いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。
たまに「好きな車両は何ですか?」のような質問に会うことがあります。一番好きなのは赤いカマです。赤に塗られた機関車=交流電気機関車のことです。鉄道マン時代は電気関係が仕事だったこともあり、添乗したED76の運転操作の面白さもあって、交流電機がすきなのです。
では、直流電機ではどれですか?と聞かれると、やはり左右非対称という斬新な車体デザインのEF64 1000番代です。従来の国鉄電機とは異なり、雪害対策を徹底するために、機器室を三分割したしたため、大型のルーバーは中央部、それ以外は採光を目的とした比較的大きめになった四角形の窓が配置されました。この窓は、直流機でいえばEF60まで採用されたものとほぼ同じで、旧型電機をも彷彿させてくれました。
さて、もう10年以上も前のことですが、買い物に行こうと新鶴見機関区にある道路を通ると、いつものように西機待線には多くの機関車たちが出番を待っていました。ここに集まる機関車たちは、新鶴見信号場から北方面へと向かっていきます。
その中に、国鉄色に塗られた1両の機関車が佇んでいました。
この当時、EF64もそうですが、EF65もほとんどが更新工事を受けていたので、塗装も貨物更新色と呼ばれるカラーに変わっていました。特にEF64 1000番代は、あの「斜めストライプ」チックなカラーリングで、個人的には「もう少し機関車らしいデザインはなかったものか」と思いもしたものです。
そんな中にあって、青15号+クリーム色2号の国鉄色は目立つというもの。
思わず立ち止まってみると、EF64 1000番代のうちの1両、1012号機でした。
1012号機は1000番代の1次車で、1982年に川崎重工と富士電機のコンビでつくられました。
新製配置は長岡運転所でした。この頃は、上越国境越えに活躍していた旧型電機であるEF58やEF15、そしてEF15を勾配線区用に回生ブレーキ追設などの改造を施したEF16が、上越線を往来していました。しかし、戦後間もない1940年代後半につくられ、日本でも有数の豪雪地帯であることに加え、20‰の勾配が連続するところで運用されていたため、車齢も40年近くなることから老朽化が進んでいました。
これを置き換えるために、EF64 1000番代が開発されたので、1012号機も上越国境越えを担当する長岡に配置になったのでした。
その後、計画通りにEF58やEF15、EF16を置き換えていきます。そして、険しい山道を走り、冬には大量の雪と闘いながらも、上越線で活躍を続けました。
1987年に国鉄が分割民営化されると、1012号機は貨物会社に継承されることになり、高崎機関区に配置されます。そして、民営化後は、首都圏と上越地方を結ぶ貨物列車を中心に、時には首都圏の短距離貨物列車に宛がわれました。
写真を撮影した2009年の時点では、1012号機はまだ高崎機関区に配置されていました。
この頃の上越線では、貨物列車はまだ健在でした。最盛期に比べるとその数は減ってはいましたが、それでも登場時と変わらない仕事が残っていたのです。
ご覧の通りの国鉄色。左端に僅かに写るEF65PFは、既に更新工事を受けて更新色に塗り替えられています。1012号機の後ろには、JR世代の機関車であるEF210の姿もあるので、いかに目立つ存在かがお分かりいただけるかと思います。
さらによく見ると、1012号機は冷房装置を載せていませんでした。民営化後、機関士の執務環境を改善するため、JR貨物は機関車の運転台に冷房装置を設置するようにしました。民営化後に製造された国鉄形リピートオーダーであるEF66 100番代やEF81 450番代と500番代、そしてED79 50番代には、当初から冷房装置が設置されていました。もちろん、EF200やEF210といったJR世代の新型機も、冷房装置は標準装備でした。
ところが、国鉄から継承した機関車にはそのような装備はありません。
機関車の運転台は、夏場は言葉にならないくらいに猛烈な暑さです。ただでさえ、国鉄形電機は抵抗制御なので、この抵抗器に流した電気エネルギーは「熱エネルギー」に変えて放出します。言い換えれば、「走る電熱器」といったところで、機器室から漏れてくる熱は運転台を温めていたのです。
ですから、機関士にとって冷房装置の有無は、夏の乗務を左右する重大な関心事だったことが窺えます。その中で、1012号機は2008年の時点でも稀に見る「冷房非装備車」だったのです。
このことは、1012号機が更新工事を受けていないということがいえます。
もう少し細かく見ると、正面のガラス窓を固定するHゴムの色は、なんと白色です。
筆者が貨物会社に入社して、小倉車両所に勤めていたときに全検を施行したED76 1016号機も、出場するときには窓ガラスは黒色のHゴムでした。
まさか、民営化以来一度も全検を受けていないなんてことはあり得ませんが、それでも白色のHゴムをはめているというのは珍しく、側面のJRマークを外したら、国鉄時代の出で立ちそのままといっても過言ではありませんでした。
いわば、更新工事を受けずにほぼ原形を保っていたといってもよいくらいで、多くが更新工事を受けたこの頃にあっては、1012号機は貴重な機関車の一つだったのです。
2010年に長年慣れ親しんだ上越線での運用がなくなり、高崎機関区に配置されていた1000番代は、主に中央本線を担当していた塩尻機関区篠ノ井派出(←篠ノ井機関区)配置の基本番台共々、東海道本線稲沢駅に隣接する愛知機関区へ異動となりました。
愛知への移動後も、首都圏での運用は残っていたので、時折みかけることはありましたが、それでも更新工事は施工されませんでした。さすがに冷房装置はそのままというわけにはいかなかったようで、晩年には運転台真上の屋根上に取り付けられました。
そして、1012号機は更新工事を受けることなく2017年まで走り続けました。この理由は定かではありませんが、予算が付かなかったのか、それとも1012号機自体が他の車両に比べて状態がよかったのか、それともその逆なのかは想像するほかありません。
しかし、多くが更新色を身に纏っていった中で、一貫して国鉄色を身に纏っていたことは、言い換えればほぼ原形を保っていたことの証といえるでしょう。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
あわせてお読みいただきたい
こちらの資料を参考にしました