旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 天竜川の畔にたたずむキハ20

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 首都圏に生まれ育った筆者(私)にとって、気動車とはあまり縁のない存在でした。物心ついたときには、オールステンレス車が数多く走る東急線に乗り、電気機関車や貨車が数多く集まる操車場の近くに住んでいたので、列車=電車というのが当たり前だったのです。

 それでも、年齢が上がるにつれて、気動車という存在を知ると、いつしか鉄道で旅をする中で乗ってみたい、なんて思うこともありました。

 首都圏にも非電化のままの路線がありました。相模線や八高線などは、自宅からも比較的近いので、自分で稼ぐようになったら訪れてみたいと思ったものでした。しかし、鉄道会社に就職してしまったのが運の尽きとでもいいましょうか、趣味と実益は兼ねるものではないなんて、妙な意地を張ったことと、ほぼ毎日のように仕事で訪れた八王子駅で、八高線気動車を見ていたことで興味をもたなくなってしまったのです。

 まあいま考えると、非常にもったいないことをしたなと後悔をしています。

 

 ここ数年は、家族旅行で浜松を訪れることが多くなりました。子連れでも安心して泊まれる温泉宿を見つけたので、「旅行に行くぞ!」となると、第一候補として浜松が上がってきます。

 浜松の周辺の鉄道といえば、遠州鉄道天竜浜名湖鉄道でしょう。 

 天竜浜名湖鉄道(通称、天浜線)は、静岡県東海道本線掛川駅から内陸にある天竜二俣駅を通り、東海道本線新所原駅を結ぶ鉄道です。地図上で見ると、東海道本線から浜名湖の北側を迂回するように通っていることが分かります。

 かつては、国鉄二俣線と呼ばれていました。東海道本線の内陸を通るバイパス線として建設されました。これは、建設当時に軍部からの要請で、メインルートとなる東海道本線が有事に敵軍の攻撃に晒されたとき、軍事輸送を途絶えさせないためでした。

 建設当時は東海道本線二俣線も非電化でした。

 ところが、東海道本線は戦後になり輸送量も増える一方で、石炭などの燃料事情と動力近代化もあって、熱海以西が次々と電化されていきました。それまで蒸機が牽いていた列車は電機に代わり、やがて長距離を走ることができる電車が実用化されると、客車列車は電車列車に変わっていきました。

 一方、二俣線はメインルートとなる東海道本線とは異なり、いわゆるローカル線のままでした。そのため、電化されることなく非電化のまま残り、蒸機から気動車による運転へと変化していきます。

 

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 しかし、海沿いの東海道本線とは異なり、二俣線の沿線は内陸部、甲斐駒ヶ岳北岳などを擁する通称南アルプスと呼ばれる赤石山脈の南端の麓や、三方原台地などを通るため、東海道本線のような事項が密集した地域から離れていたために、利用はあまり振るわず、国鉄の分割民営化が決まると1984年には特定地方交通線に指定され、廃止が承認されてしまいました。

 とはいえ、沿線にとっては住民の貴重な足でもありました。そこで、静岡県が設立した第三セクターである、天竜浜名湖鉄道が設立されます。1987年3月15日に国鉄二俣線は廃止となり、同時に同社に継承されて天竜浜名湖線となったのでした。

 その天竜浜名湖線天竜二俣駅には、国鉄時代に使われていたキハ20が保存されています。

 国鉄時代の末期は、列車の運転本数もそう多くなかったようで、いわゆるタラコ色に塗られたキハ20だけが行き来していたといいます。

 

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 天竜二俣駅のキハ20 443は比較的きれいな状態でした。もっとも、首都圏色とも称された朱色4号の塗装は、国鉄の合理化の一環で採用された気動車用の塗色ですが、この色彩の特徴なのでしょうか、太陽に晒され日が経つつれて褪せてしまいます。そのため、「タラコ色」などと言われるようです。

 たしかに、色褪せると焼きタラコみたいな色になっていなくもありません。そんな色彩のキハ20を見ていると、国鉄末期のローカル線を思い出させてくれます。

 

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 アングルを変えて青空と一緒にすると、さすがにタラコ色には見えなくなり、朱色の色彩が鮮やかになりました。

 すでに本線と絶たれたであろう線路の上に静かにたたずむキハ20。その横を天浜線をTH3000といった今時の気動車が軽快に走っていきました。車体も軽くなり、出力も強力になったエンジンを装備する気動車は、かつてここを走ったキハ20とは違う走りでした。

 鈍重ながらも、地域の貴重な交通手段としての役割を果たしたキハ20は、この地で静かに過ごしながら、かつての二俣線の姿を伝え、後輩たちの活躍を見守っているのでしょう。

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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#キハ20 #ローカル線 #気動車 #天竜浜名湖鉄道 #国鉄