旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 2004年頃の二子玉川・東武30000系が走っていた頃

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  いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 写真を撮りためていく、いつの間にかその数は膨大になってしまい、いったい何枚採ったのか分からなくなります。

 昔のように銀塩フィルムを使っていた頃なら、フィルムや現像の費用がかかるので、そう簡単にバシャバシャと撮るということはありませんでしたが、デジタルになってからは遠慮なくシャッターを切るので、写真を撮りに出かける度に数が増えていってしまいます。

 そんな写真の中から、この1枚をご紹介したいと思います。

 

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 2004年頃の二子玉川です。

 この頃はまだ大井町線二子玉川で折り返し運転をしていました。多摩川に架かる二子橋梁には、折り返し運転をする列車を留置するための引上線があり、橋梁上には車止めがあるのが見えます。

 そして橋梁上を走るのは、東武伊勢崎線から乗り入れている30000系です。

 それまでの田園都市線は、営団地下鉄(→東京メトロ半蔵門線と直通運転を行っていました。ここを走る車両は東急の8500系と2000系、そして営団の8000系と08系だけでした。

 半蔵門線が押上まで開業させると、東武伊勢崎線とも直通運転をはじめたので、30000系も田園都市線上で走る姿を見るようになったのでした。

 神奈川県東部に住む筆者にとって、東武の車両はあまり縁がありませんでした。8000系のように大所帯で有名な車両のことは知っていましたが、30000系というのはあまりピンとこなかったのが正直なところです。

 しかし、実際に走るようになってその姿を見ると、同じステンレス車体をもつ車両なのに、なぜか新鮮な印象を受けました。東急9000系も同じようなビートを入れたステンレス車体ですが、どことなく違うものを感じたのでした。

 帯色が見慣れた赤ではなく、東武のマルーンだったのもその一つだったのかも知れません。でも、何よりもこの30000系は10両編成なのですが、東急や営団のように10両1編成ではなく、6両+4両の2編成で組む「分割編成」でした。

 分割編成は東急線上ではほとんど見かけません。一時期、8500系の最終増備車が5両+5両で組んでいたことがありましたが、こうすると編成中に運転台の部分2箇所がデッドスペースになり、収容力が低下してしまいます。

 ただでさえ、ラッシュ時間帯の田園都市線は、首都圏でも指折りの混雑路線で、それはもう過酷なものでした。かくいう筆者も、この頃は田園都市線沿線に住んでいたので、時折通勤で利用しましたがあまりにも混雑がひどく、体一つを車内に入れるだけでも一苦労。一度入れば身体をよじることも、頭を掻くこともままならないという状態なので、東急電鉄としてはこうしたスペースをなくしたいと考えていたのでしょう。

 しかし、東武としては自社線内の運用上、こうした分割編成の方が使いやすかったことと、当時の車両工場へ入るには10両編成が入ることができなかったため、30000系も在来の車両と同じく6両+4両で組んだ10両編成でした。そのため、田園都市線を走る30000系は分割編成が恒常的に運用されたのでした。

 もっとも、こうした光景はあまり長くは続きませんでした。

 後継となる50000系が開発されると、急速にその任を交代していきました。30000系が乗り入れ運用から退くのと引き換えに、乗り入れに不可欠な東京メトロと東急の保安装置や無線装置などを新製された50000系に移植され、自らは東武線内専用として走り続けることになりました。

 その後の30000系はこれまた波乱に満ちたと運命を辿ります。

 伊勢崎線から東上線へと移り、分割編成の中間にある先頭車は中間車化改造を受けて、とうとう10両固定編成に変わっていきました。とはいえ、こちらは地上線専用としての運用なので、副都心線を経由して再び東急線上を走る、ということにはなりませんでした。

 まあ、そうなったらなったで、面白いかも知れませんが。

 この写真に写っている二子橋梁にある折り返し線と、そこを走る30000系の組み合わせはともに過去のもの。いまでは大井町線から乗り入れる列車専用に、複々線化されて、風景もすっかり変わりました。

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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#東武鉄道 #東急電鉄 #田園都市線 #東京メトロ #営団地下鉄 #半蔵門線 #30000系