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北海道の冬は、都会育ちの筆者にとって想像以上に厳しく、ひとたび雪が降り出すとあれやこれやといううちに積もってしまい、一面の銀世界になってしまいました。もちろん、こうした天候が毎年のようにやってくるので、札幌市内は雪への対策が至る所に施されているので、道路に雪が積もって車が身動きが取れなくなる、なんてことは少ないようです。
鉄道も同じで、やはり雪に対する備えをあちこちで見かけます。
例えば転轍機。比較的温暖な地域の電気転轍機は、鋳鋼製のケースに信号機器と分岐器を動かす機械部が収められていますが、それ以外は特にありません。それはレール部分である分岐器も同じです。
ところが、寒冷地の電気転轍機は温暖地のそれとは比べものにならないくらい大型です。気温が下がって機械部が凍結しないようにヒーターが組み込まれているからです。また、温暖地で雪が降れば、分岐器の可動部分には灯油を入れて火を燃やす融雪カンテラが焚かれますが、毎日のように雪が降り気温も氷点下近くまで下がる寒冷地では、毎回そのようなことをやっていてはコストがかかり、作業効率も下がります。
そのため、こうした地域では電気ヒーターを組み込んだ融雪器を分岐器に備えるのが一般的です。
前置きが長くなりましたが、札幌市の中心部には、いまも路面電車が走っています。
かつては日本のあちこちで路面電車が走っていましたが、モータリゼーションが進み道路の混雑が激しさを増すに連れて、かつては市民の貴重な足として慕われたのが一転し「厄介者」扱いされ、高度経済成長期には次々と姿を消してきました。
いまでは政令指定都市で路面電車が走っているのは、岡山市(岡山電気軌道)と広島市(広島電鉄)、熊本市(熊本市交通局)、そして今回のお話の主役である札幌市(2020年3月までは札幌市交通局、同年4月より札幌市交通振興事業公社)です。
札幌市の路面電車が残っているとはいっても、その昔は市内中心部に広大な路線網をもっていいました。
豊平川を越えて豊平へ至る豊平線、新琴似駅まで伸びる鉄北線など、中心部から離れた郊外にまで延びていたのでした。中でも、ラッシュ時に多くの乗客を運ぶことができるように、連接車や親子電車を導入したり、建設コストを抑えるために非電化で開業した路線で運用する気動車を導入したりしました。
しかし、札幌オリンピック後に進展したモータリゼーションの前に、路面電車は混雑する車に埋もれてしまい定時運行もままならなくなり、そのあおりなのか利用者も減ってしまいました。そのため、路面電車は赤字に苦しむようになっていき、次々に路線が廃止されてしまいます。
札幌市で残った路面電車は、路線延長約8kmが残っただけで、全盛時の面影もない「コの字」形の路線網となりました。
とはいえ、これだけでも残ったのは奇跡的だといえるでしょう。
さて、写真は20004年冬、すすきの電停に停車する札幌市電240形です。
冬なので当然ですが雪が降っていました。その降り方の激しさを物語るかのように、前面にはまるで白く化粧でもしたかのように、雪がびっしりと着いていました。
札幌市電の車両は過酷な冬に対する備えがあり、特徴的な表情をしていると思います。中でも、温暖地の路面電車は前灯を1個だけ備えたものが多いのに対して、札幌市電は2個、それも比較的大きいものを備えています。
この240形のように、大雪が降る中を走ることは日常茶飯事で、雪が車体にへばりつくことなど珍しくありません。そのため、前灯が1個では降雪時にその役割を果たせないことも考えられるので、こうした2個の前灯を備えているのだと思われます。
最近の車両は角張ったのが多いのですが、240形は1960年の製造で、この頃同じく製造された210~230形や、気動車のD1020形などは丸みの強いデザインの車体をもっていました。
これはあくまでも筆者の予想ですが、強い丸みをもたせることで、雪の付着を防ぐことをねらったのではないかと思われます。写真の240形も前面の窓は曲面ガラスで、それほど雪が着いていません。また、前灯周りの中心部には雪が着いていますが、両サイドはやはり丸みがあるのでそれほど雪がないのです。
空気抵抗を少なくする分だけ、走行時に雪が後方へと流れていくのでしょう。それができきらないところには雪が着いていますが、やはりたくさん着いているのではなく、うっすらと着いているといった程度です。
このような酷寒の中を走るのは、電車にとってはかなり過酷です。1960年につくられた240形は、誕生から既に60年が経ちます。路面電車の車両は、その財政状況から簡単に新車に置き換えることが難しく、どうしても古い車両を使い続ける傾向がありますが、それでも近年、環境への配慮から見做されるようになり、超低床の新車が導入されつつあります。
とはいえ、還暦を迎えようとする240形が、この過酷な環境の中を走り続けてきたことは特筆に値するといえるでしょう。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。