、リクライニングなどできません。

 ところが、1991年に乗ったときには、あのボックスシートに代わって、座り心地のよいリクライニングシートになっていたのでした。

 寝台車が20系から24系25形に代わったのと同じように、座席車もまたリニューアルしていたのです。しかも、この座席は、廃車になった車両からの転用とはいえ、普通車のものではなくグリーン車で使われていたものだったのです。
 当然ですが座席はゆったりとしたサイズで、リクライニングの深さもそれなりにあり、夜行列車の普通車としてはとても座り心地もよく、ゆっくりと休めるものでした。この当時、夜行高速バスに3列シートはまだまだ一般的ではなく、ごく限られた路線でしかお目にかかれません。4列シートとなれば、座席幅やシートピッチも一晩、寝ながら過ごすには快適とは言い難いものがあったと想像できます。

 そんな中で、シート配置は4列余はいえ、幅のあるゆったりとした座席のおかげで、一晩ゆったりと過ごすことができました。

 この座席のグレードアップは、民営化直後に行われたようでした。JR九州は多数のローカル線を抱え、稼ぎ頭になるのは福岡都市圏と北九州都市圏のみで、これとて限度があり、JR東日本の首都圏のようにはいきません。
 そのために、陳腐化した接客設備をグレードアップして、グリーン車並みの快適性をお客さんを呼び込もうと

 ところで、「かいもん」に乗ったとき、気になることもありました。

 それは、乗車率の悪さでした。

 筆者が乗ったオハ12には、なんと1桁台のお客さんしか乗っていません。それも、片手で済む数しかいなかったのです。

 かつて「かいもん」に乗ったときには、座席の確保もやっとというほどのお客さんが乗っていました。そんな面影などいったいどこへいったのかと聞きたくなるほど、ガラガラの車内に驚かずにはいられませんでした。

 ただでさえ、寝台特急の利用は低迷し、凋落の一途を辿り続ける中で、特急列車に比べ、安価な料金で乗ることのできる夜行急行もでさえも、利用率の低下に歯止めがかかりませんでした。

 既にこの頃、都市間高速バスの発展は目を見張るものがあり、鉄道よりもさらに安く、そして利用者のニーズに応えたダイヤ設定、さらには高速道路網が整備される度にバラエティーに富んだ行先など、もはや鉄道など敵ではないほどの勢いでした。

 利用しやすい時間の設定は、まさにバスの強みでしたし、鉄道よりも運賃が安いとなれば、それはもう長距離旅行者の支持を集めるのは必然だったといえるでしょう。

 一方の鉄道はといえば、年々老朽化と陳腐化が進行する車両で走らせ、しかも利用者のニーズに合わないタイヤ設定も存在しました。「かいもん」も翌日7時前には終着に着くとはいえ、発車時刻は23時前と高速バス並ではありましたが、やはり運賃の高さでバスには太刀打ちできなかったと推測されます。

 JR自身も、夜行列車の運転には消極的でした。

 「かいもん」も客車のリニューアルを施したとはいえ、年々利用率が低下していっては、運転をする意義を失ってしまいます。加えて、夜行列車の運転には昼間のそれとは比べものにならないくらいのコストもかかります。夜通し運転するため、「かいもん」のために徹夜勤務の運転士を手配しなければなりません。車掌に至っては、始発から終着まで通しで乗務するので、そのためのダイヤを組み車掌を手配します。

 そして、停車する駅は深夜でも稼働させなければならず、当然のことですが駅員も業務に就かせなければなりません。

 さすがに、これだけのコストがかかるので、財政的に余力のないJR九州は、「かいもん」「日南」については、自社の機関車と乗務員での運転はせず、JR貨物に運転を委託していました。門司機関区に所属する機関車と機関士が、旅客列車である「かいもん」「日南」を運転していたのです。これは、全国的に見ても珍しいもので、国鉄時代であれば当たり前だったことが、民営化後には珍現象として見られる、なんとも皮肉な話でした。

 

f:id:norichika583:20200321180501j:plain▲貨物会社に所属するED76が「かいもん」を牽引しているのがよく分かる。ED76 1008は民営化後に貨物試験色を身に纏っていた。ポールの影になって見にくいが、白帯の上に「JR貨物」の標記があった。(©spaceaero2 / CC BYWikipediaより引用)

 

 「かいもん」に乗り込み、座り心地がよくなった座席に座ると、背もたれを思いっきり倒して眠ってしまいました。途中、駅には停車もしたようですが、心地よい揺れと車輪がレールの継ぎ目を通過するリズミカルな音に、翌朝まで爆睡してしまいました。
 これも、リニューアルによって座席がグレードアップしたことの賜。

 目を覚ましたのは遠賀川を通過したあたり。ちょうど、小倉駅博多駅の真ん中近くで、さすがに起きないわけにはいきませんでした。半分眠い目を擦りながら外を見ると、まだ夜は明けきっていません。7月初めなので、6時よりも前のことでした。

 約7時間をかけて門司駅に着くと、人影はほとんどなかったのを覚えています。

 国鉄の分割民営化から7年目とはいえ、門司駅はごく一部を除いて清算事業団による基盤整備工事も手つかず、つまり国鉄時代と大きく変わっていなかったので、ホームは長く広い構内は「かいもん」が到着した以外は静かなものでした。

 とうぜん、こんなに早く到着しては、駅前のお店も交通機関も動き出していません。

 仕方がないとばかりに、まだ起ききっていない疲れた体を引き摺りながら、当時住んでいた鉄道寮まで15分くらいの道程を歩いて帰りました。

 もちろん、寮に帰ると風呂に入って朝食を摂る時間もあるほどの余裕。そして、定刻通りに門司機関区に出勤し、点呼で割り当てられた担務指定は、驚くことに前日に鹿児島本線上で人身傷害事故に遭ったED76 1014の臨検入場でした。

 

 この後、残念ながら「かいもん」に乗る機会はありませんでした。

 筆者自身が九州を離れたことと、僅か4年後には退職したことで、そのチャンスに恵まれることがなかったのです。加えて、九州内を走り続けた夜行急行も、利用の低迷に歯止めがかかることがありませんでした。
 都市間高速バスがさらに発展し、居住性もよく安価な運賃設定など、もはや鉄道が太刀打ちできる状況にはなかったのです。加えて、車両の老朽化や客車列車特有の運用コストや、電車の性能が著しく向上したことで、加速力に乏しいことでダイヤ編成上のネックになっていたこともあり、筆者が最後に「かいもん」に乗った1992年の翌年、1993年のダイヤ改正で、「かいもん」は日豊本線の「日南」とともに、電車化されてしまいます。787系による「ドリームつばめ」「ドリームにちりん」として特急への格上げがされたのでした。

 1959年に気動車準急として走りはじめた「かいもん」は、長い歴史にその幕を閉じました。
 九州の中心である博多と、九州西岸の各都市、とりわけ鹿児島本線沿いの県庁所在地を結んだその役割は大きかったといえるでしょう。国鉄分割民営化直前の頃でさえ、座席の確保が難しかったあの賑わいからも、多くの人々を運び続けてきたことがわかると思います。

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 夜行列車そのものがほぼ壊滅してしまった今日、「かいもん」に乗ったときのことを思い返すと、まさに「昭和」の雰囲気がたっぷりと残った列車だったと言えます。昭和生まれで、齢50近くの筆者にとって、あの「懐かしさ」に浸るとたまらないものがあるといえます。

 今回も、最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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