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鉄道車両の多くはどんなに短くても20年以上は走り続けます。JR東日本の209系が登場したときに、「従来の車両寿命の半分」なんてことが言われ、口の悪い(失礼)鉄道マンからは「使い捨て電車」などとも言われたものでした。
この「半分」とは12年程度を指していたようで、公式には「12年程度で償却する」とのことでした。償却とは、財務会計上、会社にとって資産となる動産に対して、その調達にかかわる費用を計上できる期間を指しています。つまり、このでいう「12年」とは財務会計のお話であって、けして車両自体の寿命ではなかったのです。
まあ、実際に鉄道の現場にいた筆者も、この話を聞いたときには「ひでぇ時代になったもんだ。電車ですら使い捨てか」なんて言ったもので、後年、これがまったく畑違いである経理のお話だと知ったときには、それはもう恥ずかしいものでした。
さて、前置きが少し反れてしまいましたが、多くの鉄道車両は概ね20年以上を走り続けます。よほど欠陥があったり、運用する鉄道事業者が倒産して鉄道自体が廃線になったりすれば話は別ですが、あまりそのような事例は見あたりません。
かつて普通鋼でできた車両ですら、大規模な修繕を受けながらも40年近くは走り続けます。最近のオールステンレス車やアルミ車のように、腐食や劣化に耐えられる材質や構造でつくられれば、当然ですがその寿命も延びるというものです。つい最近引退した東急7700系は、7000系として登場してから約半世紀近くを東急線で過ごし、中古車両として養老鉄道に譲渡されました。養老鉄道では、譲受した7700系を今後も使い続けていくというので、もしかすると100年近くも走り続ける車両になる可能性もあります。
一方、鉄道車両にとっては予期せぬ不遇が続き、結局20年そこそこで用途を失い廃車となっていったものもあります。
営団地下鉄06系もまた、そんな不遇の一生といえる車両の一つといえるでしょう。
06系は1993年に千代田線用として、当時の帝都高速度交通営団(営団地下鉄)が設計・製造した車両でした。一部では「ゼロ・シリーズ」と呼ばれている、新世代の営団車両の一員でした。
しかし、1993年の千代田線は6000系の牙城。1960年代半ばにつくられた初期車は車齢は30年程度で、営団の計画に沿った大規模な更新工事を受けていました。後期車となれば車齢はもっと若いので、06系を大量に量産して6000系を置き換えるということにはなりません。そんなことをすれば、会計検査院が黙ってはいないでしょう(当時の営団地下鉄は特殊法人で、国が出資していたので会計監査は会計検査院が行っていた)。
ですから、06系は純粋に列車の増発による車両の所要数が増えたため、その不足分を埋めるためにつくられたのでした。
たった1編成、各形式1両ずつというのは、経営上好ましいとはいえません。別の稿でもお話ししたように、運用コストもかかるので鉄道事業者にとってはできれば避けたいものです。
これはあくまでも想像ですが、営団地下鉄としては06系をいずれ量産して、6000系を置き換えることも視野に入れていたと思われます。そうでなければ、たった1編成だけを補充するために、わざわざ専用の車両を設計・製造するのは非効率でしかありません。
さて、1993年に登場した06系は、たった1編成だけで、千代田線で活躍を始めました。直通運転先である、常磐緩行線と小田急小田原線・多摩線にも入り、千葉県北東部から都心を抜けて、東京都多摩地域や神奈川県東部の人々を運び続けました。
06系は営団の十八番ともいえる、オールアルミニウム車体でした。アルミニウム特有の軽量な車体と、VVVFインバーター制御による誘導電動機で高効率で省電力の車両でした。
アルミニウム合金車体の一番のメリットは、なんといっても車両の軽量化を実現できるというところでしょう。そして、ステンレス車体と同様に耐候性にも優れ、雨水などによる腐食の心配もないことです。そして、塗装の必要もないので、全検などでの修繕時に塗装工程を省略でき、その分のコストもかからないというメリットがあります。
営団地下鉄は、早期から車両の軽量化に関心をもっていました。車両を軽量化すれば、車両の起動から巡航にいたるまでにかかる電力使用量を減らすことができます。営団地下鉄は早い時期から電力使用量を軽減することに関心を寄せ、先輩格である6000系では従来の抵抗制御よりも高効率な電機子チョッパ制御を採用していました。
また、アルミニウム合金車体はステンレス車体に比べてさらなる軽量化も実現でき、加工もしやすい利点がありました。その反面、ステンレス車体に比べて高価になる欠点がありましたが、それをもってしてもアルミニウム合金にするメリットがあったと考えたのでしょう。
そのため、06系は6000系と比べても曲線の多い柔らかなデザインになりました。ステンレス車体であれば、前面に曲線を多用したデザインを取り入れるときは、FRPなどの材質でつくった別パーツになるところですが、06系はすべてアルミニウム合金でこれを実現しています。
そして、6000系以来営団の伝統ともいえる、左右非対称のデザインは受け継がれています。運転士側の窓は大きくとり、視界を広く取ることができるとともに、運転席のコンソールも多くの機器が設置できるようにしてあります。これは、直通運転をする先が二社以上に跨がる場合にとても効果を発揮できます。列車無線やATSやATCなどの保安装置が異なる場合には、広く取ったコンソールはとても有効でした。
1993年に登場して以来、量産車もなく1編成だけで郊外から都心部へと向かう孤軍奮闘してきた中で、2004年には営団地下鉄が民営化されて東京メトロになり、06系にとっての風向きも変わっていきました。
6000系がいよいよ経年で老朽化も進み、また、時代の要請で千代田線にもホームドアの設置が決まると、側扉の配置が6000系を始め他の車両と異なる06系は厄介な存在になってしまいました。
6000系の後継として06系ではなく、新たな車両を設計し16000系がその役割を担うことが決まり、これの置き換えはすべて16000系によってされることが決まってしまったのです。
そして、2015年に06系はその役目を終えて、千代田線から去っていきました。同時期に、有楽町線用としてつくられた兄弟形式ともいえる07系が、副都心線と乗り入れ先である東武東上線、西武池袋線、そして東急東横線と直通運転により、同じくホームドアの関係でお役御免になったあと、東西線で5000系と05系の初期車の置き換え用として配転されたのとは対象的に、たった1編成しかないということもあって、登場から23年と鉄道車両としては比較的短命に終わってしまったのでした。
たった1編成しかない貴重な06系は、常磐線の我孫子から、千代田線を経て小田急多摩線・唐木田や小田原線・本厚木までと広範囲に渡って運転されていたので、遭遇率は非常に低かったと思えます。
出会う確率が少ない06系を捉えた記録は、筆者の手元にもこの1枚だけ。それも、たまたま当時通っていた大学(通信課程だったので、実際に歳学のキャンパス似通ったのは夏休みだけだが)が小田急線沿線にあり、その帰り道に途中下車して撮ったものなので、運が良かったのかもしれません。
今日では、千代田線には次世代の車両が行き交うようになり、東京メトロの車両としては16000系が活躍しています。06系はたった1編成だけでしたが、増発の助っ人としての役割と、次世代の車両への橋渡しを十二分に果たしたと言っていいでしょう。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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