いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。
「海峡下の電機の系譜」と題したシリーズ構成でお送りするお話。今回はその2回目として、関門トンネルの初代電機EF10のお話なります。書いているうちに段々長くなってしまい、EF10のお話は前後編の二部構成ですが、どうぞ最後までお付き合いいただけると嬉しい限りです。
4.EF10の投入
関門トンネルが直流電化で開業することが決まると、ここを走るための電気機関車が必要となりました。
既にこの頃には電気機関車の国産化はほぼ軌道に乗っていて、旅客用のEF53やEF56、貨物用にはEF10が生産されていました。
そこでどの機関車を投入するかということですが、貨物用のEF10が選ばれました。
理由はあくまでも推測ですが、貨物用機は重量列車を引き出すために低速寄りの歯車比で、連続20‰の勾配を抱えるトンネル内で、万一列車が停車してしまい、0km/hから重量の嵩む貨物列車の引出しが必要になった場合、EF53やEF56のような高速寄りの歯車比では、これをすることが難しいことが考えられます。
貨物用の電機であれば、歯車比は低速よりに設定されているので、その分だけトルクを稼ぐことができ、重量列車の引出しも比較的容易となります。
4-1 EF10という機関車
EF10形直流電機機関車は、戦前に国鉄の前身である鉄道省が設計・製造した、貨物用の国産電気機関車です。
それまでは蒸機が主流で、電機はごく限られた路線でしか活躍の場はありませんでした。例えば連続66.7‰の勾配がある信越本線の碓氷峠では、アプト式という特殊なラックレールを用いり補助機関車を連結して運転していました。
しかし、ラックレールで急峻な勾配を走ることができても、蒸機では石炭の燃焼による煤煙が運転台や客車の車内に入り込み、運転する乗務員や旅客を苦しめました。最悪の場合は、煤煙による窒息事故も起きるほどで、鉄道省としてもこうした事態を早期に解消するため、横川-軽井沢間を電化させて、この区間で連結される補機を蒸機から電機に置き換えました。
当時の鉄道電化は、あくまでも「特殊な事情」を抱えていることが、ある種の条件だったのですが、鉄道国有法によって買収した鉄道路線の中には、既に電化されているところもありました。
また、官営として建設・開業した路線の中でも、東京と大阪を結ぶ東海道本線は、その需要が旺盛であるなどの理由で電化され、手始め東京ー熱海間と横須賀線を電化させ、同時にに海外から電機を数両ずつ輸入して、運用に宛てるとともに国産化の道を探りました。
こうしたことを経て、輸入電機であるEF51やED53などを参考に、初の国産F級大型電機であるEF52を開発・製造しました。そして、EF52は計画通りに電化された東海道本線や横須賀線で運用されましたが、形式名が示すように歯車比は高速寄りに設定されていて、主に客車列車を牽いていました。
一方、電化はされたものの、貨物列車を牽く電機は相変わらず雑多な輸入機の独壇場でした。しかし、この状態はけして好ましいこととはいえず、形式が異なる複数の車両を運用することは、運転をする機関士も車種ごとに異なる取扱い方法を習熟しなければなりません。整備を担当する検修陣も、形式ごとの整備手順とそれにあった技術を維持する必要がありました。
そこで鉄道省は、貨物用電気としてEF52を基本にした、ED16を開発・製造しました。
ED16はEF52と同じ主電動機・MT17を4基装備していました。定格出力は900kWで、動輪軸を二軸ずつ備えた台車枠に箱形の車体を載せ、先輪は1軸としてその上には運転台への出入を兼ねたデッキを備える国産旧型電機の標準的な構造でした。
貨物用電機とし開発されたので、歯車比は低速よりに設定されていたので、トルク重視の性能をもっていました。そのため、重量の嵩む貨物列車や勾配の多い線区での運転を想定した能力となったのです。
そしてED16は、動輪軸が4軸のD級機であるため、牽引定数に制限があるので需要が旺盛な貨物列車を牽くにはいささか力不足になっていました。
そこで、重量列車を牽くことができるF級の大型電機を開発し、これを幹線の貨物列車へ充てることを目的に開発されたのがEF10でした。
EF10はEF52の後継となったEF53を基に開発されました。主電動機は出力を向上させた定格出力225kWのMT28を6基装備し、1時間定格1350kWとなりました。動輪軸は6軸となり、台車枠1台に3軸を備えたC-Cの軸配置としました。
貨物用機なので、先輪は1軸としたのはED16と同様でしたが、新たに開発した先輪台車であるLT112またはLT113を装着し、1-C-C-1の軸配置となりました。また、先輪台車の上にはデッキを装備し、台車枠上には箱型車体を載せている点では、他の電機と同じ構造となりました。
こうして、EF10は量産が始まりましたが、製造が比較的長期に渡ったので、車体の形態は同じ形式でありながら3つとなりました。
一次型はEF52以来の外板をリベット打ちとして、前面上には庇がある角張った初期の電機に共通するデザインでした。ところが、17号機からは当時流行していた流線型の影響を受け、丸みのある半流線型の溶接構造となり、前面の庇はなくなりました。そして25号機からは強い丸みをなくした箱形の溶接構造の車体に変わりました。
EF10は全部で41両が製造され、当初の計画通りに幹線の貨物列車で使われるようになります。
海峡下の電機の系譜【Ⅱ】 関門海峡を潜(くぐ)り抜けた直流電機・EF10《後編》につづく
あわせてお読みいただきたい