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東京急行電鉄から社名を東急へと変え、同時に鉄軌道事業を分社化して東急電鉄へと変わってからもうすぐ1年が経とうとしています。分社化され、東急の子会社となっても、利用者のも、筆者の勤め先は田園都市線の沿線で、多くの同僚がこれを利用していますが、特に何かが変わったという話を聞くことはありませんでした。
さて、その田園都市線では長らく走り続けてきた8500系が引退していく話題を多く見かけます。初期車は1975年に製造されていますから、既に40年以上も首都圏では指折りの激しい混雑で、乗客を文字通り「すし詰め」にしながら、神奈川県大和市や東京都町田市といったベッドタウンから、都心部へと向かう人たちを乗せ続けてきました。
しかし、後継となる2020系が登場すると、その数を徐々に減らしています。最近では製造工程の合理化が進んだことや、量産化による製造コストの軽減からか、一度置き換えが始まると短い期間で終わらせてしまうので、置換え対象となる古い車両も早期に淘汰されてしまいます。
前置きは長くなりましたが、写真は2004年の二子玉川で8000系を捉えたものです。
この8003Fをはじめ、8000系の初期車は晩年は大井町線で運用されていましたが、同じ8000系の牙城であった東横線の8000系と比べると地味な感じがします。それもそのはずで、冷房化工事以外は特に大きな改造を受けたこともなく、前面にはアクセントと車両の視認性をもくてきに赤帯を入れた程度でした。
写真を見ていただいてもお分かりの通り、大井町線に配属されていた8000系は外観を比較的原形を保っていました。大きく変わったといえば、屋根上の冷房装置ぐらいでしょうか。また、製造途中に軽量化設計に改められた後期車がないので、屋根のカーブも揃っていたので凸凹のない綺麗な状態でした。
また、大井町線では5両編成を組んでいました。ところが、8000系の電動車は2両1ユニットを基本としていましたが、5両編成を組むとなると3M2Tになってしまいます。電動車が3両となると、ユニットを組めない電動車が1両出てしまいました。
そのため、ユニットを組むデハ8100・デハ8200と、ユニットを組まないデハ8300が組み込まれていたのでした。
そういえば8000系の思い出として、「偽クーラー車」というのがありました。夏の暑い日に大井町線や東横線に乗ろうとホームで列車を待っていると、そこにやって来たのは屋根上に白いカバーの冷房装置を載せた8000系。これで暑さから解放されると嬉々として車内へ入ると、モワッとした暑い空気が襲ってきました。
はて、屋根には冷房が付いていたけど、どうしてこんなに暑いんだろう?と思い、天井を見上げてみると、あるはずの冷房装置が見あたらないのです。実はこれ、冷房化準備工事を施されたもので、冷房装置本体は載せてなかったのですが、カバーだけは先に取り付けられてというものでした。
準備工事を施すにしても、ご丁寧にカバーだけを載せていたので、見る人が見れば「冷房車」と思うのも不思議ではありませんが、さすがにこればかりは紛らわしいばか
まあ、私も「欺された」一人なのですが(笑)
この後、8000系は8090系、さらに8500系に置き換えられて姿を消していきました。
オールステンレス車で車体は古くても劣化がしにくく、しかも塗装も必要ないなど運用コストを抑えることができます。しかし、伊豆急など一部を除いて譲渡はありませんでした。
恐らくは、地方私鉄では扱いにくい20m級の車体の長さと、先頭車が制御電動車でないために改造しなければならないこと、さらメンテナンスの難しい複巻電動機や界磁チョッパ制御を装備していたたと思われます。
いずれにしても、二子玉川駅の光景はすっかり変わってしまいました。
ここを往来する車両も、大井町線の終着駅であったことがわかる、8000系の後方に見える車止め標識も、既に過去のものです。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
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