旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

海峡下の電機の系譜【Ⅶ】 たった1両異端の改造機・ED76 550番代(2)

広告

8.1両だけの改造に終わったED76 550番代

 8-3 用途の減少と余剰機の活用で誕生した「異端機」550番代

 1987年の国鉄分割民営化後、JR北海道には製造稜数の半数になったとはいえ、16両のED76 500番代が継承されました。国鉄時代に711系が開発・製造されて電車化が進められましたが、それでも函館本線の電化区間には客車列車が多数残っていたのでした。

 一方、国鉄時代は貨物列車も電化区間では500番代がその先頭に立っていました。しかし民営化により、貨物列車の運転はJR貨物が担うことになったため、これらはすべてJR貨物ディーゼル機関車が牽くようになりました。

 一見するとJR貨物にも500番代が継承されて、電化区間の貨物列車も国鉄時代と同じように貨物列車にも宛がえればと考えられるでしょう。しかし、北海道の電化区間函館本線の小樽ー札幌ー旭川間と、千歳線室蘭本線の室蘭ー沼ノ橋間と限られていることや、電化区間を走行する貨物列車自体が少ないこと、さらに僅かな距離と少ない列車のためにわざわざ電気機関車保有することによる運用コストと効率性の低下、そして機関車を付け替えることで発生する所要時間の増加とそれにかかる人員の配置やコストの上昇が避けられないことから、JR貨物には継承されなかったのでした。

 一方、JR北海道も一部の優等列車を除いて、普通列車を客車で運転する効率性の悪さに悩まされていました。特に、国鉄時代の末期に「汽車から国電へ」を合い言葉に実施した普通列車の高頻度運転は、1列車の連結両数を減らした代わりに運転本数を増やしたことで、利用客からは好評を得たが客車列車では非常に効率が悪くなりました。

 当たり前の話ですが、客車は電車と違って機関車が牽かなければ走ることはできません。しかし、電車は終着駅に到着すれば乗務員が乗車位置を変えることでそのまま運転をすることができます。しかし、客車の場合は機関車の連結位置を変える「機回し」という作業が発生します。「機回し」をするには駅にそれを行うことができる線路と、入換作業に携わる操車係(輸送係)が必要です。線路を維持するにも、人員を配置するにもコストがかかってしまいます。

 経営基盤が脆弱なJR北海道としては、こうした作業を減らして経費を軽減したいのが本音でした。

 また、客車列車は電車列車に比べて「鈍足」であることも、ダイヤ編成に影響を与えていました。電車や気動車であれば、加速もよく表定速度を上げることができます。そうすれば、速達性も向上して利用しやすくなります。また、その分だけ線路容量も増加するので、さらなる増発も可能になります。しかし、客車列車ではそれが難しくなってしまいます。

 こうした理由もあって、JR北海道は電化区間で運用できる721系を新製しました。

 721系の増備により、電化区間は電車化が進められました。客車列車は年々削減されていき、500番代にも余剰が発生していきました。

 一方、青函トンネルを含む海峡線は、本州から北海道へ乗り換えをすることなく行き交うことができる便利さと、当時としては世界最長の海底トンネルという珍しさもあって、輸送人員が増えて列車の増発が相次ぎました。そこへバブル経済も相俟って、貨物列車も増発されていたので、国鉄から継承したED79では足りなくなってしまったのでした。

 これに対応するためには、ED79のような青函特殊仕様の機関車を増備しなければなりません。JR貨物は自社で運用できる機関車としてED79 50番代を増備しました。これは、貨物列車を牽くのは機関車なので、多くの機関車を保有するJR貨物にとっては機関車を新製するのはハードルが低かったといえます。

 しかし旅客会社であるJR北海道にとって、機関車を新製するのは躊躇せざるを得ませんでした。機関車を新製したとしても、それを活用できる列車が限られているので、財政の厳しいJR北海道にとってはかなりの負担だったのです。

 

f:id:norichika583:20200712232055j:plain(©spaceaero2 / CC BY-SA (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0) Wikipediaより引用)

 

 そこで目をつけたのが、札幌都市圏で余剰になっていたED76 500番代でした。ただ廃車にしてスクラップにするより、余剰車を活用して海峡線の増発に対応しようというのは、国鉄時代からの当たり前の発想でした。

 1991年に余剰となった514号機は、青函特殊仕様の改造を受けて550番代に区分されて551号機として生まれ変わりました。

 主な改造としては、運転士側側窓はED79と同様のアルミサッシの引き違い窓に替えられました。これは、青函トンネル内が常に湿度が高いことによる腐食対策でした。また、保安装置もATC-Lが装備されました。ED79では函館方と青森方では受信信号が限定されていたため、機関車の向きが変えられないという制限がありましたが、550番代では機関車の向きが変わっても運転できるようにED79 50番代と同じ仕様になりました。

 さらに、制御装置も換装されました。500番代にはサイリスタが装備されていましたが、誘導障害などにより力行時にのみ作用するものでした。しかしこれでは回生ブレーキが使えません。青函トンネルは連続12‰の勾配が延々と続くので、下り坂を走行するときには回生ブレーキが欠かせませんでした。そこで、サイリスタを交換して回生ブレーキを使えるようにしました。また、回生ブレーキを作動させるための抵抗器も追設したため、ED79と同じく屋根上には銀色の抵抗器カバーが載せられたのでした。

 外観は車体上部を赤2号で、下部を灰色で塗装し、塗り分け部には白の帯を巻いて一目で550番代を分かるようにしたのでした。こうして、性能的にも外観的にも一新し、不足する青函特殊紙用機を補うものとして期待されたのでした。

 550番代は青函運転所に配置されて、海峡線の「救世主」として活動を始めました。

 しかし実際に運用に入ってみると、思わぬところで問題があったことがわかります。そして、そのために運用にも制限を入れざるを得なくなったのです。

 その問題とは「車体の長さ」でした。

 ED79は交流機では標準的な車体長である14,300mmのED75種車として改造されました。一方、550番代はF級機であるEF71に次ぐ長さ18,400mmの500番代が種車であり、その差は4,100mm(=4m10cm)と極端に異なるものでした。

 同じ用途で使われる機関車で、性能差はともかく車体のサイズがこれだけ異なることは珍しいことです。しかし、ただ長さが違うといっても、鉄道車両の場合は簡単に住まされない様々な事情があるのです。

 旅客列車の場合、駅での停車位置が問題になります。停車位置を変えない場合、乗客が使う乗降用扉の位置が変わってしまいます。これが電車や気動車のように列車によって使用する車両が異なることがわかっている場合は、駅の案内標識などを変えることで対応できるでしょう。例えば、横須賀線湘南新宿ラインでは、グリーン車の位置が異なりますが、駅の案内表示で知らせることで対応しています。

 しかし海峡線を走る旅客列車は、その多くが客車列車です。乗客が乗る車両は変わりませんが、先頭に立つ機関車は日々の運用で変わってしまいます。同じ列車でもそれを牽く機関車は一定ではないので、日によって停車位置が異なってしまうのは旅客扱いをする駅にとっても車掌にとっても好ましくありません。

 それをなくすためには、機関車の停止位置を変えることで対応が可能になります。すると、今度はハンドルを握る機関士が注意をする必要が出てきます。550番代がまとまった数があれば、運用を分けることでそうしたことも難しくなりますが、ED79と共通運用が組まれていたので、どの列車に550番代が充てられるかは実際に乗務する段にならないと、ED79なのかそれとも550番代なのかがわかりませんでした。そのため、550番代に乗務する機関士は、停車位置に関して殊更神経を遣わざるを得ませんでした。

 また、こうしたことは駅だけではなく、車両基地の構内でも同じことが起きていました。機関区や運転所などにある留置線は、そこで留置される車種に最適化されて線路が敷かれています。特に留置される車両の長さが最も長いものにあわせてありますが、青函運転所はED79の長さに合わせて設計されていることが考えられます。そこへ、4m以上も長さの違う550番代がやってくれば、自ずと他の車両の留置位置も変えざるを得なくなってくるのです。こうしたことは、車両基地における入換などでも特段の配慮が必要となってしまいました。

 このように少数機種であることや、あまりにも違いすぎる車体長による運転取扱いの難しさが災いし、550番代は1両の改造で終わってしまったのです。これは、わざわざコストをかけてまでも改造をしたところで、実際の運用のしづらさを抱えるのは得策ではないとJR北海道が考えたからでした。

 しかし、必要な機関車の数は少ないことは変わりはなかったので、なんとかしなければ増加する列車に対応はできません。

 そこで、JR北海道は同じED79を新製増備したJR貨物からED79 50番代を借用することにしました。そうすれば、改造とはいえ機関車の数を増やさないで、増加する列車に対応できます。改造費用だけではなく、それを運用するために生じるコストも減らすことができるので、経営基盤の脆弱なJR北海道にとっては最もよい選択肢だったといえるでしょう。

 こうして、余剰機を青函特仕様機として改造した550番代は、わずか1両だけに終わり、その後は「異端機」となってしまいました。極端に違い過ぎる車体長は、貨物列車での運用は困難で、結局は旅客列車専用という限定された運用を余儀なくされたのです。

 たった1両だけの550番代である551号機は、1991年に改造されて以来海峡線の旅客列車だけを牽き続けました。2001年にはJR貨物EH500を増備し続けてきたことで、ED79にも余裕が出てきたことや、運転取扱いに特段の注意を要することから、運用を終了して廃車となりました。

 1969年に514号機として誕生して以来、30年あまりと僚機と比べて最も長く走り続けました。また、551号機の廃車によって、ED76は北海道からすべて姿を消し、残るは九州の0番代と1000番代のみとなったのでした。

 

あわせてお読みいただきたい

blog.railroad-traveler.info

 

#青函トンネル #交流電機機関車 #ED76 #国鉄 #JR北海道