旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

この1枚から 一見すると軽量客車、でも元は電車

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 世の中には「変わった経歴の持ち主」というのがあります。あまり人のことはいえませんが、筆者も今の世界では「かなり変わった経歴の持ち主」と言われます。まあ、小さい頃からこの仕事を目指す人が多い中で、中途採用の、それも元技術職というのは珍しいのかもしれません。

 ところで鉄道車両にも同じく「変わった経歴の持ち主」がいます。終戦直後には、戦争中に空爆などで被災した国鉄車両が、その後私鉄に払い下げられて修繕し、見事に復活した「戦災国電」というののありました。

 また、同じ国鉄でも旅客車量が極端に不足したため、戦災に遭った車両を復旧した70系客車と呼ばれるものもありました。こちらは私鉄のように車体を載せ替えるなどの更新工事ではなく、元の車両の構体をできる限り活用して外板や内装を修繕しました。そのため、電車由来の車両は形状が電車そのものというのもあったようです。

 これら70系客車は工作が簡易だったことで早時期から老朽化が進み、同時に座席には布を張らなかったり、照明は裸電球を取り付けただけであったりと、必要最小限どころか最低限の簡便な復旧工事だったため、他の系列に比べても陳腐だったために、新製車が充足してくると早々に一線から退いていきました。

 このように国鉄70系客車は、経歴こそ変わってはいるものの、それは戦争という悲劇があったこと故のものでした。

 同じくもとは電車でしたが、いまは客車となっている車両もあります。

 

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 大井川鐵道に所属する和式客車「ナロ80」もまた、もとは電車という異色の経歴の持ち主です。

 写真で一見すると、国鉄時代につくられた軽量客車である10系とは、そのシルエットはよく似ていると感じるかも知れません。深い屋根にノーシル・ノーヘッダで滑らかな直線的な車体は、やはり10系に通じるのではないかとさえ思います。

 しかし、この写真の客車は10系の改造車などではなく、なんと西武501系電車が種車でした。

 もとは電車、改造によって客車に変わることも珍しいことです。それも、異なる会社から譲渡される際に改造されるというのも、同じ電車であればよくあることですが、車種も異なるというのはあまり例がありません。

 これは種車となった501系は、旧式の吊り掛け駆動でしたが、車体は軽量な全金属製であったことなどがこのような改造を可能にしたと思われます。

 そのため、このナロ80 1をよく眺めていると、所々に電車時代の面影が見て取れます。特に車体側面はそれが顕著に表れているといっていいでしょう。客用扉は1か所だけを残して、あとはすべて埋められています。しかし、客用扉の反位側はもとは客用扉があったことがわかりやすく、その前後は窓間隔が大きく開いているのがわかります。

 また、窓そのものも本来の客車とは異なり、下段上昇式の2枚窓がずらりと並んでいます。客車での2枚窓は前述の戦災復旧車である70系や、急行形電車の設計を基にした12系だけに見られますが、他にはあまり例がありません。

 また窓時代の天地方向の寸法も長くとられているのも、元は電車だったことを想起させてくれるのです。

 車内もまた大きく改造され、ロングシートはすべて撤去して、畳敷きの和室とされました。

 団体輸送用に改造されたナロ80は、入線当初はそれなりに活躍していたようですが、21世紀に入った今日ではあまり活躍する姿を見る機会も少なくなり、夏のビール列車や冬のおでん列車などといった企画で活躍しています。

 とはいえ、普段はあまり使われることなく、新金谷駅に隣接している新金谷車両区に留置されたままの日々を過ごしているようで、筆者が訪れたこの時も1両だけポツンと留め置かれたままでした。

 

 今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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#大井川鐵道 #客車 #私鉄の車両