いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。
7都府県に緊急事態宣言が出されて2週間が経ちました。ターミナル駅などでは人出も減ったようですが、逆に商店街やスーパーなどは宣言前に比べて増えているようです。
筆者の地元であり生まれた地でもある商店街も、以前に比べて賑わっているようです。地元が賑わうのは嬉しいことなのでしょうが、こいういうご時世なので困惑しています。
ということで、外出は必要最低限に抑えているので、家にいる時間が多くなっています。せっかくならと、家の片付けに勤しんでいますと、いろいろなモノが「発掘」されるのです。
その中の一つが、今回ご紹介する写真です。
EF65は今日も、貨物輸送の一端を担う機関車で、国鉄が設計・製造した直流機関車の傑作機と言っていいでしょう。1号機の落成が1965年で、この2号機も同じ年に落成しています。
1号機は栄えあるトップナンバーということで、国鉄の分割民営化ではJR西日本に継承され、保存ののちに京都鉄道博物館に収蔵され展示されています。
ところが2号機はというと、分割民営化の直前に「余剰機」とされて廃車になり、国鉄清算事業団の所有となりました。
この清算事業団の所有ということは、車籍は既に失っているので本線上を走ることもできず、解体されて鉄屑となって売却される運命が決まっていました。その売却益は、当然ですが国鉄が残した借金の返済に充てられます。
2号機も、他の余剰機とともにそうなる運命でした。
ところが、民営化後間もない頃、それに「待った!」がかけられたのです。
その「待った!」をかけたのがJR貨物でした。
バブル景気真っ盛りの1980年代終盤、貨物の輸送量は増える一方で、ダイヤ改正の度に列車を増発して対応していました。ところが、増発はしたものの、それを牽く機関車は足らなくなっていました。
必要最低限の機関車しか持たせてもらえなかったことと、まさか民営化後に列車を増発することになるなんて、予想していなかったのです。
とはいえ、新車をつくるには時間もお金もかかります。それなら、一度は「余剰機」にされたとはいえ、いまだ解体されず保管されている機関車を買い戻す方が、安くて即戦力にできる!ということで、JR貨物は清算事業団から、状態のよい何両かの機関車を買い戻したのでした。
そのうちの1両がこの2号機だったのです。
2号機が選ばれた理由は今ひとつ分からないこともあるのですが、状態がよく、総走行距離も比較的少なく、すぐに使用に耐えうることが必須だったそうです。とはいえ、2号機はEF65としては初期の製造だったので、年季が入っていたことは間違いありません。
それでも選ばれたのは「1号機は西の旅客に持ってかれたから、ウチ(貨物)も若番の2号機を買い戻したんだ。若番機なら、注目も集まるだろう?」などと、ホントなのかただの噂なのか判断しかねる理由も聞かされました。
ところが、買い戻した2号機は既に切り文字のナンバーが外された後でした。新しい切り文字をつくるにしてもお金がかかるということで、状態が芳しくなく解体が決まっている機関車から切り文字を取り、別につくったブロック式プレートに付けるという方法をとりました。
そのため、ご覧のように、0番代でありながらブロック式プレートを付けた特異な外観になりました。
2号機は復活のための整備を受けた後、再び本線上を走りました。蒸気機関車なら大騒ぎになるお話ですが、電機だったがゆえにその復活も静かなもの。他の何両かもJR貨物に買い戻され、「復活機」などと称され、首都圏や東海道本線筋の貨物列車を牽きつづけました。
一度は廃車・解体という運命を決定づけられながら、頼もしい「助っ人」として「復活」という幸運を手にした2号機は、後継となる新型機の増備・開発の遅れもあって、199 年までの 年間、現役にあり、まさに一転して「幸運」を手にしたカマの一つとなったのです。
「運命」とは本当にわからないものです。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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